ふくおか子育てパーク

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第3話 どうする仕事?!

2008年10月16日

  みなさん、連休はどう過ごされていましたか?わたしは、大分にチャレンジ!おおいた大会に2泊3日の応援旅行に行ってきました。もちろん、娘も一緒です。少々、ハードな日程だったにもかかわらず、調子を崩すこともなく帰ってこれてホッとしているところです。

   さて、今回は育児と仕事について書いてみたいと思います。初回に書いたように私はいわゆるワーキングマザーでした。勤めていたのは社内に託児所があるような会社で、しばしばその取り組みが新聞やテレビなどでも紹介されていました。
  社内には、結婚=寿退社という風潮はなく、出産しても働き続けるママ仲間が数多くいました。私も長男を出産後、当たり前のように1年間の育児休暇を取得し、その後、職場復帰。時間短縮での勤務からスタートし、3歳になったころフルタイム勤務に戻しました。
  ですから当然、長女の妊娠が分かったときも辞めるつもりはなく、同じように育児休暇を取り、時間短縮勤務をする予定でした。出産予定日は3月中旬、産休に入るのは1月末の予定。ところが、いきなりの産後休暇突入です。
  出産翌日、主人が朝一番に職場に電話をしてくれたのですが、なかなか話しがかみ合わなかったそうです。無理もないですよね。前の日、全く普段通りに帰宅したので、まさかその夜に出産したなんて誰も信じてくれなかったようです。
  やりかけの仕事は山ほどありました。現場はかなり大変だったと思いますが、上司、先輩、後輩、みんなに支えられました。残した仕事をどうにかしなければいけないという緊張感が長女出産のショックを和らげてくれていたのかもしれません。

  さて、育児休暇後の職場復帰をどうするか。私の勤めていた会社の規定では満1歳(特例で1年半まで可能)を迎える月までが育児休暇期間です。しかし、私にはその自信はありませんでした。というのも、ある本を読んでいたからでした。それは娘と体重・在胎週数の近い22週5日520gで産まれた赤ちゃんのNICUでの毎日を綴ったもので、その赤ちゃんが退院したのは1歳の誕生日を過ぎてから・・・。長女の入院計画書には4〜6ヶ月の入院と書かれていましたが、私にとっての生の体験談・情報がこの赤ちゃんでしたので、きっと娘の入院も1年近くなるのだろうと心のどこかで思っていました。
  ということは、NICU退院=育児休暇終了?!そんなのはとうてい無理です。せめて特例の1年半まで育児休暇を認めてもらえないかと会社に打診を始めました。
  ところが、3月、長女の目(未熟児網膜症)の手術をきっかけに私は退職することを決めたのです。硝子体と水晶体の除去。コンタクトレンズを使用すること。視力がどれぐらい期待できるのか未知であること。もしかしたら手術をしても失明するかもしれないということ。そして、これから先に起こるであろう様々な困難を考えてみました。
  そこで出した答えは、母として子供にとことん関わっていこうということ。職場は必ず代わりの人が出てくる、でも母親は誰にも変わることができない。それは娘のためだけではなく、長男にとっても取り返しのつかない事態を引き起こさないための選択でもありました。自分でも不思議なぐらいすっぱりと仕事を辞めてしまったのです。

  ただひとつ付けくわえておきたいことは、もしもっと早い時期に同じような状況の人たちとの出会いがあったら、もう少し違った選択をしていたかもしれないということです。同じように早産をしても仕事に復帰した人もいるし、視覚障害があっても普通の学校(弱視学級)に通っているお子さんもいます。今になってそういうお母さんたちとたくさんであったのです。
  だからといって、もちろん仕事を辞めたことを後悔はしていません。仕事をしていないからこそ、週3日のリハビリと週1回の視能訓練にと存分に時間をかけてあげることができるのですから。
  そろそろ2歳を迎える今、家計のことを考えると仕事を始めたいというのが本音ですが、やっぱりまだ働きに出ることは考えられそうにありません。訓練・療育がまだまだ必要なこと、それに伴う時間的な制約、保育園の受け入れ先など壁があるのが現実です。
  この仕事復帰に関する問題は、お子さんが病気や障害を持っている多くのお母さんと近頃よく話題になることです。ある意味、少数派の私たち、的確な情報や場がもっと早くあるといいなと思うのです。

 仕事を辞めた今、ひとつ気がついたことがあるのです。結局、人生、もともとやりたかったところに戻ってきたのかな・・・と。
  高校時代、本当は養護学校(現在の特別支援学校)の教師になりたいと考えていました。実は私の弟には知的障害があります。小さい頃から弟を通じていろいろな障害のあるお友達やその家族を見てきました。大学もそのための学部を受験していたのですが、心の中にはずっと迷いがありました。本当に自分に務まるのかと・・・。結局、その夢を自分でつぶしてしまいました。
  今、娘のことがあってはじめて子供の障害や病気のことで悩んでいる人たちに寄り添うことができるのでは思えるのです。同じ思いをしている一人の母親として・・・。
  今の私だからできること、娘を産んで感じたこと、乗り越えてきたこと、子供に教えられたこと・・・それを伝えていくことが、もしかしたらこれからの私のライフワークになるのではないかという予感があるのです。
  人生って不思議です。一見、不幸な出来事が起こったと思えるようなことも、気がつくととても大きな意味があるということ。きっとその出来事の意味に気がつくか、気がつかないかだけないだろうなって。
  確かに、娘の出産でそれまでの私の人生は大きく変わりました。でも、もしかしたら本当に進むべき方向へ向かうためのものだったのかもしれません。
  とはいえ家計はやっぱり火の車・・・。できれば在宅で収入をなんて考えている今日この頃です。誰か良い方法知りませんかって、求人情報をここで求めちゃったりして・・・。育児と仕事、とりわけ、療育・介護と仕事・・・。是非、みなさんの経験もお聞きしてみたいなと思います。来週は兄弟について書いてみたいと思います。

Nっ子クラブ カンガルーの親子 登山 万佐子)

投稿者 Kosodate : 2008年10月16日 18:30

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