ふくおか子育てパーク

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2007年06月01日

子どもを叱ることの難しさと、きんきゃんのこれから

こんにちは!やましーたけこと、山下智也です。
これが最後のコラムですね。

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昨日、中1の子が久々にきんきゃんに遊びに来てたんだけど、スタッフがいないところで、どうやら公園で火遊び(ライターで枯葉を焼いたり、煙玉で遊んでたり)をしていたようで、それを見た5年生の男の子が僕にそのことを伝えにきた。

基本的に、僕は自分が直接目にしたことしかきつく叱らないという基準をもっているし(他の人の証言が信用できないってわけじゃなくて、その子への説得力を持つために)、例えばプレーパークなんかでは火を使える環境をつくっていこうという動きがあって(もちろんそこでは、その責任も含めて子どもたちに自由を与えてるけど)その魅力も知ってるもんだから、そりゃ遊びたいよなぁっていう思いもあったりして。ただ、この公園では禁止されているわけだし、実際にこの場では危険な遊びだから、彼に注意だけしておいた。そして「もうしない」と約束をして。子どもたちも「わかった」と納得して、その場は一旦おさまった。

18時になって、きんきゃんを閉める時間になったので、公園にいる子どもたちに声をかけに行くと、そこにはちょっとだけ煙が立ちあがってる。僕の姿が見えたことで、慌てる数人の子どもたち。ふいに、僕は大声を上げて、その子の名前を呼んだ。たぶんこれまでのきんきゃんの中で、一番の大声で。その子がビクッとしたのが見える。周りにいた子たちも、ビクッとしたのが見えた。場が凍った感じ。
そして、彼を呼び出し、自分なりにきつく叱った。火遊びをしたということもだけど、一度僕と約束をしたのに、それを破ったことに対して。一度目のときの迷いはなく、ガツンと。約束を破ったこと、そしてここで火遊びをすることの危険性、1年生もいるなかで、中学生がそんな遊びをすることの危険性、彼にしっかりと伝えた。彼にもちゃんと届いたと思う。その手応えがあったからよかった。

今回の「叱り」は、割と迷いはなかった。もちろん思うところもあるけど、きちんと叱れた感はある。そしてそれは、僕と彼との関係性の深さにも関係してると思う。

一度彼を叱り、30分以上も無言の時間を過ごしたときがあった。彼が他の子どもを叩いた理由を聞き出すまで。ただ頭ごなしに叱るのではなく、なぜそうしたのかをしつこく追求した。お前がしゃべるまで、俺は帰らない。きんきゃんを閉める時間が過ぎても、沈黙は続いた。そして最後の最後に彼は、蚊の泣くような微かな声で、自分なりの理由をこぼした。
それが聞きたかった。
彼はどうしても、悪者に見られてしまう。なんでもかんでも、彼が悪い、になってしまう。叩いたことはもちろん悪い。でも、なぜそうしたのか、彼はすぐにだまりこんでしまうクセがあった。だから追求した。
彼には彼の理由があった。それをちゃんと話そう。じゃないと、お前だけが悪者になってしまう。そう話したとき、彼は目に涙を浮かべてた。

こんな体験をした後、俺と彼の間に信頼関係のようなものが生まれてた。そして今日。

彼をガツンと叱ったけど、中学生になってもまだきんきゃんに遊びに来てくれてる彼だし、きっとまた、遊びに来てくれると思う。その確信はある。

*****

子どもを「叱る」のには、本当にパワーがいる。今でこそ、それぞれの子どもたちとの関係性の中で「叱る」ことはあるが、最初は全くダメだった。変に口を出すと、子どもが遊びに来なくなるんじゃないか、嫌われるんじゃないか、という逃げ腰の自分。

