このコラムに、私の顔は出さないつもりでしたが、前回忙しさのあまり、そんなことはすっかり忘れていました。まあ、どこかでお会いした時には、BETTYと分かれば気軽に声をかけてくださいね。
22日の日曜日、たまたま仕事(親子バスハイクでした)で行っていた九州エネルギー館で、「ハル」のコンサートがありました。なんだか、とっても得した気分になりました。「ハル」ご存知ですか?おおがたみずおさんとはるさんです。南米の楽器を弾きながらアンデス音楽を歌われます。私が幼少期に住んでいた、ボリビアのサンフアン日本人移住地にも何度も行かれています。心和み、とっても懐かしい気持ちにしていただきました。
今回のコラムでは、私の大好きな南米をご紹介します。子どもをどうしても連れて行きたかったので、5年程前に育児休暇を利用して46日間放浪してきました。その時の写真を何点か選択してみました。南米のことを、一人でも多くの人に知っていただければ嬉しいです。また、これを切っ掛けに、興味を持ってもらえれば幸いです。
一つ目は ボリビアのティワナク遺跡です。
富士山頂上と近い標高に、このような大きな遺跡があります。「太陽の門」なんかは多少有名です。世界一高いところにある湖「チチカカ湖」も、この近くにあります。
2つ目は、同じくボリビアにある「月の谷」です。月の表面のように、デコボコしていて、実際に日本から月の設定の映画撮影に来た事もあります。
3っつ目は、チリのプンタアレーナにある氷河です。
南米の最南端に位置します。12月で南米は真夏なのに寒かったですよ。この辺の地域の夏は、夜の9時になっても昼間のような明るさです。氷河がとても青くてきれいでした。
4っつ目は、イグアスの滝です。
ブラジル・パラグアイ・アルゼンチンから見ることのできる大規模な滝です。見る角度によって、同じ滝とは思えないほど、いろんな表情が伺えました。
このおじさんは、観光客にお土産を売っていた方です。
帰国してすぐに書いた文章がありますので、最後にご紹介します。
そして、コラムも今回が最後になります。
実は、3時間後には福岡空港からフィリピンに8日間の予定で行ってきます(※編集注 この原稿は4月26日(木)午前3時に頂いています)。今回も子ども同伴です。
私の兄の自宅は、ミンダナオ島のダバオにあります。フィリピンの方と結婚して、4人の子どもがいます。(10月には5人目だとか)
初めて行く国は、すごくワクワクします。皆さんに報告できないのが残念です。
私のコラムを読んでくださった方、コメントくださった方、本当にありがとうございます。
日本で生活している同じ日本人であっても、家庭が違えば生活習慣も違ってくる。ましてや、住んでいる国や人種が異なればなおさらです。
色んな国で色んな方に出会い、今年小学校1年生(今は5年生です)になる空の目には、どう映ったのだろうか。固定観念にとらわれず無限の可能性を信じて、これからも行動して欲しいと願っています。
誕生日でもクリスマスでも、子どもにまともにプレゼントを買ったことがなく(さすがに今は請求されてます)、洋服もリサイクルやもらい物ばかりで、普段は贅沢する事がない我家です。世界の広さを体感出来た事は、最高の贈り物になったと思っています。
1歳未満(現在は年長)の楽は、旅行の記憶は確かに残りませんが感性として残っていると信じています。
ではでは。本当に1ケ月間ありがとうございました。
南米料理のレシピは、5月に「食のオススメ掲示板」で息子の作ってくれたメニューと一緒に、ご紹介する予定です。コメントくださった方には、可能でしたら帰国後に極力お返事したいと思います。
Tu amiga BETTY
(BETTY)
投稿者 Kosodate : 13:37 | コメント (4)
4月15日(日)は、私の○○歳の誕生日でした。今年は最高のプレゼントがありました。将来はすし屋さん志望の長男空(10歳)が、初めて夕食を作ってくれたのです。私の友人が手作りしてくれた「簡単レシピ」を見ながら、パパと弟の助っ人のもと、完成したのがこの写真の料理です。
