子どもの成長は日進月歩です。
私の娘も、私が妻から育児を引き継いだ時は寝返りも打てなかったのに、今やペンギンみたいにペタペタと、そこらじゅうを闊歩しています。
このような進歩がわずか250日程度の期間におこったのですから、考えてみると感動的です。何の変化もないように思える250日でしたが、巨大なジグソーパズルのピースのように、各々の日々でちょっとした変化があったということでしょうか。
そんな私の育休期間も残すは100日程度。
・・・書いてみるとまだ結構長いような気もします。しかしまあ、気分的には終盤に入ったということで、多少強引ですが育休期間の感想みたいなことを書いて、最終回のコラムらしくしたいと思います。
内容もヘチマも無いようなことばかり書いて終わるわけにもいきませんので。。。。
さて、これまで育休期間でもっとも楽しかったこと、それはやっぱり、娘と触れ合えたということでしょうか。
私の父は子育てに無関心で、子どもが3人もいながらダッコ一つしたことが無いという、なかなかの頑固者でもあったそうです。
他方で今の私は、さながらコアラにとってのユーカリの木といった感じです。娘の寝床であり、避難場所であり、間接的ではありますが食料源でもあります。我が娘が何を考えているのか、実はさっぱりわかりませんが、どういう感情にあるのかは、抱きつき具合で大体わかります。娘は娘で、私のちょっとした身体の動きから「どうも床に降ろす気だな」「さては寝て欲しいらしい」くらいは読み取ってくれています。
父と私、どちらのあり方が子どもの成長にプラスであるかは一概には言えないと思います。しかし、少なくとも私の人生に絞って考えると、このように娘の生命を肌で実感できる期間を持つことが出来て、将来、本当に良かったなぁと実感する時が来そうな気がします。
反対に、これまでの育休期間でもっとも苦労したこと、それは職場復帰への不安です。
もちろん不安といっても、いわゆるサザエさん症候群ではなく「復帰しても第一線でやっていけるよう、常に復帰を意識しておかなくては・・・」という不安です。
これは男性特有というより、女性でも職場復帰を前提として育児をしていれば抱えることになる不安だと思います。
時勢に疎くなってはいけないし、出来れば資格の勉強もしておきたい。しかし、そんな時間が意外に確保できない。それどころか、なんだか没交渉なうちに口下手になってきている・・・となれば、社会人として不安は重大です。
確かに、「今は育児のことだけ考えて、復帰してから考えればいい」と割り切るのも一つの選択肢でしょう。しかし、私に限らせてもらえば、一年間も育児のことだけ考えて過ごしたら、本当にユーカリの木になってしまいそうです。とても選択できません。
俺はユーカリじゃないんだぞ、と自戒しながらコアラに葉っぱを食わせるユーカリの木・・・想像すると何だか楽しいですが、そのような苦労がずっと付きまとっているわけです。
たいした感想にはなりませんでしたね。
幸いにして、私にはまだ100日間程度、十分に子どもを世話できる機会が残っています。
今回コラム執筆の依頼を頂いたことで、自分の現状について色々考える機会が持て、残りの100日間程度を過ごすうえでの、反省点やら方向性やらが感じられた気がします。
この1年についての感想は、まだまだこれからの行いで良くしていきたいところです。
4回のコラム、お付き合いいただきありがとうございました。みなさま良いお年を。
(黄シャツ)
投稿者 Kosodate : 13:02 | コメント (2)
年賀状の受付が始まりましたね。
まだ12月も中旬ですので、「年賀状」と聞くだけで胃が痛くなると言う人は、まだ少数派でしょうか。
別に皆さんを急き立てるためというわけではないのですが、今回はその年賀状についてです。
平成21年の年賀状について、先日私と妻とで話し合いがありました。
本年度まで夫婦別個に出していた年賀状を、来年度より夫婦共通の年賀状に統一しないか、というのが主な議題です。
妻曰く、他の多くの家庭がそうしているし、そのほうが効率的だから・・・。
言われれば、なるほど確かにそれはそうかな、とは思います。
