ふくおか子育てパーク

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2005年10月12日

おとなの女性…

 小学生だった自分に戻って考えてみる。今の自分の歳について考えてみる。
「38歳」という年齢は、「いいおばちゃん」だ。昔も今も、その表現自体は変わらないと思う。だが、その中身になると、かなり違ってくる。

 一昔前のママ.jpg
子どもの頃、想像していた「38歳」の女性と言えば、小学生くらいの子どもが2、3人いて、普段着にエプロンをつけ、その上に地味なカーディガンを羽織っている。もちろん、専業主婦のイメージ。髪の毛は、細いロットできつめに巻いた大仏ヘアか、ストレートなら首筋あたりでお団子(シニヨンなんてオシャレなものではない)にまとめているだろう。愛用の靴と言えば、“つっかけ”。「ちょっと、回覧板を持って行くわね」と言ったまま出かけ、しばらく戻ってこない。しびれを切らして探しに行けば、道ばたで近所のおばちゃん達と井戸端会議に花を咲かせている。ときどき声をひそめるのは、どうでもいいような他人の噂ばなしをしている時だ。聴衆サイドも眉をひそめて大仰に頷いている。家に帰れば、「あぁ、忙しい、忙しい」を連発し、「宿題はもうすんだの?」と言いながら夕食の準備を手際よく始める。魚はもちろん三枚におろせるし、漬け物も自分で漬ける。常備菜の梅干し、ラッキョウも季節ごとに自分で漬ける。お正月のおせち料理も、もちろんお手製だ。鉢盛りをとるなんて、法要の時か、お大臣の家くらいと考えている。子どもの授業参観には、自分で着付けた訪問着で出かけ、その時だけは念入りに化粧をほどこす。帰ってくると「あぁ、きつい、きつい」とあられもない姿で脱いで、2、3日和室に陰干しして、いつの間にかしまい込んでいる。毎朝、ハタキかけから掃除を始め、早朝の涼しいうちに、庭の草取りや家の前を掃くなど、とにかくこまめに働く。「おい、お茶」と夫が言えば、すぐにお茶を入れ、新聞が目の前にあるのに「新聞」とこれまた夫が言えば、「はい」と手渡す。(…うーん、書いていて、だんだん胸が苦しくなってきたぞ。)

 あくまで、これは私の母のイメージ。「昔の女性」と表現して良いものかどうか迷うが、昭和一桁生まれの母は、正にそんな女性だった。しかし、現在の自分はどうだろう?
 4人の子持ちになったという点で、これはクリアだ。だが、“男女平等”の思想のもと、学生時代は「勉強だけしなさい」、社会人になったら「休まず会社に行きなさい」と、昔で言う花嫁修業的家事手伝いや、近所付き合いのノウハウ、子育ての仕方など一切教わらずノビノビと育てられてしまった為に、いざ結婚して所帯を持ち、子どもを産んでみたら、何もわからずパニックになっていた。今どきママ.jpg

 多分、私のように「おとな」になってから、困っている人って結構いるのではないだろうか?私の場合、着物の着付けも出来ないし、魚も三枚におろせない。リンゴの皮むきもピーラー(皮むき器)のお世話になっている。OL時代に料理教室にでも行けば良かったのに、習い事と言えば、あまり実用的ではない華道と茶道。子どもの授業参観には、ジーパンで出かける始末。夫が「コーヒーある?」と聞けば「自分でどうぞ」とコーヒーメーカーを指す。さすがに、料理はするが、毎食“一汁三菜”の世界は無理だ。しかし、オシャレだけは妙に力を入れる。「えーっ、38歳に見えなーい!」と言われる事を密かに至上の喜びとして、せっせと若づくりして子育てサロンに出かける。掃除については…やめておこう。

