正平 辰男 先生

~生活体験を豊かに~第6回 思春期を乗り切れる力は、児童期に身につける

平成19年3月16日

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 ほとんどの保護者が、子どもが中学生になれば、わが息子・娘も思春期に入ったなと実感します。思春期に入った子どもの中には、児童期を卒業できないまま、体だけは思春期に入ってしまった子どももいます。外見は立派な中学生、高校生なのに、やっていること、考えていることの内容は、小学生のままというのでは、その後の人生を親子ともども苦しまなければなりません。まれなことですが、大学生の中にも児童期を卒業できないまま入学してくる子どももいます。

 18歳までに教えるべきことを教えて、その後は自分一人で最低限度の生活が送れるような力を身につけてあげるのが保護者の役目です。避けなければならないのは、小学生の時期には殆ど教えることを教えないで、中学生になってから子どもの耳元に近づいては小言を言い続けるという態度です。これでは、子どもとの距離のとり方が、まるでアベコベです。
 
 児童期には子どもの身近な距離に保護者がいて、生活の場面に即して、「自分がなすべきこと」「してはならないこと」「我慢」「協調、協力」を教えていかなければなりません。それも一度教えて終わりというのではなく、何度も繰り返し身につくまで教えなければいけません。大変だといえば、大変なことです。そして、思春期を迎えたら子どもと適度の距離を保って、つかず離れず、決して目を離さずに、疾風(しっぷう)怒濤(どとう)の思春期を親子ともども乗り切っていかなければなりません。次に来る思春期を意識した児童期の子育てが必要なのです。

 思春期を乗り切っていくのに最も有効な安全装置は、わが子のまわりにいてくれる、他人様が健やかに育てられた友達の存在です。自分の子どもだけを健やかには育てられない、地域ぐるみの子育てが必要な理由もここにあります。

~生活体験を豊かに~第5回 他人と共に暮らす喜びと苦しみを体験させましょう

平成19年3月2日

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 通学合宿という生活体験プログラムの実践を通して実感したことの一つは、子どもに他人とともに暮らす喜びと苦しみを体験させる必要があるということです。10人程度の集団で、1週間という期間、文字通り「同じ釜の飯を食う」生活をしますと、必ず「わがまま」「自分勝手」「仕事の放棄」といった、いわば小さな事件が発生します。このような小さな対立や抗争を乗り越えて解決する体験は、子どもが近い将来直面するであろう人間関係のより大きな困難から、逃げ出すことなく乗り切っていくための大切なトレーニングだと思います。

 小学校2年生、3年生に上級生と一緒に合宿させますと、現代の子ども達には義姉義兄体験の場が人工的に設定される必要があることが分かってきます。弟妹の世話をするということは、何をどのように行うことであるかを、共同生活の体験を通して学んでいる子どもの姿は、子どもの生活から失われた人間関係体験の補完の必要性を大人に気づかせてくれます。

 子ども同士だけでなく、子どもと大人の人間関係体験も大変希薄なものになっています。門脇厚志先生(筑波学院大学々長)は、「社会力」という言葉を造語し、「人が人といい関係を築きながら、社会を作っていく資質や能力」と定義されました。門脇先生は、わが国の若い世代の社会力が衰退した第1の原因に、「大人と交わる絶対量が著しく減ったこと」をあげておられます。子どもを一人前の大人に育てることが親と関係者の責務ですから、そのためには子どもと子どもだけでなく、子どもと大人の人間的接触、交流を飛躍的に拡充していくことが必須の課題です。子どもが知っている大人といえば、親と先生を除けば、ほとんどいないというのでは、子どもが大人になるためのモデルも目標もないことになります。子どもが参考にしたい存在が欲しいと思っても、身近に生きた存在はないというのでは、子どもは一人前の大人にはなりにくいといえましょう。

~生活体験を豊かに~第4回 「やっていいこと」、「悪いこと」も教えなければ分からない

平成19年2月1日

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 今の子ども達の特徴の一つは、やっていいことと悪いことを厳しく教えられていない、ということをあげることができます。また、場面や場所にふさわしい言葉づかいや態度を教えられていない子どもが少なくありません。自明のこと、言うまでもなく、そうしなければいけない、さまざまなことを教えられていません。

 生活の場面ごとに、教え正されなければ身につかないことは、たくさんあります。例えば、友達を殴る、蹴るなどの暴力行為は決して許されることではありません。そんな場面では、理由はどうあれ、殴った方の子どもは厳しく叱られることになります。ところが、長い時間、叱られてもお詫びの言葉が出てこない子どもがいます。これは、その子が現在の年齢に達するまで保護者から一度も厳しく叱られたことがない、したがって、叱られる時の態度が学習できていないということを示しているのです。ある犯罪学者は、子どもを叱る保護者の態度に、規則性と平等性がないと子どもの心に罪の意識を培うことができないと言っています。規則性とは、ある行為をすると必ず叱られる、平等性とはその行為は誰がしても必ず叱られるという、叱る時の原則です。そして、子どもに必要なことは、保護者の情緒表出をともなう叱り方であって、言葉だけで子どもをしつけることはできないとも言っています。

 私流の言い方では、保護者が単なる言葉だけで説教をするという態度ではなく、体全体でわが子の行為の非を諭す気迫と覚悟が感じられる態度が必要なのです。ただし、保護者の「叱る」気持ちが子どもに届く前提には、日頃から「可愛がる」ことが必要です。子どもは、自分を誰よりも愛してくれている人の言うことだから、心から悔い改めようと思うものです

