4年前のコラムにも書きましたが、私は手づくりが大好きです。
タイトルの言葉は、帰宅した娘たちが言う言葉です。
料理やお菓子つくりは言うに及ばず、家具や洋服に手芸、庭も耕運機で
花壇の手入れもします。
毎年パンジーやビオラを種から育て、チューリップ150球くらい、他にも
宿根草や多年草の手入れ、30〜40株のバラと大好きな庭です。
ターシャ・テューダーが好きで、娘たちとターシャ・テューダー展も見に行きました。
小学校の家庭科のミシンボランティアにも参加していました。
娘たちの夏休みの工作は手芸で、毎年テーマを決めるのに
私の手仕事部屋で3人でいろいろ選び、製作も楽しい時間です。
そんな彼女たちの手芸をみたお友達が、教えてほしいといってきました。
長期休みに一日手芸教室を開いて、お友達にも教えたところ、
そんなお友達のお母さんが教室をやってみませんか?と声をかけてくださり、
現在は不定期ですが、フェルトでケーキをつくる教室を開いています。
子供たちに作っていた洋服や雑貨のあれこれ、お友達がとても羨ましいと言うのだとか。
作ってほしい、売ってほしい、お店におきませんか?という声をかけていただいたこともあり、
現在3つのお店に置かせていただいています。
パパも色やデザインを指定して、こういうのを作ってといってきますし、
市販の服をリフォームしたがり、あれこれリクエストされます。
身長180センチで100キロ近くあるでっかいパパで、服のサイズもXL。
市販のが、小さかったり大きすぎたりするんですって。
世界に一つがいいんですって(*^-^*)
娘たちのお友達が先日部活の後に8人ほどやってきて、お菓子の作り方を教えてほしいと
急遽スウィーツ教室になりました。
息子たちも自宅にいて、上手に関わって遊んでくれながらの
スウィーツ教室は大変だったけれど、楽しくもあり♪
我が家にはWiiやDSなどのゲームは一個もありません。
でも我が家に来るお友達も娘たちも、ここではいらないというんですね。
息子たちは甘いものが苦手で、長男はチョコレートはにおいも苦手。
クリスマスや家族の誕生日のケーキは20センチくらいのスウィーツを3種類作るけれど、
どれもろうそく消して、デコレーションのフルーツだけ。
そこで、ロールケーキ用に焼いた薄いスポンジを重ね、クリームとフルーツを
はさむ「スポンジでミルフィーユ@フルーツてんこ盛り」を全部自分たちで
一人分ずつデコレーションさせてみたら、搾り出し袋も上手で全部ペロリ♪
おやつもお菓子を食べないので、お団子とかおにぎりとか用意します。
最近は野菜の切れ端をほしがり、私の切れ味の鋭い包丁でみじん切りを
するのが、楽しいのだとか。
ちょっと目を放した隙にカレー用のにんじんがみじん切りになってたことも。
我が家は朝と夜に5合ずつのご飯を炊きます。
これまでもおかずが3〜4種類必要でしたが、部活が終わって帰ってくる娘たちは
2〜3杯のご飯のお代わりとますますおかずをほしがるようになりました。
成長期ですね・・・・
お友達が我が家の鍋をみて、給食みたいと言ってました(笑)
いろんなことをあーでもない、こーでもないと手づくりするのが好きですが
それもこれも子供たちが学校に行っている昼間にすることばかりです。
フェルト教室も子供たちや私のペースを見てから日程など決まるので、不定期なんですね。
お店に置かせていただいているとはいえ、なかなか更新もままならず、待ってもらって
いつでも良いですよといっていただいています。
息子たちは一年を通して、起きる時間寝る時間がほとんど変わりません。
朝は6時前後に起きますし、夜は8時半から9時の間に寝ます。
彼らは睡眠中の発作を持っているので、私も同じ時間に寝ます!!!