もちろん、効率的とはいっても、実際には年賀状作成の手間が私一人に押しつけられることになりますから、妻にとっての効率性に過ぎません。しかしまあ、私も器の小さい男だとは思われたくありませんから、その点については夫として多少は妥協の余地があろうというものです。
重要な問題は他にありました。
裏面のデザインです。
妻が娘の写真入りのデザインにこだわっているのに対し、私は娘の写真無しのデザインにこだわっているのです。
娘の写真の入った年賀状を出すことに、私はどうも抵抗があります。
だって、親バカに見られたらイヤじゃないですか・・・。
もちろん、他の人から子どもの写真入りの年賀状を受け取る際に、その人を親バカと感じるかというと、そういうわけでもありません。(別に親バカでも構いませんが)
むしろ「あの人、幸せにやってるんだなぁ。」などと、こっちまで幸せな気分になってしまいます。
にもかかわらず、自分が出すことについては、やはり親バカそうで嫌なのです。これは実際の効果どうこうというより、自分の美的センスとか価値観とか、そういった問題なわけです。
人様の前では、子が可愛くないかのように振る舞わなければならない。それが我が国古来からの謹みってもんだ・・・。
妻に言わせれば、現代社会に対応できていない保守的な田舎者なのです、私は。
写真を入れないならいいぞ。いやいや、写真は入れないとダメだよ。
ということで結局、年賀状統一について結論は持ち越しとなりました。
ちなみに姉夫婦にこの話をしたら『干支の絵が入っただけの葉書送ったって、意味ないやん。』とのことでした。どうも情勢はよろしくありません。
もしこのコラムを読まれる方で、私の年賀状を受け取る方がおられましたら、そのデザインから我が家の力関係を推し量る、なんてことはなさらないでくださいね。
(黄シャツ)
投稿者 Kosodate : 14:00 | コメント (1)
最近寒くなってきました。
寒くなったら、温かいものが飲みたくなりますよね。
私もいい年したおっさんになってしまいましたが、実は未だにココアを飲むのが大好きだったりします。
朝起きて、妻も娘も起きないうちにゆったりと飲むミルクココアと、夜、妻も娘も寝ている間にじっくりと味わうウイスキー入りココアが、最近の一番の楽しみです。
先日、このおいしいおいしいココアを娘にもちょいとばかり飲ませてあげようとしたら、妻に止められました。カフェインが入っているから、と。(ウイスキーじゃありません)
それじゃあ、おまえが飲ませてる紅茶や緑茶はどうなんだ!
一家に二人も親がいると、こんなことでもケンカになるという、ほんの一例です。
育児における夫婦間紛争は、他にも枚挙にいとまがありません。
卵を食べさせるか否か、牛乳を飲ませるか否か、米国産牛肉を食べさせるか否か、テレビを見せるか否か、エアコンを使うか否か、直射日光にさらすか否か・・・などなど。
私が「何でも食わせるのが良かろう」的な適当タイプであるのに対し、妻は「あれもダメ、これもダメ」的な原理主義過激派なので、およそ育児関係の事柄は全て意見が対立しているといっても過言ではないでしょう。
しかも、たいていの家庭では夫の方が折れて、とりあえず表面上は解決、ということに成ろうかと思いますが、今の我が家では違います。
「娘を世話しているのは私なんだから、娘のことは私が決める」という私の意識が、容易に折れるのを妨げます。妻は妻で、母親が育児の主導権を握るのは当然だという意識で折れません。
「国に二君なく・・・」ではありませんが、娘の育児責任者が二人もいることが、円満な家庭運営を困難にしているようです。
もっとも、最終的には私の意見が通る結果となります。
どんなに妻が頑張っても、一日の多くの時間、娘と私は二人っきりなのですから、結局は私の判断次第なわけです。
おかげで娘は米国産牛肉を食べられるし、日溜まりで遊ぶこともできています。テレビも、一応妻の意見を聞き入れて短時間としてますが、「おかあさんといっしょ」ぐらいは見れています。たとえ妻が承知していなくとも、なにバレやしない、というわけです。
たぶん、妻もうすうす気づいていると思いますが。
どうでしょう?