メニューは、?白ご飯 ?ニンニクの芽と豚肉炒め ?ブロッコリーの和風ディップ添え ?じゃがいものことこと煮明太バターのせ ?みたらし団子 でした。
どれもとっても美味しかったですよ。小さい頃から、料理のお手伝いは良くしていますが、一食全てを主導で作ったのは、今回が初めてです。
料理つながりで、南米料理の作り方にしたかったのですが、次回のお楽しみに!!息子の作ったメニューの中で、作り方が必要なのがありましたら、それもご紹介しま〜す。
では、さっそく富士山の話題に.....。
「なぜ富士山?」と、お思いでしょう。
「子ども連れて登れるの?」と疑問な方も、「何の目的で?」とさっぱり理解できない方もいるでしょう。
だけど「富士山」なんですよ。
私にとっては、故郷みたいな存在です。時折り、フラ〜ッと行きたい衝動がこみ上げるのです。
「山小屋でアルバイトしませんか」のチラシを、たまたま目にしたのを切っ掛けに、大学生の4年間、富士山7合目の山小屋「日の出館」(ホームページありますよ)で、夏休みの間働いていました。真夏を涼しく(冬のように寒い日もあります)過ごせることや、お金の無駄使いする場所がないことや、いろんな国からの登山客とスペイン語や英語のコミュニケーションが楽しめることなどが、魅力でした。ただ、お水がとっても貴重なので、雨の降らない年なんかは、お風呂に入れる回数が極端に少ないことが、ちょっと辛いぐらいかな?!山小屋のおっちゃん中村修さんは、プロのカメラマンですよ。今でも家族のように迎えてくれます。
と言う理由で、就職してからも何度も頂上まで登っています。
富士山の頂上と、私の産まれたボリビアのラパスは、同じ標高なんですよ。知ってました?気のせいか、頂上に近づくほど、空気が薄くなるのに、元気になるBETTYです。(笑)
天気が良いと、初心者でも比較的登りやすい山です。5合目までは車で上がれますよ。天気が荒れると、死亡者も毎年でているほど危険な山になります。
昨年の登山が、今までの中で一番最悪でした。子ども達は留守番で、友人二人を連れて行きましたが、雨と突風と雷の大荒れで、初めて身の危険を感じました。
あっ!!気がつけば、「子連れで富士山」にたどり着かないで長文になってます。富士山のこと知りたい方は、個別に教えますね。
二人目の育児休暇中に、南米旅行を計画していたので、標高になれるかな?との安易な考えと、山小屋のおっちゃん家族に子どもを見せたいとの思いから、「子連れで富士登山」を思い立ったのは、長男5歳、次男5ヶ月の時です。パートナーは仕事で一緒に行けませんでした。
その時に書いた文章がありますので、紹介します。
富士5合目まではレンタカーで行ったので、比較的楽でした。夏とはいえ標高の関係で寒いので冬支度をし、後ろには荷物、前には楽(次男)を抱え、ここからはいよいよ登山です。しかし、徐々に日も暮れ、休んでもすぐ又息が切れてなかなか前に進みません。抱っこ紐が苦しくないか、寒くはないかと心配しのぞくと、登山者にニコニコ愛嬌をふりまいたり、こけそうになりながら不安定な道を渡っている時でもグッスリねていたりと、楽(次男)の方が予想以上に元気でした。空(長男)は一緒だった友人夫婦も2人の小さな子ども連れだったので、誰にも頼れないと思ったのか、一度も「きつい」とか「抱っこ」とは言わず最後まで一人で黙々と歩きました。
高山病にもならずに無事7合目まで到着できたし、翌朝には日頃めったに見ることが出来ないような素晴らしい御来光(日の出)にも恵まれ、周囲の反対を押し切ってまで富士山にきた甲斐があったと思いました。たったの一泊、しかも頂上までは登りませんでしたが、懐かしい山の生活にふれ、雄大な景色や澄んだ空気、登山者とのふれあいを味わえて大満足です。
その後も、子どもを連れて富士山に登りましたが、昨年からは辛さを分かりだしたのか、息子どもは「ばあちゃんところで留守番する」と自己主張しています。富士山の魅力を子ども達が感じとってくれる頃に、再び親子で頂上を目指せたら最高でしょうね。
今回は長文ですみません。最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。富士山登山ご一緒しませんか?