主婦が9時には布団に入るって・・・なかなかないですよね(^_^;A
そのために7時には夕食、8時には入浴も済ませるように段取りしています。
睡眠の時間帯と食事の時間を狂わないようにしていれば、排泄や体温調整などが
安定します。
そうすると気持ちや行動も安定しますし、大きく不調になることがないんですね。
そこさえしっかり整えていれば、キャンプもお出かけも大丈夫なのです。
毎日の生活パターンと質を変えないように気を配り、同じ一日なんて二度となく
どの一日も平凡だけれど大切で、そんな毎日を積み重ねて、
いつか「子育て卒業証書」をもらえる日がくるなら・・・
そんなことを改めて思いました。
今回のコラムの内容は4回とも、とても長くなってしまいました。
短いコラムにまとめるにはどれも大切すぎて。
かいつまんで生活の一部をほんのすこし、お話させていただきました。
数年間隔でこうして家族のことをご紹介するのは、とても新鮮ですね。
自分を降りかえる良い機会になりましたし、
改めて沢山のお友達や家族に支えられているなと実感しています。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
(twinxtwin-mama)
投稿者 Kosodate : 09:00 | コメント (6)
息子たちの幼稚園から小学1・2年くらいのころ、知的障がいがあることに
気づいていない保護者の方もいらっしゃいました。
それくらい軽かったということかもしれないけれど、それが逆に彼らの負担にも
なっていました。
お友達が話しかけても、息子たちは話しかけられていると思っていないので、
「なんで無視するの?」「なんでおしゃべりしないの?」・・・とか、
すこし細かく指示してもらえたら理解できるけれど、
時々変わる掃除当番や給食当番などの細かい内容が分からなくて
「サボっている!!」といわれてしまう。
時間割の切り替えをスムーズにできないので、体育の着替えや移動教室に
時間がかかって結局固まってしまう。
3年生になってクラス替えがあり、親学級担任の先生が女の先生から二人とも男の先生、
特別支援のクラスの担任の先生も変わりました。
教科の内容もガラッと変わり、理科や社会も始まりましたが、
渡されたノートは真っ白なままで、その時間じっとただ座っているだけ?
特別な支援が必要な彼らに、十分な支援が届いていない・・・と感じることが多くなりました。
これは気をつけないと、家庭と学校とのボタンのかけ違いが起こるかも・・・
そんな危惧も感じつつ、1学期から2学期へと過ぎていきます。
彼らの言葉や行動、学校での様子をあれれ?と思っていたのは私だけではありませんでした。
去年の夏から秋にかけて新型インフルエンザが猛威を振るい、連日たくさんの保護者が
出入りしていました。
授業参観などの特別でない学校での様子を保護者が見たときに、
子どもたちの素の様子が見えたんでしょうね。
明るくて笑顔いっぱいの彼らのはず、なのに・・・大丈夫?って。
先生方も人ですから、障がいのある子どもへの理解の仕方もそれぞれでしょう。
いろいろ言葉を尽くしてみても、こんなに伝わらないものか・・・と
モヤモヤしていたころ、息子たちが「だって、わからんもん」と言いました。
意思表示が極端に苦手な彼ら、特にマイナスな感情「痛い」や「きつい」や「悲しい」など
は全く言えませんでした。
39度の熱があっても、手の指にホッチキスの針が刺さっていてもいえない。
動作が固まって、表情がこわばっているところから解いていくしかなかったのですが、
そんな彼らが、やっと言えた言葉でした。
お友達と同じように漢字も書きたいと宿題プリントももらい、私となぞり書きをし
持久走も同じ距離を走り、同じように頑張りたいと取り組んできたけれど
3年生になってからのお友達の成長はとても早かったのですね。
自分たちがお友達と同じようにはできないんだ・・・ということを自分たちで感じてしまった。
劣等感やマイナスな感情を抱えて、否定されたり強制されたり怒られているより
あなたたちのやれることはたくさんあって、少しずつでいいからそれでいいんだよって
言えるような環境にしてあげたほうがいいなと、私もパパも同じように思っていました。
小学校入学当時は、息子たちの障がいに対する捉え方が違っていた私たちですが、
パパが仕事の内容を変え、障がいに対してたくさんの専門的なことをつかんでくれたことで
子どもたち4人に対して、これまで以上に濃密で長い時間を子育てにかけているなと
感じています。
特別支援学校に転校することを、娘たちも賛成してくれ、それと同時に自分たちも
頑張るし、4人で頑張るよっていろんなときに話してくれます。
濃密で長い時間をかけている子育て、じゃあ子どもたちがいない時間帯に
私が何をやっているのか!!
