長阿彌 幹生 先生

~親と子の円滑なコミュニケーション~親子のコミュニケーション(その6)「失敗する権利」

平成20年4月2日

 私が不登校についての話し合いの場やサポート活動を始めて15年以上が経ちます。このような活動を始めたきっかけは、我が子の不登校です。それから十八年が経過しましたが、不登校児童は全国で十三万人という膨大な数にまで増え続けています。
 学校でも不登校に対して様々な取組みを行ってきましたが、有効な手立ては見つかっていません。不登校の原因は、個々の子どもで違っているということと、その発生の大半が思春期という子どもから大人への転換期に起きやすいということ、更には、核家族化の進行による人間関係の希薄さなどが考えられていますが、それらの原因が複合的に影響していることも否めません。

 私は不登校児の保護者を対象にした支援活動を行っています。多くの保護者の方々とお会いしてきましたが、大半の方が我が子の不登校を、自分の子育てが間違っていたと思い、自責の念から自信をなくしたり、自己嫌悪に陥ってしまう傾向にあります。
 そのような保護者の方々と何度もお話しをしていくうちに、不登校の原因は子どもそれぞれに違っているけれども、共通する面があることも分かってきました。その一つに、子どもが何かしようとするときに、その事を親としてよく理解出来なかったり、危険なように思えるときに、子どもの先回りをしたり、或いは子どもを説得したりして、より安全で無難な道を進むようにします。「子どもに失敗させたくない」という気持ちは、子どもの幸せを願うならば当然のように思えます。何の問題もなく、順調に育っていくことを望みます。

 しかし、自分自身のことを振り返ってみてください。何度失敗したことでしょうか。そして失敗することの中から生きるための知恵を得てきたのではないでしょうか。子どもは失敗することで多くのことを学んでいきます。「失敗は成功の元」と言われています。失敗して泣いたり、悔しい思いをすることが、とても大切です。そのことで、何が足りなかったのか、何をすべきだったのか、など多くのことに気付くことができます。「失敗」は人間を成長させる原動力とも言えるでしょう。

 子どもは「失敗する権利」を持っています。私たち親は、子どもが失敗したときに立ち直れるように、失敗を繰り返さないように、親としての愛情と知恵を与えることが大切なのではないでしょうか。失敗しても親が後でドンと受けとめてくれるという安心感があれば、子どもは失敗を乗り越える力を持ち、そのことで生きる力をつけていけるのです。これから私たち親は「失敗する権利」を保障する努力をする必要があるのではないでしょうか。

 教育文化研究所 

~親と子の円滑なコミュニケーション~親子のコミュニケーション(その5)「躾け(しつけ)と虐待との違い」

平成20年3月1日

 K子さんは高校1年生です。中学生のときに一度だけ親に無断で外泊をしました。父親からこっぴどく叱られたそうです。高校生になった今「お父さんは私のことを大切に思ってくれていたから叱ってくれた。」と言います。
 外泊した友人宅でそのことに気付いたそうです。外泊した時、その子が父親の前でタバコを吸っていたのに、その父親は見て見ぬ振りをして黙っていたそうです。外泊や夜遊びしても何も言わないのだそうです。その親の姿を見て、子どもへの無責任さや無関心さなどを感じたそうです。と同時に、友人のことが可哀想に思えたそうです。

 K子さんは「お父さんが叱ってくれたから、今の自分があるように思う。」と言います。このように、子どもは叱られたくはないけれど、悪い時にはちゃんと叱ってくれる親を求めています。
 その際に親として気をつけないといけないことがあります。それは、躾けと虐待とは全く違うものだということです。それは、「叱る」と「怒る(おこる)」との違いでもあります。

 「叱る」と「怒る」とはどう違うのでしょうか。「叱る」時の親の状態は冷静です。子どものどこが悪かったのか、この間違いを通して、その子に何を気付かせるのかなどを考えて、「悪いことは悪い」としっかり伝える行為を「叱る」といいます。
 一方、「怒る(おこる)」時の親の状態は、顔は鬼のようになり、目つきも厳しく、声も大きく、感情的になっています。興奮しているので、言っている言葉も自分でも良く分らなくなります。子どものことを考えてというよりも、自分の怒りを発散させているようなものです。
 「なんで○○しないの!いつもあなたはそうなんだから!」と大声で怒鳴っている親の姿を時々見かけますが、これでは何を伝えようとしているのかさっぱり分りません。言われている子どもは怖い思いをするだけです。恐怖心でもって制御しようとしているようなものです。感情的になったときには、手をあげてみたり、暴言を吐いてみたり、冷たく無視するような“虐待”が起きやすくなります。非常に危険な状態です。