 でも、きんしゃい通りにいる、あるおじいちゃんが、子どもをガツンと叱った場面を見て以来、僕の考え方・姿勢も変わってきた気がする。
 あるとき、子どもが何かイライラしていたのか、机をガンっと蹴っとばして、そのまま出て行こうとした。机の上のものがひっくり返りかける。ちょうどきんきゃんに立ち寄っていたNさんは、彼を怒鳴りつけた。「何でそんなことをするんか!」すごい剣幕でまくし立てる。いつもは陽気で、やんちゃな5年生は、最初は苦笑いしていたものの、徐々に表情が変わっていく。最後には、涙も浮かべていた。
 きっと、直接関係のない大人に叱られた経験なんて、なかっただろう。だから、最初はちょっと苦笑いも見せてて。でも、いつの間にか、Nさんの声が、彼の心に届いていた。
 「もう時間やから、帰れ」のNさんの声に、すごすごと帰る5年生。そんな彼の背中に、Nさんは、もう一声、付け加えた。「また来いよ」

 子どもに禁止ばかりする社会には、疑問を持っている。でも、「叱る」ことをしないのは、違う気がした。それは、必要なこと。

 それ以来、基本的にはいつも楽しく子どもたちと遊んでいるのだが、自分が必要だと思ったときには、子どもを叱るようになってた。ちゃんとその子どもの目を見て。目を逸らすなら、こっちを向かせて。
 とはいっても、叱るときは、すごく自分の心も揺れている。叱ってはいるけど、こっちの都合で叱ってしまってはいないか。ちゃんと子どもがわかるようにしかれているか。叱る基準がぶれてしまっていて、子どもに不公平感は生まれていないか。そもそも、きちんと叱れていても、どこかモヤッとしたものは残ってしまう。

 ただ、あるとき、取材の方が来られて、子どもに「やましーたけってどんな人?」と聞く場面があった。
Yくん(5年生)「やさしくてねー、メガネでノッポ。こう見えても、大学生よ」
やましーたけ「どういう意味だよ(笑)」
Yくん「ひげが(ちょっと生えてるから)ね(笑)」
Tくん(4年生)「でもね、怒ったら、怖いとよ。ときどきね」
やましーたけ「え、どういうときに?」
Tくん「誰かがね、ケガさせたときとか、いたずらをしたりとか!」
Yくん「決まりを破ったりとか」
彼らは僕が叱る場面をしっかりと見てくれていた。そして、その叱る基準も、子どもたちなりに理解してくれていたことが、何よりも嬉しかった。子どもたちがわかってくれているからこそ、僕もきちんと叱れるのかもしれない。子どものおかげだ。

*****

 子どもを叱る機会なんて、なかなかない。そういった意味では、僕は地域の方にそれを教わったことは大きい。そして、子どもたちとの関係の中で、「叱れる」ようになってきたことは、大きな糧である。僕も、地域や子どもに、育てられている。

 こちらの勝手な都合で叱るのではなく、子どもたちにわかる基準で、しっかりと叱らないといけない。子どもがそこで自分なりに納得をして、次に繋がっていかなければならない。そもそも、「叱る」ことができるように、その子どもたちとしっかりと関係性を作っていかなければならない。叱るときはガツンと。でも、叱りっぱなしではなく、きちんとその子どもの声を聞き、最後にはまた笑顔で別れられるようにしたい。

 もちろん、僕の叱り方なんてまだまだ。こうは言ってみたものの、迷いや悩みはいつも付きまとってる。でも、子どもと関わっていくなかで、切っても切り離せないことだし、これからももっともっと、考えていかないといけないと思っている。

*****

 そんなことを考えつつの、きんきゃんです。
 きんきゃんはこれからも、毎日毎日、続いていきます。先のことはわからないけど、子どもたちと約束する「また明日!」を大切にして、一歩ずつ、進んでいこうと思っています。そして、この箱崎の、きんしゃい通りの、当たり前の姿として、きんきゃんが生き続いていければと思っています。
 僕だけのきんきゃんではありません。他の大学生スタッフ、商店街の方々、地域の方々、保護者の方々、このコラムを読んでくださっている・きんきゃんを理解してくださる方々、たくさんの方々に支えられて成り立っているきんきゃんです。そして、ここに遊びに来る子どもたちなしには、きんきゃんは成り得ません。感謝の気持ちなしにはいられません。
「みんな」で、これからのきんきゃんを支えていきたいです。これからも、きんきゃんをよろしくお願いします。