ママは今日何をしていたの?と毎日聞かれる私の日常とは?!
次回に続きます(笑)
(twinxtwin-mama)
投稿者 Kosodate : 10:00 | コメント (2)
小学6年生に進級するすこし前、長女が習い事を始めたいといってきました。
やさしく穏やかな彼女が選んだのは「剣道」。
しかも、町内ではなく隣の市。
同じ学校のお友達も二人を除いていない。
彼女は、「○○君のお姉ちゃん」や「双子の○○ちゃん」といった自分を説明する
時にくっついてくる余計なところをのぞいた「自分」と向き合いたかったのかな・・・
かたくなに弟たちや双子の妹が、自分の練習も試合も見にくるのを拒んでいました。
ママには見てほしいけど、妹弟がくるなら来ないでって。
週に3日、夜の練習で親が送迎しなきゃいけないのに、私はペーパードライバー(筋金入りの!)
息子たちの食事とお風呂の時間で、どう頑張っても剣道の親の当番も
引き受けられないからオーケーは出せない。
その道場に二人だけいる同じ学校のお友達が、キャンプにも一緒に行く家族で、
家も近くなので、送迎はするから心配しないでって言ってくれたけれど、
そう簡単にじゃぁおねがい!とは言えないでしょう・・・
何度も長女と話し合い、今でも事あるごとに確認しあいながら
いくつかしっかり約束して「剣道」をはじめることになりました。
そうすると彼女はくすぶっていたものがはがれたのか、担任の先生も
驚くような嬉しい変化がありました。
自分に自信がつき、発言の内容や顔の表情、休み時間の過ごし方など
生活全般にわたって良い変化があったのだとか。
放課後の過ごし方も変わり、短時間で集中して勉強し成績も上がる。
すべてが良い方向に回り始めた・・・という感じでした。
次女はというと・・・・小さいころから思いがあふれる彼女。
良いムードも、悪く冷たいムードも作ってしまう「ムードメーカー」。
良くも悪くも遠慮しないので、はっきり物を言い弟や家族とも衝突しっぱなし。
もう少し要領よくなれんかいな・・・と思うこともしばしば。
これまでは自己主張してくるのは次女!のような雰囲気だったんです。
それがこの長女の変化に一番に反応したのはやっぱり次女でした。
直接長女に対して、ではなく私に対してなんですね。
自信がついて輝いている双子の姉、それに比べて自分はやりたいこともない、
勉強も面白くないし分からないことだらけ、このまま中学生なって大丈夫・・・?
そんなうつうつとした思いを抱えていたようでした。
何かあるとすぐに「私は勉強できんし、馬鹿やけん」って口癖になっていました。
長女が剣道の練習にいっている間はずっと台所の私の横にいたがるんですね。
「ママ、助かった?私がいてよかったやろう♪」って。
エピソードを一つお話ししましょう。
きっかけは忘れましたが、長女と次女がけんかして仲裁にパパが入って
泣きながら話す娘二人と解決するまで数時間。
こういうときは、異性の親がいいと思います。
次女は「ママと家を出て行くから、家族がいなくても良い」・・・・って。
いや・・ママは出て行かんし・・・
このほかにも、週末引きこもりもありました。
娘たちがいつも言います。
「ママが足らない」って。
ママの全部で私を見て、しゃべって、ぎゅーってしてって。
ママの1/4ずつではなく、ママの全部を自分に向けて!!