(BETTY)
投稿者 Kosodate : 13:44 | コメント (6)
このテーマは、最後に余裕があればご紹介する予定にしていましたが、タイミング良く!?父が土曜日から三日間、突然桂川に来ています。これも何かの運命かと思い、父の紹介を書くことにしました。写真は、父とは関係ない「日曜日の花見の様子」です。またまた我家に友人が集まり、皆で弁当を作って行きました。花びらが散るのがきれいでした。私はカメラマンなので、残念ながら写ってませんよ。
父とのほのぼのとした幼い頃の記憶は、私にはありません。結婚してすぐ、20代の時に私の母とボリビアに移民として渡り、親戚もいない見知らぬ土地で生活を始めました。転々と仕事を変えながら、最後は大規模農業を経営していました。「ちょっと行ってくる」と言い残して、世界各国へ良く一人で旅行に出かけていました。お土産すら買ってきた事はなく、帰ってくると地図を指差しながら旅の自慢話を聞かされていました。
そんなある日、日本に遊びに行っていた父が、昔の彼女を連れて、ボリビアに帰ってきました。それが、私や妹、母が日本に来る切っ掛けとなった訳なんです。(笑)
私が大学生の時に、岡山に父が来ているとの情報があり、母と親戚の人と妹と私の4人で、乗り込んだことがありました。その頃は、日本の生活に満足していなかった私は、父に怒りをぶつけました。「娘が高校・大学と借金して(奨学金)行っているのに、父親として何とも思わないのか!」父からは意外な答えが返ってきました。「親の義務は中学校まで。おまえの勝手で学校行っているのに、親がお金を出す必要があるか!」
父とは二度と会うことはないと、この時心に固く決めて別れました。でも、今ではお互いに行き来するまでになりました。
それは、時間が解決してくれたこともあるでしょう。父が年と共に丸くなったことも、私が年と共に大人になったことも、仲直りの誘因の一つだと思います。
しかし、私の考えが大きく替わったのは、次の二つのことに気づけたからです。
一つ目は、「厳しさもやさしさなんだ」と言うこと。岡山で会った時、父が意図的にあの言葉を返したとは思いません。でも、自分の力で学校に行ったことで、授業で学ぶ以上のものを、結果的にたくさん体験できました。
二つ目は、「父のように自由に生きることは素晴らしいことであり、難しいことでもあるのだ」と言うこと。年をとればとるほど、人はしがらみや世間体が気になるものです。子どものように、思いのままに、自由に行動したいと考えても、どこかでブレーキがかかります。父は違います。昔から、心の赴くままに行動してきました。身近で生活している人にとっては、振り回されて迷惑なことも多いのですが、一度っきりの人生を楽しむ生き方に共感できた時、父への憎しみが尊敬へと変わっていきました。
現在父は67歳。26歳の女性と正式に結婚して、名古屋に住んでいます。今月末から、1ヶ月の予定で娘(私の妹)の住んでいるキューバとボリビアに一人旅をするとか。すでに切符は買っているのに、妹にはまだ連絡していないそうです。相変わらずの生活をしている父であります。文章が長くなりつつありますので、この辺で終わりとします。
(BETTY)
投稿者 Kosodate : 09:51 | コメント (8)
はじめまして。4月を担当することになりましたBETTYです。コラムの依頼を受けた時は、まだまだ先の事と思っていましたが、すぐに来てしまい、少々焦り気味です。初日の今日は、簡単な自己紹介にしま〜す。
先ずは、なぜ「BETTY(ベティ)」なのかの説明から。ちなみに本名ですよ。「ハーフですか?」と聞かれますが、父も母も日本人です。「国際結婚ですか?」と聞かれますが、パートナーは日本人です。父と母が南米のボリビアに移民として渡り、そこで私は産まれ、15歳まで生活していました。ボリビアご存知ですか?とっても良い国ですよ。
両親は日本人だけど、産まれたのが海外。つまり、私は日系2世なのです。
帰国子女として筑豊の中学校3年生に編入。大学卒業後、桂川町で福祉関係の仕事をしています。
私の母は町内に住んでいますが、父は名古屋とボリビアを拠点に生活、姉は南米のチリ在住、兄は神奈川県とフィリピンを拠点に生活、妹は中米のキューバ在住です。母の家には、それぞれが里帰りはしていますが、家族全員が一同に集まることは奇跡に近い状況です。
現在は、パートナーと10歳の長男空(そら)、5歳の次男楽(らく)の4人家族です。
コラムでは、「私が感じた日本人の不思議」「子連れで富士登山」「子連れで南米旅行」「南米料理レシピ」「父の生き方」「BETTY流子育て」などをテーマに、ボチボチと週1回ペースで書きたいと思っています。「こんな事が聞きたい」とか、「ボリビアのここが知りたい」とか、ご意見・ご要望ありましたら、よろしくお願いします。
写真は、3月31日(土)に撮影した「我家の玄関」です。空の同級生と、その弟妹27名が遊びに来て、「たこ焼きパーティー」をしました。学童保育所なみのにぎやかさでした。
4月1日(日)は友人6家族が遊びに来て、南米料理講習会&試食会&おしゃべりサロン?みたいなホームパーティーになりました。
そんなこんなで、充実した週末を過ごす事が出来たのですが、今日から新年度です。仕事モードに切り替えて頑張ります!
(BETTY)