IMGP3342.JPG


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今日で、僕のコラムは最後です。まだまだ子育ても経験していない若造が、もっともらしいことを言っちゃったりして、お恥ずかしい限りです。稚拙なコラムを読んでくださった方に、本当に感謝してます。ありがとうございます。
もっともっと、きんしゃいきゃんぱすのことを紹介したかったのですが、次の方にバトンを渡したいと思います。きっと魅力的な「子育て」を伝えてくださると思います!今度は読者として、コラムを楽しみにしていきたいと思います。
それでは、また!

(きんしゃいきゃんぱす 山下智也)

投稿者 Kosodate : 09:31 | コメント (4)

2007年05月23日

きんしゃい通りという場の力

こんにちは!やましーたけこと、山下智也です。

最近、ちょっと印象深い出来事が起こったので、早速紹介してみたいと思います。

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先週のある日、もうきんきゃんを閉めようと片付け始めていたとき、息を切らしながらも、目を輝かせながら、4年生の男の子2人組が駆け込んできました。

「どうしたと??」

声をかけると、満面の笑顔で僕たちの目の前に差し出したモノが、これ↓

タコ.JPG


そう、タコです!
どうやら、自分たちだけで箱崎浜(博多祇園山笠のお汐井取りの場所)まで出かけていって、見事ゲットしてきたとか!!
1人の男の子は、タコをだらーんと伸ばしたりして、僕たち大学生や他の子どもたちに見せてまわります。タコを嫌がる大学生を追い掛け回してみたり(笑)
もう1人の男の子は、小さな瓶の中にタコを詰め込んでました。一見、イカの塩辛の瓶にも見えますけど、モゴモゴとうごめいていて。どうやらタコは2匹いたみたいでした。
僕自身、箱崎に住んで6年目ですけど、箱崎浜でタコが取れるなんて知らなくて。なんだかんだで、箱崎のことについては子どもたちの方が先輩です(^^;

5年生の男の子たちも興味津々で、4年生にどこで取れたかを具体的に聞いたり、コソコソと相談をしたりしてました。僕もそれにちょっと加わったり。そして5年生の男の子たちは、翌日にタコ取りに行くことを決めたようです。さーて、どうなることやら。

*****

翌日。
今日も、そろそろきんきゃんを閉める頃かなぁと思っていたところ、ソレはやってきました。5年生の男の子だけでなく、4年生の男の子、女の子も混じった7〜8人の自転車集団が到着!そして、僕たちを見るなり、「取って来たよ!」と嬉しそうに駆け寄ってきました。彼らが抱えていた大き目のカブトムシを入れるような虫かごの中を覗き込むと、ウヨウヨとタコがいるわけです!!

ウヨウヨのタコ.jpg


うーん、何匹くらいいるんでしょうか?パッと見て、15〜20匹はいました(虫かごも複数ありましたし)。しかも、子どもの顔くらいの大きさの巨大イカも捕まえてきていて、子どもたちはもう意気揚々としてます(^^)
そして、彼らは一目散に、きんきゃんの隣の隣にある魚屋さんに駆け込んでいきました。魚屋の若いにーちゃんや店長のおっちゃんにタコやイカを見せつけながら、子どもたちは活き活きとした笑顔でタコ取りのことを説明します。きんきゃん周辺で遊んでいた子どもも、「なんかおもしろそう!」と近づいてきて、いつの間にか魚屋の中に子どもたちがワラワラ(笑)
そこで魚屋の若いにーちゃんが気を利かせてくれて、巨大なイカをさばいてくれることに!いつしか子どもたちは調理場にも足を踏み入れていました。そして、イカがさばかれていく様子を、間近で、目を凝らして、ワイワイと、でもときに真剣な表情を見せながらも、じっくりと見守ります。(中にはきんきゃんのビデオカメラでその様子を撮影する中学生もいたりして)