小学校の卒業式を終えて、昼間時間のある彼女たちと沢山話をしました。
毎日毎日内容は同じことなのに、不安を口にする彼女たちの心にしみこむまでずっと
いろんなことを同じようなことを言い続けました。
「あなたたちは大丈夫よ。パパとママの自慢の大好きな娘たちよ。
あなたたちが毎日頑張っていること、ちゃんと見てるよ。」
「馬鹿じゃないよ。テストで0点でも、良いの。100点もらって
そのテストのことを忘れるより、苦手なところを確認して
しっかり復習できることのほうが大事なんだから。」
二人を交互に抱きしめながら、また二人を一緒に抱きしめながら何度も話しました。
彼女たちは私にこういってくれました。
「こんな大変な4人の子供たちや家族だから、このママなら大丈夫って神様が思って、
ママのところに生まれさせたったい。」
中学生になってすぐに私の身長も追い越してしまったのに、今でも朝起きてきて
ぎゅーってします。
ママからほっぺたをなでられると幸せ〜〜なんですって。
娘たちと恋話もします(笑)
ママの元彼って誰〜〜〜?ですって。モトカレって・・・・(-_-;A
私の反抗期っていつ来るのかな〜〜?とも言っていました(笑)
中学生になってぐんと大人びた娘たち。
どの時代にも難しい中学生という人生の一時期で、有意義な時間を過ごしてほしいと
思っています。
娘たちの中学入学と同時期に特別支援学校への転校をきめた息子たち。
息子たちの明確な意思はないけれども、どうしてそうなったのか。
次回はそこのところをお話しますね。
投稿者 Kosodate : 10:00 | コメント (2)
2006年7月、このコラムに書かせていただいてから、はや4年。
当時小学3年生だった娘たちは、この4月に中学生になりました。
そして5歳だった息子たちは、地元の小学校に入学したあと
この4月に特別支援学校に転校し、元気に4年生!!です。
その後のtwinxtwin家のお話をしますね^^
と言っても・・・簡単にさらっとかけるようなことは一つもありませんでした。
まとまらずに読みにくい文章ですが、毎日試行錯誤して次から次に沸いてくる問題に
立ち向かっている現われなんだろうな〜とあたたかい目で読んでいただけたら、
嬉しいです。
当時、コラムを書いたのが息子たちが入学する準備を始める直前。
そのあとから越えなければならない大きな山がやってきます。
今考えても、コラムを書いてから後の数ヶ月間は試練のときでした。
知的障害のある息子たちですから、訓練施設や児童相談所や地元の小学校や
教育委員会と、何箇所も何度も足を運ばなくてはなりません。
このときにパパと私の、息子たちの障害の捉え方で一致していない部分があることが
判明しました。
それまでのパパは仕事が忙しく、一年を通して週末自宅にいるのは片手で足りる
くらいの日数でした。
夏休みもゴールデンウィークもお盆もお正月もいない。
地域の行事にも子供会行事にも出れない。
幼児期の子供たちには母親だけでも、どうにかこうにかやってこれました。
でも、大事な事をいろいろ話し合って決めていかなきゃならないし、
なにしろ子供たちがパパとの接し方に戸惑っている!!
断然我が家に「父親力」が足りてない!!
