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第2話 生きるために産まれてきたんだ

2008年10月08日

 長女のような赤ちゃんのことを以前は未熟児と言っていましたが、現在は低出生体重児と呼びます。特に1500g未満を極低出生体重児、1000g未満を超低出生体重児といいます。
 世の中の出生率は低下していますが、逆に低出生体重児は増えていっているのが現実です。それは、医学の進歩、そして不妊治療の発達などがあるといわれています。晩婚や女性の社会進出など、そして、それに伴う高齢出産の増加でリスクの高い妊婦さんが増えてきているのも事実でしょう。かくいう私もその一人に入ります。

 低出生体重児といえば、その体重の小ささばかりが注目されがちですが、未熟児で産まれた赤ちゃんにとっての予後はその体重だけではなく、在胎週数、つまり妊娠何週までお腹の中にいたのかということがとても重要になってきます。
 早くこの世に出てくるということは、人としての器官、機能がまだまだ完成されていないまま世の中に出てくるということなのです。

 長女は23週1日、452gでこの世に誕生しました。
 実は、10数年前までは、この妊娠23週までなら人工中絶が可能とされていました。つまり、つい一昔前までは、人としてこの世で存在するチャンスを与えられなかったのです。仮に早産で母体から出てしまっても蘇生をしてもらえることがほとんどなかったと聞いています。
 現在、医学がいくら発達したとはいえ、やはり母体の外で生きるにはあまりにも早すぎます。この週数、体重で産まれた赤ちゃんの生存率は約50%だとか・・・。専門書によると「生物学的、医学的観点からみても生育限界は400〜500g、22〜23週」(『改定3版 超低出生体重児 新しい管理指針』メジカルビュー社)と書かれています。つまり、長女はギリギリの生存条件で誕生したということが言えるのです。脳や神経、その他の様々な器官が発達していくのはこれからだというときです。生まれたばかりの長女の上下のまぶたは筋があるだけで、まだくっついた状態でした。
 それでも長女は、「生きて」私のお腹から出てきたのです。仮死状態での誕生にも関わらず、手術に立ち会っていた助産師さんは「生命力のある子」だと感じたと後で話してくださいました。瀕死の状態であったであろうはずなのにそんな風に感じさせたなんて・・・。
 もしかしたら、救急車の中で不思議と不安を感じなかったのは、この子の強い「生きる」という意志を感じていたのかもしれません。

 産後の私はというと血圧の異常な上昇と通常の半分以下という貧血状態。それでも、出産翌日には面会に行きました。母親の意地でしょうか。
 そこで見た初めての我が子。人工呼吸器、いくつもの点滴、全身に張り巡らされたモニターのコード。なんとも痛ましい姿でした。頭はまだ大きく、体は黒く、手足はか細く、新生児とはほど遠く、胎児そのものの姿でした。無事に産まれてくれた現実を確認できた安堵感と同時に、この小さな小さな命はこの先どうなるのだろうか、本当に生きていくことができるのだろうかという不安が襲ってきました。
 私が退院したのは年賀状印刷の締切り間近という時で、長女の名前をどう入れようか、ものすごい葛藤が私の中にありました。もしかしたら、この子の命は年を越すことができないかもしれない・・・と。でも主人が一言「大丈夫。僕たちの子供だ」。その言葉に救われ気持ちが軽くなり、子供の生命力を信じることを忘れそうになった自分が恥ずかしくなりました。

 そうは言っても、次から次へと襲う試練の数々・・。後で「教科書通りだった」と先生がおっしゃったほど、早産児、未熟児がNICU(新生児特定集中治療室)で経験する病気は見事に経験しました。

 特に、生後3日目の夜の脳と肺からの出血は生死をさまよう大きな試練でした。私も主人もNICUに呼び出されました。保育器は血だらけ、主治医が手動の小さなポンプで必死に蘇生をしてくださっていました。体についた血も、数日間はわずかの振動も影響するからと拭いてもらえない日々が続きました。
 そんな薄氷の上にいるような日々、私は、学生時代に何かで読んだ事を思い出していました。
 それは、約60兆個あるといわれている人の細胞は数年かけて全て入れ替わるということ。新陳代謝の活発な赤ちゃんならもっと早いはずだと勝手に決め、娘の体を手のひらですっぽりと覆いながら、細胞のひとつひとつに健康な細胞に生まれ変わるんだよと祈りを込めて語りかけていました。まさに親にしかできない「手当て」です。
 また、がん患者などが、生きがいを見出し、生命力を沸き立たせ、余命を伸ばしたとか、治癒させたとかいう話をよく聞いていました。ポジティブな発想が、免疫機能を高めるというのです。それならば、赤ちゃんの生命力を湧き立たせるのは母親。その母親が弱気でいてはいけない。母として子どもを信じました。絶対に大丈夫と信じていました。
 この世で生きていくにはあまりにも過酷すぎるその小さな体に秘める生命力、自然治癒力の可能性は無限でした。その小さな体は、しっかりと「生きる」方向を向いていたのです。
 この危機を乗り越えたことで、主治医からは「かなりたくましい子」とのお墨付きをもらったほどでした。

