「不登校についての一提言」~不登校児童生徒の支援活動から見えたもの~第4回 不登校児童生徒と学校、地域社会
平成23年4月11日
1 不登校の前兆
このことについては、前回に述べさせていただきましたが、改めて要約しました。
(1) 以前からその兆候を感じることができる場合
休みが多くなる。一見おとなしく控えめな行動、会話の相手が限られる。学習の遅れが目立つ。
特に真面目、ひいきにされる、かわいい等で仲間はずし、裏切りにあう。また、運動が苦手、特に水泳・長距離走が苦手。アトピーや喘息をはじめ何かの病気。発達障害等。
家庭内の出来事(育児放棄を含む精神的・身体的虐待、夫婦関係のトラブル、離婚、保護者や近親者の急死等)
(2) かなり短期間の内に現れる場合
教師や友達からの裏切り。保護者や近親者の急死。転居等に伴う環境の急変。
キャパシティを越えた期待感からくる挫折等。
2 教師の姿勢
(1)なんと言っても第一は教師の児童生徒の観察、気づきです。固定的な偏見でなく、日々変化する児童生徒へのまなざしの注ぎ方です。
(2)小学校では学級担任が主になりますが、それでも複数教師で児童生徒の理解を図ることが望まれます。そして大切なことは理解したら行動することです。
(3)中学校では学級だけでなく特に部活動の中や生徒会活動等に起因する場合もあるので、学級担任や部活動顧問教師等の連携も必要です。
3 学校の姿勢
(1)当然のことながら不登校児童生徒を生まないことです。不登校は家庭や本人にだけ問題があると、未だに考えている教師や学校態勢に出会うことがあります。学校や教師の枠に入ることができない児童生徒の学習権をどのように考えればいいのでしょうか。
不登校になってからの対応でなく、不登校を生まない対応が望まれます。しかし、時々休む児童はいるけど、時々でも学校に来るので不登校ではないと、とらえている向きもあります。
(2) 学級に入ることができない場合
多くは保健室や特別支援教室等でプリント学習をしています。一日中教師がついて支援・指導することは困難です。特に引き籠もり傾向の児童生徒は、学校に行きたいけれど行けないのです。そして行けない自分を責めているのです。その子どもの心情を推しはかるのに、よく次のことを教師や保護者に話します。
「あなたが何かの原因で学校(職場)に行けなくなったとき、その職場の一室で過ごし、課題を出され、同僚から頑張っているかと声をかけられ、時には噂されるとしたら、あなたは耐えられますか。」と。子どもたちは自分を責め、また、周囲の人が自分をどう見ているかに大部分の神経を使っています。不用意な対応や言葉かけは子どもたちに精神的な負担を生じさせます。荒っぽい言葉、上から目線の言葉、指示的な言葉、疑り深い言葉、先を急がせる言葉、「学校に来ないと高校へは行けないよ」等は如何なものでしょうか。別におだてたり、へりくだったりの必要はありませんが。児童生徒と接するときの言葉や態度が、一人の人格を持った人間であるという認識を持って接してほしいのです。
(3)家庭訪問等
教師の家庭訪問も難しい一面を持っています。ただ行けばいいというものでもなさそうです。原因はどうであっても、学校に行けなくなった児童生徒や保護者の多くは、その原因は学校にあると考えています。従って、特に不登校当初、児童生徒は、学校の側に行くのも嫌、教科書や標準服を見るのも嫌、教師と会うのはもっと嫌と思っています。そこに教師が行くと、保護者は子どもに挨拶をするよう強要します。子どもは教師が自分を学校に呼び戻しに来たと感じます。保護者と学校の連携はとても重要なのですが、普段の有り様が何かの時に多様な現象を生み出します。中学校で不登校になった生徒に、小学校の時の担任が自発的に時折訪問して、生徒の心を癒し続けた事例は、小中連携の視点からもありがたいことでした。
(4) 学校行事等
修学旅行や遠足、体育会等児童生徒が好みそうな行事への参加で、登校のきっかけを作ろうとする取り組みもよく見受けられます。しかし、オアシスの活動の中で学校に復帰できた生徒は過去1名です。体育会に参加して、その夕方、学校では禁止されている生徒だけの打ち上げに参加して、そのうれしさで翌日から学校へ戻りました。
でも、逆の場合が多くあります。行事に参加しても翌日から、またオアシスへリバウンドしてきます。参加するよう誘われたときは、本人なりに友達と打ち解けあった楽しい場を想像しているのですが、実際に行ってみれば、予想と大きなギャップがあることを知らされます。楽しい行事だけに、すでにできあがったクラスの輪に入れない自分を見せつけられるのです。クラスの生徒から、「楽しい時だけ学校に来て」とか「私たちがこんなに気を遣っているのにわがままな」などと陰口されて、居場所をなくしてオアシスに戻ってきます。この場合、生徒は再び元の学校へ戻ることはできません。不登校の児童生徒を誘うには、急ごしらえの仲間づくりではうまくいきません。
4 PTAや地域社会
ある時、ある学校のPTA研修委員さんから講演を、と問い合わせがありましたので、お役に立てばと返事していました。数日して、その断りの電話がありました。「学校から不登校の話は問題がある」と指摘されたそうです。私はなぜ、何の問題があるのか理解できませんでしたが、当時、それが世間一般の考え方か、学校には不登校児童はいないという学校や教師の体面なのかなと思いました。