 そんなトンチンカンな「おとな」になってしまった自分。「親」として、子どもを正しく教え育てることなんか、どだい無理なのかも知れない。ただ、「現在の自分」を反面教師に置き換えて、こんな「おとな」にならないように、彼らに教えてあげられることはたくさんある。まずは、私のように「今日締めきりの提出物が見つからないっ!」とか、外出直前になって「鍵がないっ!」などと慌てないように、いつも決まった場所に保管するクセをつけること。人が急に尋ねてきても焦らないように、家の中を常に片づけておくこと。積極的に家の手伝いをして、一人暮らしできるように備えておくこと。などなど。
 しかし、反面教師が教えるだけに、なかなか定着しないのも事実だったりする…。

jigazou.jpg(筑豊子育てネットワーク「かてて!」 渡邉 福)

投稿者 Kosodate : 14:29 | コメント (9) | トラックバック

2005年10月01日

いざ、進まん!子育ての海原へ!

unabara.jpg 編みかけのまま何回もシーズンを越したセーターの片袖、しおりが一向に進まない長編小説…。こんなずぼらな私が子どもを産んだ。産んでしまったからには、プランターの花のように「枯らしちゃいましたぁ」と終わらせることはできない。(当たり前かっ!)

 結婚したら子どもは産むものと思っていた。そして、産んだらゴールだと思っていた。日に日に大きくなるお腹に語りかけては、おとぎ話のように「そして、みんな幸せに暮らしましたとさ…」で終わると信じていた。しかし、それは間違い。とんでもない大誤解。産んだその日からが、すべての「始まり」だったのだ。

 ショックだったのは、幼少の頃より「土・日は休み」と身体に叩き込まれた生活リズムが見事に叩き壊されてしまったこと。母親は24時間年中無休のコンビニ状態と言うが、そんな悠長なものではない。24時間年中無休で、尚かつ待機中の救命救急士のようなものだと思う。添い寝の赤ちゃんが暗闇で「ウン」とか「スン」と言うだけで、ガバッと跳ね起きて「何?おっぱい?オムツ?」と対応できるのは、母親くらいのものだ。(パパが跳ね起きて、ママが寝ているという知人家庭もあるが…)

 ビデオ視聴3回のみという産婦人科のお粗末な母親学級では、とてもオムツの替え方から授乳の仕方までマスターできるものではなかった。今さら文句を言っても始まらないが、当時は無知な自分が恥ずかしくて「どうやって、オムツを替えるんですか?」とは、看護師さんにとても聞けなかった。病室に持ち込んだ『出産大百科』を見ながら、夫と2人、理科の実験のように初めての我が子のオムツを替えた。干物のような新生児。CMに出てくる赤ちゃんと全く違うナゾの生命体のような存在に、愛情が湧くと言うより、とにかく殺さず生かせることだけに心血を注いでいたような気がする。義務感と重圧感の中で、奥歯をかみしめながら踏み出した最初の子育てだった。

 初産の痛みのあまり「もう、子どもは産みません!」と分娩台で、9年前力強く宣言した。それなのに、なぜか今では4人の子持ちになっている。9年の月日の間に、ずぼらなりに手抜きの仕方も身に付いてきた。小4と小1の男の子、2歳10ヶ月と4ヶ月の女の子。まるで、男女共同参画社会を絵に描いたような男女比だ。特に産み分けしたワケではないが、「うまいなぁ」と我ながら感心する。思春期に差しかかった子どもから、赤ちゃんまで。みんな個性が違って、それぞれ面白い。特に、新生児のフニャフニャした頼りなさは、もうそれだけで愛おしい。この変わり様は一体何なのだろう?

 「慣れ」も確かにあるが、この世に存在していなかった生命を産みだしてしまったからには、責任持って面倒をみなくちゃ!という「覚悟」が、自分の中で芽生えてきたのも理由の一つだろう。産む覚悟、育てる覚悟、共に生きる覚悟。いろんな「覚悟」を背負い込んで、なんとか「おとなの親」になろうと、日々ジタバタとあがいている。 
jigazou.jpg(筑豊子育てネットワーク「かてて!」 渡邉 福)

投稿者 Kosodate : 14:28 | コメント (14) | トラックバック

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