吉野 賢一 先生

脳からみた子育て 食卓は学びの場

平成27年2月12日

動物と人では食べ方が違います。相手の顔を見ながら食べるのは人だけです。人は相手の顔を見て、その人の思いや気分、体調や次の行為などを推察します。つまり、人は食べながら顔を見て「心」を見ているのです。家庭の食卓は、食べながら家族の顔を見る子どもが「人としての心(とくに親の心)」を学び、食べながら子の顔を見る親が「子の心」を学ぶ場なのです。

人には共感する能力があり、他者と喜怒哀楽を共有できます。そして食卓は、全員で「美味しい」「楽しい」「嬉しい」を自然と共有する場になります。その食卓で“共感”を学んだ子どもは、「悲しい」「苦しい」「辛い」の共有も可能になります。家庭の食卓で「人としての心」の大切な一部“共感”を学んだ子どもが他者を“いじめる”ことはありません。

動物は空腹で食べ、満腹では食べません。この行動は生命を維持するためにとても大切です。ところが、人は“我慢”して空腹でも食べず、満腹でも食べることがあります。この場合の我慢とは、感情や行動の自発的な“抑制・制御”を意味します。食卓は、空腹でも全員が席につくまで食べない、満腹でも手作り料理には口をつけるなど、無理なく“抑制・制御”を学ぶ場になります。家庭の食卓で「人としての心」の大切な一部“制御・抑制”を学んだ子どもが突然“キレる”ことはありません。

食卓を栄養摂取の場だけでなく“学びの場”として子どもに提供することは、家庭の大切な役割だと思います。毎日は無理でも、せめて休日には子どもと食卓を囲みましょう!

 

脳からみた子育て 学びに必要な環境

平成27年1月13日

自分のスマホ(ガラ携)の左下にあるアイコン(ボタン)は何か、覚えていますか?

学び(記憶)には、脳の働き“注意”が必要です。左下のアイコン(ボタン)にそれほど注意を払いませんから、記憶していなかったのです。学びの天才である子どもでも「注意」しなければ学べません。学びには「注意できる環境」が必要です。

人は相手の顔を見て、相手がどのような意図(心)で話し、行動しているかを推察します。顔を見るときは目と口に注意しますから、子どもと接するときは目と口を見せましょう。そうすれば子どもは自然とアナタ(の心)に注意し、アナタ(の心)を理解しようとします。「人としての心」を学ぶには「心(目と口)を見せてくれる人」の存在が不可欠です。

勉強にも「注意」が必要です。「~しながら」は問題外ですが、頭痛や歯痛、不安や悩みなど心身の健康状態にトラブルがあると注意が妨害されます。「心身の健康」は学びにも重要です。

ある予備校の先生が「どこで勉強するの?」「いま(居間)でしょ!」と言っていましたが、居間での勉強(リビング学習)がすべての子どもに効果があるとは思えません。夕食は何、妹が笑っているのは何故、父親の帰宅は何時などが気になる子どもには家族の状態を把握できる居間が、友だちの宿題の進み具合が気になる子どもには図書館が、そんなことは気にならない子どもには勉強部屋が、「注意できる場所」かもしれません。

「どこで勉強するの?」に、私なら「注意できる場所でしょ!」と答えます。

脳からみた子育て 学校と家庭での学び

平成26年12月10日

学童期は「創造の時期」とも呼ばれ、学童の脳は「自分で考え、その考えを主張しながら、何かを学ぶ」のです。主な学びの場は、もちろん学校と家庭です。

学校は子どもに“正解”を提供する場です。すべての子どもに3+5=「8」、昆虫の脚は「6本」が等しく提供されます。計算が不得意な子や虫が嫌いな子でも「35」や「4本」が提供されることはありません。また、学校には「始業時間は9時」「授業中は私語禁止」などの正解もあります。早起きが苦手な子やおしゃべりが好きな子でも、これらの正解以外は認められません。

学校が提供する“正解”から、子どもは社会生活を営むために必要な知識や常識、規則の必要性やそれを遵守する大切さを学びます。そして「集団の一員として考え、集団の一員として主張し、集団のために行動する」能力を獲得するのです。

一方、家庭はその子どもだけに合う“答え”が提供される場です。お小遣いの金額、食事の時間、ゲーム機購入の是非など、傍からみれば些細なことかもしれませんが、子どもに最も合う“正解のない答え”を悩みながら探し、提供するのが家庭です。家庭が提供する“答え”のすべてが子どもに受け入れられるわけではありません。そんなときは大いに話し合うべきです。

家庭が四苦八苦して提供する“その子だけに合う答え”から、子どもは「ナンバー・ワンでなくても、自分はオンリー・ワン」であることを学び、さらに家族との話し合いのなかで「家族の一員(個人)として考え、個人として主張し、個人のために行動する」能力を獲得するでしょう。

 

脳からみた子育て 子どもはいつ、何を学ぶ?

平成26年11月12日

 子どもは「学び」の天才です。数日の練習でスイスイ泳げるようになり、あっという間にスマホを使いこなします。カナヅチの大人は1週間水泳教室に通ってもバタ足だけ。ガラ携を愛用する大人は何度教えられてもスマホ画面を明るくすることすらできません。何が違うのでしょう?

「学び」とは「脳の変化」です。大人と違い、変化しやすい(柔らかい)脳をもっている子どもは簡単に多種多様な能力を獲得します。さらに子どもには「脳が“超”変化しやすい時期」が訪れます。その時期を「臨界期」と言います。

臨界期では、強烈(不可逆的)な脳の“超”変化が起こり、このときに獲得した能力は一生涯消えないこともあります。逆に、臨界期を過ぎてしまうと、獲得できなくなってしまう能力もあります。例えば、臨界期を過ぎてから英会話を勉強しても、ジャパニーズ・イングリッシュ(日本語なまりの英語)からの脱出は困難です。学童期はほぼイコール臨界期の真最中です。「いつ学ぶの?」のご質問には「今(学童期)でしょ!)」と即答です。

では、学童は何を学ぶのか?勉強も大切な学びの一つですから、学童にはしっかり勉強してもらいましょう。しかし、もっと重要な学びがあります。それは「人としての心」を学ぶことです。動物としての「ヒト」が人間としての「人」になるためには「心」が不可欠です。私たち大人(とくに保護者)は、学童に「人としての心」を学べる環境を提供しなければなりません。