「仕事の代わりをする人はたくさんおると・・・父親の代わりはおらんとよ」
私は普段はいろいろ言いませんが、切羽詰まって言った言葉は効いたようです。
数ヵ月後、仕事の内容を変えてくれたパパがいました。
もう一つ、息子たちの入学にあたって気にかけていたことがありました。
娘たちが障害を持つ弟たちも一緒に通学することをどう思うだろうか・・・
障害をもつ兄弟がいる、その状況を変えることはできません。
その状況から受けるマイナスな影響を受け止めるために
やわらかくて強い心を持ってほしいし、前向きな気持ちでいてほしい。
すべてのことからガードするなんて無理だし、そういうつもりはないけれど
からかわれたり、嫌な思いをすること・・・・
そういう思いや涙は母親である私だけで十分だと思っていました。
弟たちは、排泄が確立できていなくて、会話も私の通訳が必要だったころ。
もうすぐ小学校4年生だった娘たちは、二人でぽろっと
「弟たちの着替えやトイレはどうするの?休み時間に私たちが教室にいこうか?」
と話してくれました。
私がうじうじしていたころ、彼女たちは越えていたんですね・・・
いつもママが家の中でしていることを学校では、私たちがするよって。
隠れて泣きました、本当に。
今でもウルウルきちゃいます。
彼女たちにはその気持ちは嬉しいしお願いするかもしれないけれど、
弟たちのケアで必要なことはママが学校に行くし、
あなたたちは自分が楽しいと思って学校に行くことを考えていてって話しました。
本当に本当に嬉しかったですよ(*T▽T*)
そうやって入学して毎朝の集団登校にも一緒に歩き、大波小波はあるものの
それなりに進級し、娘たち6年生、息子たち3年生になりました。
このころから少しずつ、この先は・・・・ってことをそれぞれが考えるようになっていきます。
特に、思春期突入かと思われる娘たち、双子であることにもがいている娘たちなので、
そのバランスをとるのに私もパパも一番心を砕いたところでした。
次回はその娘たちの葛藤と成長をお話しようと思います。
( twinxtwin-mama )
投稿者 Kosodate : 10:00 | コメント (8)
(無農薬の庭の70本ほどのバラと植物たち、沢山の虫たちの中から〜〜)
私は結婚するまでは、マイペースで小心者で几帳面で神経質な典型的なA型体質(?)でした。
子供を妊娠したことで、そう言う感覚は吹っ飛んでしまいました(笑)
大雑把で「ま、いいっか」、「よか、よか〜〜」
がくちぐせ(^-^)
そんな風に両極端な面を子供達がそれぞれ受け継いでしまったようです。
上の娘は、「超マイペース」
これは小学校の先生方が感心されることしきり。
人の目を気にしない堂々としたところが、周りのお友達(ハンディキャップを持った)にも向けられていて
周囲に優しい波紋を広げているようです。
下の娘は、「超神経質」
何かで前に進めなくなると、他の事ができない・・・(-_-;A
宿題しかり、時間割の準備しかり、毎日大変でした。
感覚がとぎすまされているのもこの子で、私すらまだ自覚していない妊娠を
いち早く察知して不安定になったのはこの子でした。
お腹にいた頃の話しをし始めたのも下の娘。
息子達はどうかと言うと、やはりそれぞれが受け継いでいました。
上の息子は、「小心者なマイペース」
自信がないことをごまかしつつ、マイペースなので褒めても乗ってこない。
でも、寂しがり。
下の息子は、「几帳面で神経質」
おもちゃの片づけの場所、ひらがなパネルの角を合わせた片づけ、ミニカーの並び方、きっち〜〜んと
並んでいます。
それにちょっかい出すのが、上の息子。
ちょこっと触って、下の息子を怒らせて、ダ〜〜〜〜と逃げる(笑)
子供の個性を大事に〜〜って事をよく聞きます。
親の分身ではないし、親の思惑通りに育つことなんてない。
産んでしばらくして、だんだんそれぞれの個性が見えだしてから、