 子どもは親の言うことを聴かずに失敗することが度々です。そうしながら成長していくものなのです。しかも、子どもは子どもで、親の言うことをきかなかったこと、自分が失敗して申しわけなさなども感じています。失敗することで、既に子どもの心の中は反省モードになっています。
 そんな時は、大きな声や執拗な態度は必要ありません。問題の所在を指摘し、今度からはどうするかを、はっきりと言えば子どもの「躾け」に結びつくのではないでしょうか。

教育文化研究所 

~親と子の円滑なコミュニケーション~親子のコミュニケーション(その4)「毅然たる態度」

平成20年2月2日

 書店に行くと子育て、特に親子関係についての本はたくさんあります。どの本を選ぼうかと迷ってしまいます。著者たちは自分の意見をそれぞれに述べていますので、本によっては正反対の意見が述べられている場合もあります。本を読む側の私たちは「これはA氏の意見の本なのだな」と意識しながら読むことが大切です。

 著者は自分の意見の正当性や妥当性を主張しますので、持論は勿論ですが、その根拠としている参考文献や資料も持論に都合の良いものを選んでいます。読んでいるうちに、その本は正しいことを述べているような気になってしまいます。ましてや論者が有名大学の教授とか、テレビで名前が売れている人となれば、それだけでその意見を正しいものとしてしまうことはよくあることです。
 人の意見を聴いたり読んだりすることはとても大切なことですが、本や新聞、テレビで展開されているのは1人の著者、評論家、専門家、記者の意見に過ぎないということを私たちはいつも意識し、ひとつの参考意見とすることに止めておくことです。大切なのはそれを知った上で、自分の意見はどうなのかを考えるということだと思います。そのプロセスが無いと“鵜呑み”状態になり、人の意見の“受け売り”になってしまいます。
 親が子に「世の中とは」「社会とは」という時には、自分の意見というよりは、“受け売り”的な意見を言う場合です。子どもは、そういう意見を聴きたがっているのではありません。親自身はどう思うか、どう考えるかを求めています。
 それは、子ども本人にとって耳触りの良いものではないかも知れませんが、子どもに媚びることなく、迎合することなく、親として自分の目指したい生き方を、伝えていければと思います。

 では具体的にどうすれば良いのか?例えば、お子さんのクラスで“虐め”があったという話を聴いたときの私たち親の態度です。「虐める側にもストレスがあるんじゃないか?」とか、「虐められる方も悪いじゃない?」など評論家的な言葉よりも、「“虐め”は好かん!」「どんな理由があるか知らないが、“虐め”は絶対ダメ!」ということをはっきり伝えた方が、親の姿勢がはっきりと伝わります。子どもはそういう親の毅然たる態度を求めているのではないでしょうか。理屈より態度(実践)です。そのことで、子どもは自分の考える軸を持つことが出来、親への信頼が育っていくのではないでしょうか。

教育文化研究所 

~親と子の円滑なコミュニケーション~親子のコミュニケーション(その3)「寄り添うということ」

平成20年1月1日

 Fさんには中学生2年生のK君がいます。2学期になってから学校に行けなくなりました。「学校に行きなさい」と言っても、布団の中に潜り込んだままで動こうとはしません。学校には行けませんが塾には行っています。塾で友達と会うのが楽しみな様子です。

 学校で何があったのか「別に」と言うばかりで話してくれません。学校に行けなくなって1ヶ月が経った頃に、K君はようやく打ち明けてくれました。学校で嫌がらせにあっているとのこと。そのことが原因で、先生にも誤解されて叱られ、学校に行くのが嫌になったというのです。
  K君はもともと人の目を気にし過ぎるタイプなので、「あなたは気にしすぎるのよ。」とか、「先生だって間違えることもあるさ。」、とFさんはK君に言いました。K君は「分かってるけど頭にくるんだ。」「誤解されたままではもう学校には行けない。」と悔しそうに目に涙をためて言いました。その話を父親に伝えると、父親も「気にするな。そんなこと働き始めたら日常茶飯事だぞ」とFさんと同じように言いました。そういうやり取りがあっても、K君の状態は変化なく、学校には行けず塾との往復を続ける毎日です。

 私たちは大なり小なり子どもとこのようなやり取りをしているように思います。「気にしすぎるのよ。」とか「世の中ってそういうものなのよ」と子どもに教え諭しています。でも、子どもも中学生くらいになると、そういうことは少しは分かってはいるのではないでしょうか。それよりも、自分の気持ちを親に分かって欲しいと思っているからこそ、悔しかったこと、イライラしたことなどを親にぶつけてくるのではないでしょうか。
 親の私たちは、何か子どものヒントになること、役に立つことを言おうとしますが、子どもが待っているのは、「そうだったの。悔しかったのね。」「悲しかったんだねえ。」という言葉ではないでしょうか。自分の気持ちを分かってもらい、共感してもらいたいということではないでしょうか。

