鐘ヶ江 淳一 先生

~じっくり、たっぷりあそぶことは、子どもの財産!~第6回 這えば立て 立てば歩めの 親心

平成20年10月5日

 「三間の喪失」「ス漬の生活」による子どもの遊びの変質が進行する中で、様々なからだの「育ちそびれ」が指摘されています。7月号で取り上げた体力・運動能力の低下にくわえ、保育所や幼稚園の先生方との話の中では「動きがぎこちない」「よく転ぶ」「突拍子もないケガをする」子どもが増えたという実感も多く語られます。

 お座りができる頃の赤ちゃんの両わきを支えて持ち上げ、急に体を前に傾けると、両腕を前に出して体を支えようとするパラシュート反応がみられます。パラシュート反応は、転んでも、とっさに手をついて顔や頭を守ろうするための本能的な動きといえます。10ヶ月の検診項目に含まれていることからわかるように、一人歩きに向けた運動が活発になる頃の成長具合を診る重要なポイントになっています。しかし、この時期にパラシュート反応が出現しているから大丈夫というわけではありません。パラシュート反応など、姿勢保持のためのバランスをとる平衡反応は、本能的な動きであると同時に、経験・学習によってその反応様式が質的に高まっていく能動的な反応という特徴もあります。つまり、「できた」からといって安心していると平衡反応は、習慣化せず、場合によってはさびついてしまうかもしれません。したがって、冒頭にあげたからだの操作に関わった「育ちそびれ」は、平衡反応を高めるための経験・学習が何らかの理由で不足していたといえます。「笑わない赤ちゃん」との関連が指摘されている「あやしあそび」「ゆさぶりあそび」の中にも、平衡反応を高めるための運動がたくさん含まれています。こうしたあそびをじっくり、たっぷり積み重ねることが、しっかり歩く、しっかり走る、そして、6月号で指摘した「飛び降り、大好き3歳児」の土台づくりになっています。

 「這えば立て 立てば歩めの 親心」を持ち出すまでもなく、私たち大人は、子どもが一つひとつできることが増えると、「次は・・・」とその先を急いでしまいがちです。大切なのは、その時点で子どもたちが経験していること、感じ取っていることに共感しながら励ましてあげることだと思います。ゆっくり、じっくり、ていねいに育まれたからだの育ちは、自我の形成、社会性といったこころの育ちにもつながっていきます。子どものこころとからだの育ちを確かなものにするために、家庭、保育所・幼稚園、そして、地域のいろんな人と手を結んであそび文化を継承し、あそび環境を豊かにしていくために知恵を出し合うことが求められています。鐘ケ江 淳一

~じっくり、たっぷりあそぶことは、子どもの財産!~第5回 五感を使った実体験を子どもたちに!

平成20年9月2日

 数年前、ある公立保育所から園内研修での助言者の依頼を受けました。園の先生方は、お絵かき、粘土や折り紙を使ったあそびにくわえ、「脳の発達」と関係すると言われているビーズ通し、シール貼り、雑巾縫いなどの手先・指先を使ったあそび・活動を重視した実践に熱心に取り組まれていました。鉛筆、箸、ハサミが上手く使えない、集中できない卒園生が多いと小学校との連絡会で指摘されたことが研修のきっかけになっていることが、先生方との話の中で推察されました。教育改革の課題の一つである「幼保-小連携」活動の一環とも言えますが、「小1プロブレム」の解決を保育所の先生方が一方的に押し付けられているとの印象を持ったことを覚えています。

 「三間の喪失」「ス漬の生活」が進行する中で、からだを思いっきり動かして、子どもたちの五感をフルに使いながらあそぶ体験をさせたいと願っている保育所、幼稚園の先生方は少なくありません。しかし、「何でも早ければいい」「小学校での学習に適応するために」という価値観が優先し、親や大人の思い通りになる「いい子」であることが求められるようにも思われます。思いっきりあそびこむことよりも園での様々な習い事や行事の充実を要望する保護者の声が強いことも事実です。

 「脳の危機」に関わった積極的な発言を行っている正木健雄氏(「脳をきたえる『じゃれつき遊び』」,主婦の友社)は、大脳前頭葉の「興奮」と「抑制」のバランスがとれず、その切り換えを上手くできない子どもが増加していると指摘しています。大人と、さらに、子ども同士で十分に「興奮」しながら遊びこむことなしに、子どもの「抑制」の力は育っていきません。「いい子」になるために「抑制」を強いるのではなく、乳児期以降のあやしあそび、スキンシップ、じゃれあい、とっくみあいといった身体接触を伴うあそびをじっくり、たっぷり積み重ねていくことが求められています。鐘ケ江 淳一