こりゃ〜〜大変だぞと感じていました。
全く違うンですもの。
同じものを食べさせ、同じように話しかけ、同じように接してきたのに、こんなに違うんですよね。
子供達をそれぞれ送り出してからは、私の子供に対するアンテナはシュルシュル〜〜と
収納されています。
頭の周波数を切り替えて、自分のしたいことや趣味に没頭する時間。
子供が帰ってくる時間にアンテナが伸びて、ピコピコ回っています。
上の娘が以前、
「ママは背中にもおしりにも目がある・・・」
と言いました。
わたしは
「足の裏にも着いてるよ〜〜」
と言ったのですが、その時の娘達の「ギョッ!」とした顔ったら(^m^)
子ども達の思いや願い、辛い気持ちや哀しい気持ち、嬉しいや楽しいと言う気持ち、
その時々の子ども達の気持ちを敏感にくみ取って、哀しい気持ちなら半分に
嬉しい気持ちなら何倍にもしてあげたい。
辛い気持ちを我慢する上の娘、想いがあふれる下の娘、一方通行な息子達。
私の言葉も行動もそれぞれで変えなければなりません。
それでも私の周波数を切り替えが遅れたり、アンテナを伸ばさないこともあります。
叱らない育児なんて、とうてい出来ません。
叱ってばかりですし、怒鳴ってばかりです。
私がふてくされていることなんて、しょっちゅうあるのです(^0^;A
「もう、しら〜〜ん!!」
とブータレママになってしまいます。
そんな時、子供4人で会議があってなんだか良い子になっていたりします(笑)
1日の終わりに、猛反省するばかりです。
子供を育てているようで、実は育ててもらっている。
育児は、自分育て・・・だなと感じます。
もっと親として、人間として、子供がついてきてくれるような自慢のママと想ってくれるような
そんな女性でいたいと思っています。
沢山の読者の方がいらっしゃるところでコラムを書かせて頂く御縁を運んできてくれたのも、
子ども達がいるからですよね。
自分の育児を振り返る良い機会になりました。
こんな素晴らしい機会を与えて下さった皆様に感謝申し上げます。
私の拙い記事にコメントを下さった皆様、HPやブログに遊びに来て下さった皆様
本当にありがとうございました。
双子二組連れているママを見かけたら、もしかしたら私かもしれません(笑)
気軽に声をかけて下さいませ♪
(twinxtwin-mama)
投稿者 Kosodate : 17:14 | コメント (22)
(庭で育てている大好きな花たちと、趣味のパッチワークの大好きな布達です♪)
私の結婚生活と子育てを語るときに、外せない部分です。
結婚した頃、義母はすでに寝返りを自分で出来る状態ではありませんでした。
主人が15才の頃に義母は倒れ、以来家族や周りの方に助けられながら自宅で過ごしてきました。
義妹は10才の時から、そんな義母とずっと過ごしてきていたのです。
そこに結婚した私が同居して新しい生活が始まりました。
同居した時点で、娘達が2才になっていました。
すでにオムツははずれていましたし、ほぼ自分のことは出来る状態。
私や義妹がするオムツ替えを手伝って(?)いるつもりでした(笑)
義母は1日の大半を車いすに座って、ダイニングテーブルに着いて過ごしていました。
よだれが常に出ている状態でしたから、ハンドタオルを掛けていて、娘達がちょこちょこやってきては
「ばあちゃん、よだれがでと〜よ。」
と拭いてくれる。
義母の言葉は麻痺で分かりにくくなっていましたから、娘達が理解できる言葉は少なかったと思います。
息子達が生まれて離乳食を食べさせている横で、食べやすいように工夫した食事でなければ食べられない義母にも食事介助していました。
毎朝幼稚園に向かう時、玄関を開ける前に義母のベッドサイドで
「行ってきま〜す」
を言ってから出かけていました。
子ども達が成長するのと反対に、義母は車いすに座っていられる時間も減っていきました。
義母は家族みんなが見守る中、自宅のいつものベッドで息を引き取りました。