きんきゃんの隣の隣にある魚屋さん.jpg


イカの墨を触ってみたり、切り取られたイカの口を触ってはキャーキャー言ったり、もう魚屋自体が遊び場になっちゃって(^^;
ご迷惑じゃないかなぁと思いつつも、以前からマグロの巨大な頭を見せてくださったりと、子どもたちに寛容で、温かい方々だったこともあって、今回も優しく受け入れてくれました。

さらに、子どもたちは、さばかれたばかりのイカ刺しを、しょう油も何もつけず、そのまま食べちゃいます!ある男の子が僕にも分けてくれて、その美味を堪能しました。

さばかれたばかりのイカ刺し.jpg

たくさん取れたタコは、子どもたちで山分けして持って帰っていきました。翌日にある5年生の男の子に聞くと、その晩の夕食でタコを満喫したとか☆

また、魚屋のおじちゃんに聞いたんですが、浜であんなにもタコが取れるなんて知らなかったとか?!子どもたちの方が、まちをたくさん探検している分、まちのことを知ってるのかもしれませんね。


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あまりにも子どもたちのワクワク感に溢れきっていて(スタッフも!そんな様子に足を止めた、他の商店主や買い物客の方々も!)、きんきゃんはいつもよりもちょっと長めに開けちゃいました。

こんな子どもたちの姿を、嫌な顔一つせず、温かく受け入れてくださる商店街の人々には、感謝の気持ちでいっぱいです。
急に立ち現れた出来事なのに、当たり前のように受け入れてくださったのが嬉しかったし、こんなことが起きちゃえることに感動もしました。さすがきんしゃい通りって感じです。
きんきゃんとして、というよりも、 きんしゃい通りとして、すごく充実した一日でしたし、場の持つ力を強く感じた一日でもありました。

そして、『地域の子どもが育つ』ということの一側面が垣間見られたんじゃないかなと思っています。

きんしゃい通りという場の力.JPG


(きんしゃいきゃんぱす 山下智也)

投稿者 Kosodate : 11:04 | コメント (6)

2007年05月16日

春のピクニック(きんピク!!)

こんにちは!やましーたけこと、山下智也です。
(あ、きんきゃんでは「やましーたけ」と呼ばれてます。なぜかはヒミツです(笑))
コラムの更新が少し滞ってしまってごめんなさい。これからはどんどんと更新していこうと思ってます!

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さて、きんきゃんではこの前の日曜日に、海の中道にピクニックに行ってきました!最近のきんきゃんはたくさんの常連の子どもたちで溢れかえっていて、少し手狭になってたんです。体を使って思いっきり遊びきることがなかなかできません。そこで、「春のピクニック」ということで、海の中道で思いっきり遊んじゃおうと思ったわけです。

 何人くらいの参加者があるかなーと思ってましたけど、蓋を開けてみると、子ども26人、スタッフ12人の大所帯!賑やかにピクニックはスタートしました☆

picnic.jpg

 今回のピクニックでは、きんきゃんらしく、遊び道具等はこちらである程度用意したものの、後は基本的にノープラン。でも、子どもたちはどんどん遊び始めます。11時〜15時くらい芝生広場にいたんだけど、その間中ずっと野球をしていた子どもたち(男の子も女の子も)もいましたし、大きなアスレチックに向かっていって、そこで大規模におにごっこをしてみたり。
 お昼ごはんを食べたあとは、「動物の森」に出かけて動物と触れ合う子どもたちもいました。4年生の男の子たち3人組は、自分たちだけで海の中道を駆け回り、貴重な体験をしてきたようです。スタッフと子どもたちの間ですごく親密な関係も生まれたようで、一見「家族」のようなグループもありました(^^)

morumotto.jpg

kazokuka.jpg

いつものきんきゃんが、いつもと少し違った場で、でも当たり前のように立ち現れてて、スタッフも裏方で奔走するだけでなく、子どもたちと本気でおにごっこをしてみたりもして、でも思いっきり遊んじゃわなくても、同じ場に浸っておくだけで、十分満足だったりして。
スタッフに「お疲れさま」っていう言葉が似合わないくらい、スタッフ自身も一緒になって遊んでいて、「楽しかったね」が合言葉になっていて。