~じっくり、たっぷりあそぶことは、子どもの財産!~第4回 「ス漬の生活」でのあそびの変質

平成20年8月1日

 私が教育学部の学生だった1980年前後、「子どものあそび」を扱う授業で「三間の喪失」という言葉がしばしば出てきました。明石家さんまの人気が関西ローカルから全国区になった頃・・・。「三間」の一つ、「空間」について、仙田満氏(『子どもとあそび』;岩波新書)は、高度経済成長真っ只中の1965年を境にして、子どもの「室内あそび」と「戸外あそび」の時間が逆転したと指摘します。

 それから30年、子どもたちは、三つの「ス」にどっぷり漬かった「ス漬の生活」をおくっています。まず、「スクリーン」。テレビ、ビデオの普及にくわえ、「ファミコン」(1983年)、「ゲームボーイ」(1989年)の販売開始を契機とした「テレビゲーム」の出現によって子どもたちは、スクリーンを見つめながら過ごす生活に取り込まれていきました。二つ目は「スクール」。ベネッセの調査(2006年)によれば、1歳~6歳までの58%、6歳児では86%が習い事(定期的に教材が送られてくる通信教育を含む)に参加しています。私が実施している幼児の生活スタイル調査では、2~3種を掛け持ちし、週3~4日の頻度で習い事に通っているという降園後、休日の忙しそうな幼児の様子もうかがえます。三つ目の「ス」は、「スポーツ」。異年齢集団の中でからだを思いっきり動かした、かつての「戸外あそび」は、7月号で指摘した運動を「習う」キッズスポーツ産業にとって変わられた感があります。

 あそびの「空間」「時間」「仲間」の減少という量的な側面を指摘した「三間の喪失」にくわえ、「ス漬の生活」は、子どものあそびの質的な側面の変容に示唆を与えます。かつてのあそびは、何人かの友だちと、屋外で、からだを動かしながら、これといった玩具も使わず、1人ひとりが創意工夫をこらしつつ、子どもだけの世界であそぶという特徴がありました。だからこそ、体力、直接経験、社会性、創造性、やる気、精神的な安定など様々なことをあそびの中で育むことができました。しかし、今の時代を生きる子どもたちは、1人きりで、屋内で、からだを動かすことなしに、メカに囲まれて、メカの指示に従う受身の形で、大人との関連の中で時を過ごす・・・、こうしたあそびの変質の中で、「からだとこころの育ちそびれ」への深刻な懸念が広がっています。子どもがいろいろな人(他者)とかかわり、様々な事物と直接出会い、身体感覚を伴って複合的に実感する、体験を通じて学ぶ場を提供するために、保育者、保護者、そして地域の大人が連携していくことが求められています。鐘ケ江 淳一

~じっくり、たっぷりあそぶことは、子どもの財産!~第3回 体の動かし方、運動を「習う」?

平成20年7月2日

 かつては、あそびを通して自然に身につけてきた体の動かし方や運動をスクールに通ったり、家庭教師をつけたりして「習う・習わせる」時代に入ったことをうかがわせるようなマスコミ報道や調査報告が目につくようになっています。こうした中、2011年から完全実施される小学校学習指導要領改訂にともない、低学年、中学年の年間授業時間数が現行の90時間から105時間に増えることになりました。さらに、現行では中学年以降で位置づけられていた「体つくり運動」が低学年から導入されたことも改訂のポイントの一つとなっています。その背景には、「子どもの体力低下」「運動する子どもとそうでない子どもの二極化」といった審議過程での指摘に対応するために「低学年のうちから、基本的な動きを身に付けておくことが重要である」との問題意識が示されています。

 こうした学童期における「体つくり」の課題は、乳幼児期の課題とも共通しているように思われます。4~6歳の体力を1970年代から経年的に調査している近藤充夫氏らは、立ち幅跳び、テニスボール投げ、自分の身体を支える能力の低下が著しいと報告しています。私もこの数年、幼児を対象とした体力テストを実施していますが、数値の低下以上に、動きがぎこちない子どもたちが増えていることが気になっています。たとえば、肘や腕の曲げ伸ばしだけで投げようとする、投げる腕と反対側の脚を前に踏み出さず、棒立ちのまま投げる、中には、砲丸投げのようなフォームで投げようとする子どももいます。おそらく、こうした子どもたちは、ボールを「投げる」という経験だけでなく、「投げる」の動作につながるようなあそびの体験が不十分な環境の中で育ってきたのでしょう。かつては、石投げ、紙でっぽう、紙飛行機、メンコなどのあそびを通して、上手な子どもや大人のまねをしながら「投げる」動作を自然に身につけてきました。そして、先月指摘した「飛び降りあそび」が大好きな時期に、子どもたちを励ましてくれる大人もたくさんいました。そうした機会を、冒頭で示したように、キッズスポーツ産業にお金を払って「習う」ということが進んでいけば、体の動かし方や運動についても、学力と同様に幼児期からの二極化の懸念がでてくるようにも思われます。鐘ケ江 淳一