 一旦、自分の気持ちに親が寄り添ってくれることで、子どもはほっと安心し、落ち着くことができます。そうすると、親の言うことも心を開いて聴くことが出来るようになります。まずは「子どもの気持ちに寄り添う」を意識して取り組んでみませんか。失敗しつつも、少しずつ“寄り添える親”になっていけるのではないでしょうか。

教育文化研究所 

~親と子の円滑なコミュニケーション~親子のコミュニケーション(その2)「子どもの気持ちを受けとめるには」

平成19年12月3日

 Cさんには中学生3年生のE子ちゃんがいます。ある日、E子ちゃんと話しをしている時に、「小学校の頃に、或る事でお母さんからひどく怒られたことがあって、それを今も引きずっているの。」と打ち明けられました。
 そのことについては怒ったことも言ったことも親として当然のことだったと今でも思っています。それを傷ついたと言われても、こちらは悪くはないし、改めて謝まろうという気にはなりません。でも、E子ちゃんから責められているようで、こんな時どうしたらいいのかとCさんは迷っているようでした。

 親として当たり前のことを言ったとしても、感情的になると言わなくていいことまで言ってしまうことがあります。そのことで、子どもの心を傷つけることもあるかも知れません。親も生身の人間ですから、時にはそういうことがあっても仕方がないと思います。
 しかし、そのことでE子ちゃんが傷ついたのも事実です。中学3年生になり、ようやくあの時の気持ちを母親に言葉として伝えることができるようになったのだと思います。その気持ちを素直に受けとめてあげられれば、E子ちゃんはどんなにか癒されるのではないかと思いますが、そこがなかなか難しいところです。

 なぜ難しいのか?Cさんも言っているように、「こちらは悪くない」と思っているからではないでしょうか。E子ちゃんは「お母さんが悪い」とは言っていないのです。「あの時言われたことを今も引きずっている」と言っているのです。「謝って欲しい」とも言っていません。良いのか悪いのかで聴くと、謝るのか謝らないのかを考えてしまいます。
 E子ちゃんは、あの時に本当に悔しかった、苦しかった、或いは寂しかったに違いありません。だからこそ、未だに引きずっているのです。今、E子ちゃんが求めているのは、その時の気持ちを受けとめてもらいたいだけなのではないでしょうか。「そうだったんだね。辛い思いをしたんだね。」と親に気持ちを受けとめてもらいたいのだと思います。そうすれば、子どもの中にあった長い間くすぶり続けていたものが癒されるのではないでしょうか。親への信頼感はこのようなコミュニケーションを経て築かれていくように思います。

教育文化研究所

~親と子の円滑なコミュニケーション~親子のコミュニケーション(その1)「本当に大切なもの」

平成19年10月30日

 思春期は大人への脱皮の時期。この時こそ親の真価が問われます。親としてどのようなコミュニケーションが必要かを、具体的な事例を通して考えてみたいと思います。今回は中学2年生のA子ちゃんとそのお母さんのBさんの事例です。

 A子ちゃんが「お母さんお願いがあるの。」と話しかけてきました。「何なの?」と尋ねると、A子ちゃんは「化粧品を買ってほしいんだけど」と切り出しました。やっぱり!Bさんは「いくらなの?」ときくと、A子ちゃんは「5千円」と答えました。
 Bさん自身は安い化粧品で我慢しています。子どもにはそんな高い化粧品は必要ないと思いました。すぐにダメと言っても言うことをきかないだろうから「考えとく」と言って、買い気にはやる気持ちを冷ますことにしました。
 すると、A子ちゃんが急に怒り出したのです。「もう、いい!お母さんはいつもそうなんだから。」と言い放ち、ドアをバタンと締めて自分の部屋に行ってしまいました。Bさんもその態度に腹が立ちました。
 少しして冷静になったBさんはA子ちゃんに尋ねてみました。「あの時どうして怒ったの?」と。するとA子ちゃんは「お母さんは、いつも『いくらなの?』とだけしか言わないじゃない。どうしてって『なぜ?』ってきいてくれないの?お母さんは私のことよりお金のことが心配なんだ、そう思って寂しくなって・・・。」と本心を話してくれました。

 Bさんは家計を預かっている立場からついつい高いか安いかを先に考えるようになっていた自分に気が付いたそうです。日常の忙しさの中で、“本当に大切なもの”を忘れて、親子のコミュニケーションが表面的になってしまった典型です。
 A子ちゃんが化粧品を欲しいと言ったのは、ある店でもらった化粧品のサンプルを顔につけたらニキビが治ったからです。そういうことが分かったならBさんも、「他にもニキビに効くのがあるかも知れないから、お母さんも探してみるね。」という会話の展開も考えられたかも知れません。“本当に大切なもの”は何?時々、意識してみたいですね。

教育文化研究所