 二つ目の大きな試練は、未熟児網膜症でした。発症してもレーザー治療を数回すれば症状が治まる子が多いそうですが、長女の場合は4回の治療でも治まらず、最終的には早期硝子体手術を両眼とも受けることになりました。やっと1000gになったばかりの体に全身麻酔での手術です。
 実は、この手術は大人の硝子体手術と違って水晶体も摘出しなければならないというものです。なんの問題のない、しかも物を見る上で重要な機能を持つ水晶体を除去することへの抵抗、手術してもしなくても失明するかもしれないという恐怖との戦いでした。こんなに目が見えなくなることが怖いものだとは知りませんでした。手術前、辛くて泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、そしてふっと気持ちが軽くなったのです。見えないということが怖いのではない、心の自由がなくなることが怖いんだ。何があってものびのびと明るく、自由にどこにでも行ける子に育てていこう、と。
 現在、正確な視力はまだ測定できませんが、なんとか光を失わずにはすんでいます。そして、視力を育てるための視能訓練に通っています。

 長女はちょうど半年間、NICUで過ごし退院しました。NICUでの日々の出来事は私のブログ(リンク先→http://n-kan-oyako.cocolog-nifty.com/blog/)に書き記しているので、気になる方は是非、そちらのほうを読んでみてください。

 早く小さく産まれてきた赤ちゃんは、入院中、みんないろいろな病気と闘っています。中には200g台まで落ちた体重で開腹手術をするお子さんもいました。心臓、脳の手術をするお子さんもいます。もちろん、NICUには、早産児・未熟児だけではなく、先天的ないろいろな病気や障害を持って産まれてきたお子さんもたくさんいます。残念ながら、おうちに帰ることなく亡くなってしまうお子さんもいます。
 でも、みんな、子供たちは何かを伝えるため、何かの使命があってお母さんのお腹の中で命が誕生し、産まれてきたのです。
 無意味な命なんてひとつもないのです。
 私は、長女がこのような誕生をしたことで、今まで知らなかった世界をたくさん見ることができました。頑張っているたくさんの子供たちとその家族に出会いました。たくさんの人とのつながりを持つことができました。その出会いのひとつひとつが私の大きな財産となっています。
 「使命」は命を使うと書きます。まさに命がけで誕生した長女は、どんな使命を持って産まれてきたのでしょう。これから彼女はどんな人生を歩んでいくのでしょう。
 その答え探しは、始まったばかりなのです・・・。

Nっ子クラブ カンガルーの親子 登山 万佐子)

投稿者 Kosodate : 2008年10月08日 17:07

コメント

たった452gで生まれてきたお子さん。でもその小さい体の中に、「生きる」という強い意志があることを感じとられた登山さんとご家族の姿にじ〜んとしました。
祈りを込めた「手当」、絶対に大丈夫だと信じる心。
「無意味な命なんてひとつもない」…本当にそうですね。

投稿者 つぅ : 2008年10月29日 15:41



つぅさんへ
長いコラムにお付き合いくださってありがとうございます。親が子供を、子供が親の命を絶ってしまう悲しい事件が起きる度に、心が痛くなってしまいます。みんな生きようと必死に生まれてきたのにって。

投稿者 登山 : 2008年11月01日 14:31



こんばんは。うちも23週0日527?cで三年前次男を出産しました。
生死をさ迷う以前に我が子の命の選択をしなければいけませんでした。というのも22週で前期破水をしたからです。流産と死産の境目。長男はきちんと十ヶ月いたのに。そして、絶望的な現実。私たち夫婦は一度諦めました。でもその時お腹で羊水がなく苦しいはずなのに、僕はここにいる!といわんばかりに蹴ってきました。この子を産もうと決意しました。産まれてきた次男は同じようにかわいいなんて言えないくらいの姿でした。私は次男を受け入れるまで二ヶ月かかりました。
思うようにいかない葛藤の育児が今も続きそしてこれからも同じように悩みが解決すればまた新たな悩みが出てきますよね。でも一つ一つの成長にこんなに感謝に感動をすることは次男を産んだからこそ味わえてるんだと思います。お互いがんばり過ぎずに育児をしていきましょうね。
とても、勇気づけられた内容でした。

投稿者 ともみ : 2009年12月02日 18:12



ともみさんへ
コメントありがとうございます。娘も先月3歳になりました。同級生かな?上にお子さんがいて、23週という点も親しみを感じます。
ホントにいろいろ語りつくせない思いと、出来事があったと思います。そして、これからも悩みは尽きることはないと思います。でも、毎日が感動と感謝です。
ホント、頑張り過ぎないで育児を楽しんでいきましょうね。

投稿者 登山 : 2009年12月02日 21:28



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