~じっくり、たっぷりあそぶことは、子どもの財産!~第2回 飛び降り大好き!!3歳児

平成20年6月4日

 3歳を過ぎる頃から、子どもたちは腕自慢的なあそびに挑戦しだします。たとえば、少し高い場所、階段や押入れなどに上っては飛び降りる、上っては飛び降りることをやたら繰り返す姿がみられます。大人の力を借りながら高い場所に立つだけで満足していた時期とどのような違いがあるのでしょうか。もちろん、最初の頃は足のクッションがうまく使えず、ドスンと落ちる感じがします。しかし、何回も繰り返すうちに着地時の衝撃を腰、膝、足首で和らげる「降下緩衝能」が高まっていきます。こうした全身のバランスをとる能力を獲得していく準備が整ってきたのが3歳児の段階ということになります。また、「からだ」の育ちにくわえ、「こころ」の育ちも見逃せません。飛び降りあそびを繰り返す3歳児の決まり文句は、「見てて!見てて!」。両手を挙げて、高く、遠くに飛び降りようとする様子は、あたかも、ウサギさんやカエルさん、○○レンジャーや○○ライダーになりきっているかのようです。そして、大好きなお母さん、お父さん、そして先生の「すごいね!」「上手だね!」といった言葉かけを受けながらあそびを楽しむことが、自我が芽生えてくる3歳児にとっては大切な体験となっています。

 掛け声と動作が同時にできるようになったことが楽しくて「勝ったと思い込んで」じゃんけんあそびを繰り返すことと同様に、何らかの能力が伸びる時期にはそれをやりたがるという特徴がみられます。こうした時期に、安全に配慮した上で、子どもたちが満足するまでつき合っていくことが「からだ」や「こころ」の育ちを確かなものとしていくためには必要です。「危ないからダメ!」「ちょっと待ってね。」「また後でね。」という何気ない言葉が、子どもたちの育ちの芽を摘んでいるということを自戒したいものです。親として、保育者として、地域のおじさんとして・・・。鐘ケ江 淳一

~じっくり、たっぷりあそぶことは、子どもの財産!~第1回 じゃんけんあそびしていますか?

平成20年5月15日

 数学者の芳沢光雄氏が、のべ700人に1万回以上じゃんけんさせた統計に基づくと、グーがでる確率は35%、パーは33%、チョキは32%だったということです。芳沢氏によると「ひたすらパーを出せば勝率は悪くない」とのこと。このグーチョキパーを出す確率、子どもたちの「じゃんけんができる」ようになる過程を表していると言えなくもありません。

 生まれたばかりの赤ちゃんには、掌(てのひら)を刺激すると握り返す「把握反射」がみられます。さらに、1歳を過ぎる頃には、自分の意志で手を開いたり、閉じたりできるようになってきます。一番難しいのはチョキ。人差し指と中指をゆっくりと立てることができるようになるのは2歳の誕生日を迎える頃でしょうか。「グーチョキパーで何つくろう」の手あそびを楽しんでいる子どもたちは、じゃんけんの動作を覚え、自分でやろうとする段階にたどり着いたことになります。

 しかし、掛け声と動作が同時にできるようになった3歳児の様子をみていると、儀式としてやっているだけで、だせば「勝った!」と思い込んで遊んでいることが少なくありません。じゃんけんの意味がわかり、それを様々なあそびの場面で使えるようになるのは、競争意識(勝ち敗けの理解)が芽生えたり、「~したら(じゃんけんに勝ったら・負けたら)、~する」という因果関係の理解が深まっていく4歳以降といわれています。そうした過程では、あやしあそび、まねっこあそびを通して模倣の対象となったり、一緒にあそんでくれる大人や異年齢集団の存在が欠かせません。しかし、子どもたちの生活やあそびを取り巻く環境が変化する中で、ジャンケンの意味がわからない年長さんが、幼稚園、保育所の先生方を困惑させている事例もみられるようになっています。次号以降では、あそびと子どもたちのこころとからだの育ちとの関係について、具体的に考えていきたいと思います。鐘ケ江 淳一