同居してそんなおばあちゃんを見てきた娘達は、なくなって冷たくなっていく義母も見ていました。
なくなって、3年が過ぎました。
娘達は花が咲いていると、ばあちゃんに〜〜と積みながら帰ってきます。
うちは9人家族〜〜、と娘達は言います。
介護するいろんな場面を子ども達にも自然に触れさせてきました。
義母が孫をとても喜んでいたし、そばにいると笑いが絶えない。
訪問入浴がきて、部屋で入浴しているときも肩からお湯をかけているのは子ども達(笑)
床がびしょびしょになっても、後で拭けば良いから〜〜〜と(^-^)
オムツを替えていても、義母の顔のそばで
「ばあちゃん、気持ち良い〜〜?」
とベッドの手すりから4人の顔がのぞいていました。
家庭の中から、人生の「生」と「死」が遠く離されてしまっているなあと感じます。
娘達も私も貴重な経験をさせてもらったと思っています。
「○ちゃんは○ちゃんだよね、△ちゃんは△ちゃん。
あなた達も双子だけれど、顔も違うよね、好きなものも違うし好きな色も違うよね。
みんな違うよね。
いろんな人がいるんだよ。
いろんな人がいて、それで良いんだよ。」
という私の説明も、
何となく感覚でつかんでいるようです。
珍しい「双子二組」の兄弟姉妹として育ち、家の中で車いすで過ごすばあちゃんに触れ、
知的障害のある弟たちと育っているのですから。
人にも自分にも優劣を付けることなく認めることが出来て、人にも自分にも優しく、人の命も自分の命も
大事だと感じて育っていって欲しいと思っています。
(twinxtwin-mama)
投稿者 Kosodate : 14:28 | コメント (8)
私の趣味に手作りがあります。
手や体を動かして、何かを作ることが大好きです。
そんな私を見て育った娘達ですから、手作りは嫌いではないようです。
お誕生日のケーキも手作りをリクエストしてくれますし、一緒に作ることもあります。
飾り付けを任せたこともあります。
近頃では、自分たちの手提げバッグやビーズのアクセサリー、ぬいぐるみのスカート、マスコットなど色々作っています。
作るときにはさみや針、カッターなど危険なものももちろん扱わせます。
息子達が大きくなってきてからは、子ども4人が台所に立つこともあります。
娘達は幼稚園の頃から、my包丁を持っていてカレーライスは作ってくれていました。
狭い台所に5人ひしめき合って、野菜の皮むきや切ったり炒めたり。
用意した材料から普通に作れば、もっと沢山のできあがり量だったはずといつも思います。
後かたづけする範囲の広いこと!床に戸棚や冷蔵庫の扉に壁・・・。
白玉団子を作ったときなんか、4人の指に着いてる分のほうが多い?なんて気もします(^-^;A
もちろんここでも包丁やピーラー(皮むき器)を扱わせます。
沸騰したお鍋も目の前です。
怪我したことは数限りなく、血が出る事もたびたびです。
けっしてふざけていたわけでもなく、周りの人に怪我させたわけでもありません。
怪我するたびに
「痛いね。危ないね。ゆっくりゆっくりね。そしてこんなに痛いんだから、人に向けちゃいけないんだよね。」
怪我した手を私の両手でぎゅ〜〜と包みながら、何度も何度も言い聞かせてきたことです。
怪我しないようにと扱わせないでいては、痛いことや危ないこと分からないままではないだろうかと
思うのです。
実際息子たちと絵本や図鑑を見ていたとき、どうしても分かってくれないことがありました。
それは、
「飛行機」
「空を飛ぶんだよ。ブ〜〜ンって。ゴ〜〜〜って!!」
おもちゃの飛行機をお土産で頂いて、息子達はそれを床で滑らせて遊んでいたんです。
車のように。
確かにイラストや写真で見ても、あの離発着の時の音や大きさ、離陸の時のふわっと浮いて
グングン上昇していくときの迫力は見ないと分かりません。
住んでいる町の上空ではほとんど飛行機は飛ばないのです。
ならば〜〜と、行きました、飛行場まで!!