世の中に「うちの旦那も育休とったらなぁ」とか考えている女性は多いかもしれませんが、私という先例を見るかぎり、そう良いことばかりでもないかもしれません。
特に、育児について哲学のある女性にとっては・・・。
もちろん、夫婦がお互いに理解し合って仲良く子育てできるのなら、それが一番ですけどね。「和をもって尊しとなす・・・」ではないですが。
(黄シャツ)
投稿者 Kosodate : 10:08 | コメント (3)
初めまして。
12月の本コラム担当となりました黄シャツ(仮名)です。今年の4月から1年間育児休暇をいただいている関係で、育児初心者ながら育児について何某か書かせていただけることとなりました。28歳男性です。よろしくお願いします。
ちなみに写真が育児対象の娘(1歳3ヶ月)です。普通、赤ちゃんの写真をみると、人はお世辞でも「君にそっくりだな」とか言ってくれるものだと思っていましたが、この子についてはどうも「奥さんに似たんだね」とばかりコメントされてしまいます。
さて、何から書きましょう・・。
先日こんなことがありました。
平日、私は毎日近所の大型スーパーに娘をつれて出かけるのですが、とある月曜日、そのスーパーの魚屋の店員さんから「あ、昨日は奥さんが来てましたね。」と話しかけられたのです。
その店員さんとはしばしば話すので、別に話しかけられても不思議ではありません。
ただ、この店員さんが私と妻の家族関係を理解できていることが、意外でした。
我が家では、別に不仲が原因というわけでもないのですが、家族3人で買い物に行くことは、ほとんどないのです。妻が買い物に行くときは(そもそもこれが滅多に無いんですが)、私は留守番か別行動です。前日、つまり日曜日は、妻が娘をつれて買い物に行き、私は家でゆったりコーヒーでも飲んでいたわけです。
なのに、なんで私の妻だと分かったのだろう・・・。
月曜日の夜、夕食を食べながら妻にその話をしてみました。
すると妻は笑いながらこう言います。
「実は昨日、そのスーパーのエスカレーターで、『あらあら、今日はお母さんなのね〜。いいわね〜。』って言われたよ。見知らぬ客のおばさんから。」
つまり、私の娘を抱いているから、「ああ、あの男性がつれてる赤ちゃんのお母さんだな」とスーパーの色んな人から思われた、ということのようなのです。
スーパーの中でそんなに私と娘が目立っていたとは・・・。こんなことなら毎日ちゃんと娘の顔ぐらい拭いてやってから出掛けるべきだったか・・・。いや、そもそも自分も髪ぐらいセットすべきだった・・・。などと考えるとクラクラきました。
他人のふり見て我がふり直せ、とは言いますが、確かに、たまに若い男性が子どもと二人でいるのを平日に見かけると、私も結構注目してしまいます。
「この人はどういう事情で平日に育児してるんだろう?育休かな?それとも交替制勤務かな?いや、ひょっとしたら専業主夫だったり?いやいや、実は会社にリストラされたのかも・・・?」
などと、同じ境遇の私でさえ感じてしまいます。我が身もそのように見られているかもしれないということは、育休に入ったころは認識していましたが、いつのまにかに忘れていました。。。慣れとは恐ろしいものです。
数が少ないから目立つかもしれませんが、育休中の父親のやってることは育休中の母親のそれと変わりません(たぶん・・・)。それゆえ今月あと3回のコラム、あんまり面白いネタがなくて焦っていたりするのですが、どうぞお付き合いください。
(黄シャツ)