 そう、今回はかつての常連だった中学生の男の子が、「スタッフとして参加したい」と名乗り出てくれまして。その気持ちが嬉しかった!実際に小さい子どもたちの面倒をみてくれる場面もあったりして、ホントに温かい気持ちになれました。

tyuugakusei.jpg


ピクニックからの帰り道の一場面はこんな感じです。ちなみに一番左がやましーたけです。

dennsya.jpg

*****

ピクニックを終えて、率直に思ったこと。それは、子どもたちの周りには、『思いっきり遊びきれる環境がなくなってきている』ということでした。3時間近く、ずっと野球をしていた子どもたちを見ていると、野球などのボール遊びをして遊ぶことのできる場自体の少なさを痛感します。
「最近の子どもは遊べない、ゲームばかりしてる」なんて、よく言われます。僕の個人的な意見としては、子どもたちにとってはゲームもコミュニケーションツールのひとつになってきているので、それを全否定するつもりは全くないんですが、それでもこのピクニックでは、ゲームを持ってきていた子どもも、結局は夢中になって芝生のうえを駆け回っていたわけです。子どもの能力として遊べなくなっているわけではなく、遊びきれる環境がなくなっていることを思うと、やっぱり悲しい気持ちになっちゃいますよね。
 『いかに子どもたちが遊びきれる環境を支えていけるか』、それこそが、子どもたちが地域の中で活き活きと育っていくための重要なキーワードなんじゃないかなと思ったりしました。

*****

 無事にピクニックを終えた翌日、きんきゃんを開けようと自転車で商店街に向かっていたら、見慣れた顔が前から近づいてきます。昨日のピクニックで自分たちだけで冒険して回っていた4年生の男の子たちです。
 「よっ!」とお互いにあいさつを交わすと、ある男の子が、僕の自転車のかごをイジイジといじりながら、こっちから聞いたわけでもないのに、
「昨日、めっちゃ楽しかった!!お母さんにも言った!!!」と、はじけんばかりの笑顔☆
 そんな笑顔を見せられると、「今日も楽しくきんきゃんを開けよう!」と、こっちが元気になっちゃいます(^^)

(きんしゃいきゃんぱす 山下智也)

投稿者 Kosodate : 20:06 | コメント (7)

2007年05月01日

『きんしゃいきゃんぱす』ってどんなとこ??

はじめまして!

九州大学の山下智也と申します。
「えっ?学生が子育てコラム??」って思った人もいらっしゃるのではないでしょうか。
っていうか、僕自身がそうでしたから(^^;

もちろん僕には子どもはいませんし、
「子育て」について語るなんてオコガマシイなんて思ってしまいます。

ただ、僕自身の実践・研究でもありライフワークでもある「きんしゃいきゃんぱす」の場で、
「子どもたちが、そして僕自身もが地域の中で育っている」姿をお伝えすることならできそうだと思い、
このコラムを引き受けることにしました。

「若造が偉そうに!」なんて思われるかもしれませんが、
温かい目で見守っていただければ嬉しいです☆


*****

小学校の放課後の時間になると、商店街のある一角に、騒がしさにも似た活気が生まれます。
下校中にその場に立ち寄っては、大学生のスタッフと話し込む子ども。
大学生のスタッフの名前を大声で叫びながら、自転車で駆けつけてくる子ども。
何にも言わず、当たり前のようにすぅっと入り込んできて、椅子に堂々と腰掛ける子ども。。。
次第に、子どもたちが集まり始め、
気がつくとこの商店街には、子どもたちの声が響き渡っています。

「きんしゃいきゃんぱす(通称きんきゃん)」

zentaizou.jpg

それは、福岡市東区の箱崎商店街のなかにある、日常的な子どもの遊び場です。


元々は商店街の空き店舗を活用した、大学の研究室でした。
でも、そこでカキ氷屋をやってみたりなんかすると、
子どもたちが少しずつやって来始めたんです。
そして、子どもが子どもを呼ぶ形で、芋蔓式に子どもが流れ込んできちゃって、
もはや研究室として読書をしたりパソコンを使ったりなんてできません(笑)