数時間いました。
飛行場の展望室からみて、場所を変えて今度は飛び立ったばかりの飛行機の真下を見ることが出来る
道路から見て・・・。
以来息子達は飛行機を高く持ち上げて遊ぶようになりました。
ゾウやキリン、ライオンもそうです。
何度も何度も行きました。
子ども達が自分から離れるまで、気が済むまで見ています。
電車もバスも利用して切符も自分たちで買わせて、訓練施設に通います。
私や周りの大人は、こんな事くらい〜〜とすでに分かっている事柄ばかりです。
出来たものを買い与えたり、テレビやビデオで済ませただけでは子ども達の記憶には
特に息子達には残りません。
正直めんどくさいです。
食事の準備も毎日8人分、ささっとやってしまいたい。
手作りも自分だけで鼻歌交じりにやりたい。
お菓子作りもそう、お出かけもそう。
パパの運転でささ〜〜と目的地まで行きたい。
でも、子ども達はちゃんと分かっています。
お料理の時のお鍋やフライパンが熱いこと、包丁もピーラーもふざけちゃいけないこと。
ママのミシンや針山の針やはさみで遊んじゃいけないこと。
飛行機や電車が動くときの大きな音や振動。
ゾウやキリンのおしっこの迫力や猿がすばしこいこと。
出来るだけ本物に触れる機会を作ってやりたいと思っています。
いつか、雪の降る時期に高く高く積もった雪を一緒に見る〜〜これが私の夢です(#^-^#)
( twinxtwin-mama )
投稿者 Kosodate : 21:54 | コメント (4)
不妊治療を経ての、双子の娘達の妊娠(ごく初期に三つ子と言われたこともあった)。
その治療の副作用で、妊娠前半を病院で過ごし、後半の半分はベッド上安静でこれまた病院の住人。
早期破水で、入院先から救急車で大学病院に運ばれ、初めてのウテメリンとトイレ(排尿は管を入れたまま)も食事も寝たままの妊婦生活、一週間。
生まれた娘達は、1600〜1700台の未熟児。
母乳製造マシーンと化し、母乳運び屋となること、2ヶ月。
早産で未熟児で生まれ後遺症の可能性があること、その検査を定期的に続けることを約束して、退院。
それからは貧血や骨の成長を促す薬を飲ませつつ、娘達との24時間べったりの手抜き育児。
布オムツを使っていたし(しかも二層式洗濯機)、離乳食も貧血改善を目指して頑張ったけれど、
いつも頭にあるのはいかに手抜きするか。
夜泣きもなく、良く食べよく遊びよく寝てくれる娘達に、手抜き度は拍車がかかるというもの。
未熟児の検診、眼底検査など定期的な検診を繰り返して、
「順調に大きくなっていますね」
という先生の言葉に慣れかけていた。
そのころ、
「青天の霹靂」
とは、まさしくこういう事を言うのだということが、我が身に降りかかった。
「おめでたですね〜〜」
数日具合が悪く、のたうち回っていたわたしは、総合病院の内科を受診した。
そこから、「念のため」と回された産婦人科外来での、先生のお言葉。しかも、
「双子ちゃんですね〜〜♪」
泣きながら、先生に話し、病院の公衆電話から実家に連絡し、最後に自宅で待っていた夫に電話した。
前回と同様、つわりがひどく即入院、シロッカー手術などを経て、後半管理入院する予定だった日より
早く入院することになった。
ウテメリンの副作用と戦いつつ、37週を迎えシロッカーのひもを取ろうとするが、取れない。
結局、子宮口にくいこんでいるひもを肉ごと切り取り、翌日(子宮口の壁を)縫い直すという、荒療治?を経ても陣痛は起こらない。
絶対安静から一転、動きなさいと言われて39週で生まれた、双子の息子。
まだ排泄が確率せず、コミュニケーションも私の通訳が必要。
現在、小学校3年生の娘達8才、知的障害を含む発達遅延のある息子達5才。
これまでの妊娠から育児まで、どの育児本にも乗っていないような事ばかりでした
授乳している息子を抱いて、娘を肩車。
この組み合わせがもう 一つ、横で待っている・・・。
一事が万事、こういう状況でした。
よくノイローゼにならずに今まで来れたよな〜〜〜とつくづく思います。
私のこの時期のお話しをすると、どなたも涙を流して笑顔を見せて下さいます♪
大変なはずなのに、なんだかおかしいって〜〜。
「勇気をもらった〜〜」
「まだ頑張れるって思いました〜〜」
「自分の苦労なんて苦労じゃない!」
いろいろな感想を頂きます。
私なんかより、もっと大変な方は沢山いらっしゃいます。
それでも私の話で笑って頂けるなら、いくら でも聞いて♪って感じでしょうか(^-^)
これからも試行錯誤の育児は続くのでしょうが、楽しく明るく過ごしたいと思っています。
人生笑ったもんの勝ち♪
(twinxtwin-mama)