 

~生活体験を豊かに~第3回 働く体験を通して、耐性・がまんする力を育てる

平成19年1月5日

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 今の子ども達が体験していないこと、それも大変に欠けている体験は、「働く」「生産する」という体験です。それも、汚れることを厭わず(いとわず)に働くことは、ほとんど体験していないといってよいでしょう。その反対に、子ども達が物心ついた頃から山ほど体験してきたことは、「使う」「消費する」という体験です。それも、AよりB、 B よりCという具合に選んで使うという体験を、幼い頃から過剰に体験しています。

 現在は、生活が便利になった分だけ、大人も子どもも、「便利な物」に頼り、気づかぬうちに他者依存の心を強くしています。かつては、子どもにも厳しく求められてきた「子どもなりに働く」体験の場が、日常生活の場面から失われてしまいました。その分、がまんする力が弱まっているといえます。

 「働く体験」は、忍耐を学ぶに最適です。仕事は、決められた手順を守り、完了するまで止めてはならない、「がまん」を強いられます。すなわち、耐性を育てます。現在の家庭や地域でも、子どもの働く体験の機会はあります。例えば、遠足は弁当作りの演習の機会です。修学旅行は衣類や生活用具の収納訓練の、またとない機会です。雨降りの日は、傘をさして登校・下校する訓練の機会です。ある幼稚園では少し風が吹くと傘をさしてまっすぐ歩けない園児が少なくないことに気づいて、先生方が驚いたという話もあります。登下校の際の車での送迎は、子どもの歩く訓練の機会を奪ってしまうだけでなく、登下校時の友達付き合いをも無くしてしまうという、失うものの大きさも考えてみたいものです。

 夏休み・冬休みは、子どもに料理やお掃除の仕方を教えて、家庭内での実力をつける絶好の機会です。困難に打ち勝つ力こそ、子どもにつけてやりたい力です。

 

~生活体験を豊かに~第2回 失敗体験、まるごと体験の勧め

平成18年12月1日

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 前回、子どもにやったことのないことをやらせて、教えていないことを教えてやることを実行するのは簡単なことではないと書きました。なぜかと言いますと、子どもは一度や二度ぐらいの体験では何かができるようになったり、分かるようになったりはしないからです。何度も教えて、何回もさせてみて、初めて「できる」、「分かる」ようになるのが子どもです。繰り返し体験させることが必要なのです。その手間と時間をかけることが大切なのです。

 「できるまで待つ」「分かるまで繰り返し教える」こと、すなわち大人の忍耐が必要なのです。例えば、子どもにお茶碗でもお皿でも洗わせてみると、すぐ分かります。低学年の場合は、後で洗い直さなければいけない程度にしかできないレベルです。しかし、そこからしか始まらないのです。そして、時間をかけて、少しづつ力をつけていきます。それも、子どもはいつ力をつけるかといいますと、失敗する度に力をつけていくと考えておくことが大切です。大人が子どもの失敗を恐れて手を入れた、「段取り付きの体験活動」では、子どもに力をつけることは難しいのです。「準備」と「後かたづけ」を大人がやってしまうようなプログラムで、子どもに力はつきません。「まるごと体験」が必要なのです。

 子どもは、多くの失敗を体験しながら、その中から成功体験をつかみとって次第に自信をつけてゆくのです。料理研究家の坂本廣子先生は、著書「台所育児」の中で、「子どもが1歳になったら包丁を持たせましょう」と提案しておられます。わが子を相手に、提案通りの実践をしてこられた坂本先生は、「子どもは台所の前で自立する」と説いておられます。何歳から始めるかについては、子どもが何かをしたがった時が始め時だというのです。

~生活体験を豊かに~第1回 ご存知ですか?子どもはやったことのないことはできないということを!

平成18年11月15日

正平先生11月.jpg 子どもは自分が体験したことを通して、いろんな力を身に付けて成長します。子どもが一人前の人間として自立するためには、学校で学ぶ教科学習の力とあわせて社会的な能力といわれる、例えば対人関係において対立や争いを抱えながらも、つとめて円満に協調して共同生活をおくる力などが必要です。また、自分自身について自信をもつこと、将来への希望や夢をもつことが大切です。あるいは、他人への思いやりや責任感や正義感といった好ましい価値観を身につけることも求められます。

 このような子どもの成長に必要なことがらは、文字や映像や話を聞くことを通して学ぶことができる部分もあります。しかし、そのような間接体験では学べない、つまり直接体験をくぐらなければ身につかない力もたくさんあります。この学び方を体得と言います。俗に言う、「体で覚える」という場面と訓練です。

 私は小学生約10人に1週間の合宿をさせて学校に通わせるというプログラム、すなわち通学合宿を長い年月にわたって見てきました。その結果、今の子どもたちは、年齢に見合った力が身についていないと考えています。今の親をはじめとして、子どもを取りまく大人たちは、どうやら、子どもはやったことのないことはできない、教えられていないことは分からないという、きわめて単純明快な原則をよく理解できていないのではないかと考えています。

 では、どうすればいいのか?答えは簡単です。子どもにやったことないことをやらせて、教えていないことを教えてやればいいのです。厄介なのは、その実行です。答えは簡単なのですが、それを実行するのは簡単なことではないのです。