それならば!と思い、翌年からは研究室としてではなく、
「子どもの遊び場」として、きんきゃんは再スタートを迎えました。
(子どもたちがきんきゃんのことを「子どもの遊び場!」と表現し始めたのも大きなきっかけでした)


きんきゃんは、平日の放課後に2時間程度開放している日常的な場です。
大学生・大学院生が2〜3名はスタッフとして常駐していて、子どもたちは1日に20人程度遊びに来ます。
特に遊びのプログラムがあるわけでもなく、子どもたちの思いに任せながら自由に遊びを展開しています。
もう、めちゃくちゃです(笑)

子どもたちと遊ぶ日々を重ね、もうすぐ3年。
今ではすっかり、地域の中での子どもたちの遊び場です。

今日のコラムでは、そんな子どもたちの遊びの様子をいくつか紹介したいと思ってます!

?ジェンガドミノ→射的?
最初はジェンガをしてたのに、子どもたちの遊びの勢いは止まらない!
どんどん高く積み上げる子どもや、ドミノを始める子ども。ピタゴラスイッチも生まれます。
そして、そんなのがいろいろ混ざったのか(^^;
下の写真のような作品を6年生の男の子が作り上げちゃいます。

1.ジェンガ→射的.JPG

高く積み上げられたジェンガの上に、立派に立ちはだかっているは将棋の駒。
風船の空気入れを空気鉄砲にして、将棋の駒だけ落としちゃえってなわけです!
これが意外にうまくいくもんで、とにかくおもしろい。

途中からやってきた1年生の男の子も必死になってチャレンジ!
一気に二つも駒落としに成功した男の子はなんだか得意げ(^^)

子どもたちの遊びを創りあげていくパワーには、ほんと圧倒されちゃいますよね。


?泡色水溜り!
子どもたちにとっては、水溜りだって魅力的な遊び場!
せっけんや絵の具を混ぜちゃえば、不思議な泡色水溜りが完成〜。
(いや、子どもの遊びに「完成」なんてないのかな??)

awairo.jpg

最初に始めた5年生の女の子は、どうやら黄色の絵の具だけ使って「ビール」にしたかったらしい。
でもおもしろい遊びが生まれていると、子どもたちはどんどん巻き込まれてきちゃいます。
子どもたちの笑い声が絶えない中で、混沌としてくる水溜り(−−;

そうそう、水+せっけんで泡立つようになるでしょ。
そこに絵の具が混ざると、色がつくだけじゃなく、粘着力も加わるから、
泡(しゃぼん玉)が割れにくくなるんです!
それを子どもたち自身が発見(ってか、僕は知らなかった・・・)。
そうとわかると、飛ばしたしゃぼん玉を再びお玉でキャッチしようとして商店街を走り回る子どもや、
しゃぼん玉の上からモノを落として、割らずに通過させるっていう「マジックショー」をする子どもがいたりと
ますます遊びは盛り上がっていっちゃいました。

片付けは大変だったけど、でも片付けすら、子どもたちは楽しみながらやっていたような。


?変な生物??
雨の日にも、子どもたちはきんきゃんにやってくるんですね。
ただ、きんしゃいきゃんぱすの部屋の中はそんなに広いわけじゃない。
やっぱ外で遊びたい。
そこで、ある5年生の男の子が、「でっかいビニール袋、ない?」

商店街に、変な生物が大量発生してしまいました(笑)

hennnaseibutu.jpg


*****

きんしゃいきゃんぱす(きんきゃん)の空気感が、少しは伝わったでしょうか??

こんな感じで、これからのコラムできんきゃんをお伝えしながら、
「地域で子どもが育つ」ということを、ぼんやりと考えてみたいと思っています。

(きんしゃいきゃんぱす 山下智也)

投稿者 Kosodate : 04:52 | コメント (10)

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