私たちオアシスの活動の場所「いいづかつどいの広場」には、育児中の保護者が幼児を連れてきて自由に遊ぶ活動があります。最初はオアシスの活動に対してけげんなまなざしを向ける方がほとんどです。幼児が生徒に近づくことにためらっていることが分かります。しかし、オアシスの生徒の多くは幼児が好きです。都合良く世話をして遊びます。幼児たちも「お姉ちゃん」「お兄ちゃん」となついてきます。やがて保護者が生徒たちのことを理解してくれるようになると、幼児、保護者、生徒との交流が盛んになります。旅立ち式の卒業生には手作りのコサージをつけていただきました。でも、保護者の理解が得られない場合は、幼児はわだかまりなく生徒に寄って来ますが、保護者と生徒との間のバリアは消えません。従って、幼児とオアシスの生徒との交わりはとても薄いものになります。
自分の責任でない事柄に起因した不登校生が、周囲からさも罪悪、怠惰、我がまま、不審者のように見られ、時には「不登校では高校に入れないよ」と脅されるに至っては、加害者が安泰であるのに比して大きな不条理を感じます。
5 終わりに・・・・「認める」「ほめる」「待つ」
オアシスにおける児童生徒への支援活動では、「認める」「ほめる」「待つ」を基本姿勢として掲げています。自信や誇りを失い、自己存在感や有用感が薄らいでいる生徒の、わずかながらでも良さや頑張りを認め、決して否定的な評価をしない。足りないところや不十分さを指摘するのではなく、その生徒なりにわずかでも伸びたところ、努力したところ認め、ほめる。でも媚びない。そして、閉ざされた心が開かれ、凍った心が溶かされ、その生徒らしさが芽生えるまで、急がさずに待つ。その生徒たちの成長こそが私たちの喜びです。「待つ」ことには根気がいります。でも待ちます。子ども自身の回復力、成長力を信じています。
保護者はなかなか待てません。「這えば立て、立てば歩めの親心」、早く学校へと期待します。子どもさんが十分に自分を取り戻す以前に学校に戻っても成果は期待できません。リバウンドすることが多くあります。
学校も待てません。「オアシスに通えるのなら学校に来なさい」という教師もいます。でも、簡単にそうはならないところに不登校生徒との関わりの難しさがあります。
私たち、特に子どもたちはそれぞれ発達段階や特性に個人差があります。みんなが同じことを同じ時にできるとは限りません。自分の子ども、目の前の児童生徒をじっくり見つめて育んでいって欲しいと願っています。
3月に10名の3年生がオアシスを旅立ちました。そして全員高等学校に進学しました。よく連携をとっていただいた中学校に感謝しています。また、数名の生徒が学校復帰を目指しています。今までの生徒のように、元気に旅立っていくことができると信じています。
6 自分についてのアンケートから
以前、福岡県青少年アンビシャス運動推進本部が、「A、自分についてのアンケート。B、生活についてのアンケート」を、小学校が4・6年生に、中学校が2・3年生対象に実施しました。オアシスでも昨年10月に、中学2・3年生13名に実施しました。対象生徒数が少ない上に、オアシス在籍日数が長い生徒、短い生徒が混じり、資料性はありませんが掲載してみました。
問1 わたし(ぼく)は、すべての点で自分に満足している。
1,とてもそう思う(0) 2,少しそう思う(2) 3,あまりそう思わない(7)4,全くそうは思わない(4)
問2 わたし(ぼく)は、ときどき「自分はダメだなぁ」と思うことがある。
1,とてもそう思う(5) 2,少しそう思う(8) 3,あまりそう思わない(0) 4,全くそうは思わない(0)
問3 わたし(ぼく)は、いくつかの点で見所があると思っている。
1,とてもそう思う(0)2,少しそう思う(4) 3,あまりそう思わない(9) 4,全くそうは思わない(0)
問4 わたし(ぼく)は、友達ができると同じくらいに色々なことがでいる。
1,とてもそう思う(1) 2,少しそう思う(4) 3,あまりそう思わない(8)4,全くそうは思わない(0)
問5 わたし(ぼく)は、あまり得意なことがない。
1,とてもそう思う(4) 2,少しそう思う(6)3,あまりそう思わない(1) 4,全くそうは思わない(2)
問6 わたし(ぼく)は、ときどき「役に立っていないなぁ」と感じることがある。
1,とてもそう思う(2) 2,少しそう思う(7)3,あまりそう思わない(4) 4,全くそうは思わない(0)
問7 わたし(ぼく)は、少なくとも自分が他の人と同じくらい価値がある人だと思う。
1,とてもそう思う(1) 2,少しそう思う(6) 3,あまりそう思わない(3)4,全くそうは思わない(3)
問8 わたし(ぼく)は、もっと自分を尊重できたらいいなと思う。
1,とてもそう思う(4) 2,少しそう思う(4) 3,あまりそう思わない(3)4,全くそうは思わない(2)
問9 わたし(ぼく)は、何をやっても失敗するのではないかと思ってしまう。
1,とてもそう思う(4) 2,少しそう思う(4) 3,あまりそう思わない(5)4,全くそうは思わない(0)
問10 わたし(ぼく)は、自分のことを積極的に認めている。
1,とてもそう思う(0) 2,少しそう思う(5) 3,あまりそう思わない(4)4,全くそうは思わない(4)