私は大分の田舎に引っ越す以前から、自然や生き物が好きでした。
とりわけカタツムリが大好きで、学校にまつわる思い出は少ないですが、覚えていることのひとつが、家で飼っていたカタツムリが卵を産んで、それを学校に持って行ったことです。小さな卵から産まれたカタツムリは本当に小さく、虫かごの網の隙間から出てきてしまって困ったことを覚えています。
そんな私にとって、田舎での生活が楽しくないはずがありません。
私が7才くらいの頃、家族で東京から大分に引越し、農薬や化学肥料を使わない野菜やお米作りに取り組み始めました。
野菜を植えたり、田植えをしたり、草取りしたり、収穫したり、子どもの私に力仕事はできませんが、その日その日の作業の場を共にしました。田植えが遅くても、自分のペースで全身泥だらけになりながら稲を植え、稲刈りができなくとも、落穂拾いをするなど、農作業には子どもにも子どもなりの仕事がありました。そして、田んぼに行けばカエルやヤゴやイモリに出会い、畑の草取りをすればミミズやオケラに出会い、どんな作業にも小さな楽しいことが潜んでいました。里芋の葉っぱの上で水滴を転がして遊んだり、田んぼで鍬を水面に滑らせて遊んだりするのも楽しみでした。
自然に関わる作業の面白さは、収穫の喜びももちろんありますが、子どもにとってはそれ以上に、自分に適した仕事や楽しみがたくさん潜んでいるところにあると思います。大人の作業の真似事をさせられるのではなく、自分にできることを、自分の楽しみを見つけながらやれるので、子ども時代の私にとってもやりがいがありました。
(ただし、子どもの頃はお茶をあまり飲まなかったので、大人のために働いているようで、茶摘みはちょっと嫌でした。。。笑)
また、季節の山菜や果物を採るのも楽しみでした。季節によって道端におやつやデザートがあるなんて、今考えればぜいたくな生活だったなぁと思います。
さらには、農作業の終わった田畑は貴重な遊び場になります。冬の田んぼは野球場であり、サッカー場でした。田んぼのデコボコに負けじと走り回ってフライを捕る練習したり、サッカーしたりしました。時には鍬やスコップを使ってピッチャーマウンドを作って、日々、投球練習を重ねました。
こうして書いていくと、現代的な生活には縁遠いように見えるかもしれません。でも一方、私はテレビも大好きでしたし、パソコンにもハマっていました。
当時のパソコンは今のようにマウスで簡単に操作できるものではなく、インターネットもなく、プログラミングしなければ何も始まりません。そんなパソコンを使ってタコやゾウなどの動きや、風でしなる竹やぶの様子を模したアニメーションを作り、雑誌に投稿することもしていました。また、当時のワープロ専用機で、くだらないお話を創作したり、表計算機能を使って太陽系の惑星に関するデータをまとめたり、新聞を作ったり、誰に言われるでもなく何でもやってみることが楽しかったです。
また、家にはたくさんの本があって、絵本があって、マンガがあって、決して読書量が多い方ではありませんでしたが、いつでも読みたい時に読みたいものが読める状況がありました。
そういえば、当時使っていたフロッピーディスクには、よく泥汚れがついていました…。自然も電子機器も区別なく、遊び道具として使っていた証拠かもしれません。
前回はホゲ娘のことを取り上げて、その遊びの広がりについて書きました。
自然にも、テレビやマンガにも、パソコンにも、様々なものに自由に触れて遊べる生活だったから、ホゲ娘の遊びも広がったのだと思います。そこには、遊びを膨らませる素材が満ち溢れていました。
さて次回は、そんな生活をしていた私が大検を受け、大学に進学するまでのことを書きたいと思います!
(野島智司)
投稿者 Kosodate : 2008年08月17日 10:19
こんにちは。
桃源郷のような世界ですね。うっとりしながら拝読しました。コウモリさんの幼少時代が、こんな不思議な世界だったとは…。田舎の田園風景とハイテク機器が混在する世界。とても、不思議な世界です。
九大の院生さんということで、さぞかし教育熱心なご家庭に育ったんだろうと思っていました。「不登校」は、どちらかと言えば社会的に困った存在として扱われているように思えますが、コウモリさんの生き方、人柄、またこんな素晴らしい「あそび」を会得する術(すべ)を知ってしまったら、「不登校」に対する見方が180度変わってしまいますね。
もちろん、だからと言って、「学校に行かない」が正解かどうかは、わかりませんが、そんな生き方もあるんだということは、よく理解できました。
いちコウモリ・ファンとしては、その後、大学生活=集団生活の中に、コウモリ君がどのように馴染んでいったかが気になります。次回も楽しみにしています。
投稿者 4児の母 : 2008年08月22日 08:50
はじめまして。コウモリさんのことをお聞きして、早速、読ませていただいております。
そして、日本にもこんなに自由な生育暦の方がおられるんだってことに感激しております(正直、最初は驚きましたが…!)。
「フロッピーディスクには、よく泥汚れがついていました…。」に込められている意味、とても素敵ですね。
15年前、アメリカ留学中にホームステイしていた家族のことを思い出しました。5歳・8歳・11歳の3人兄弟姉妹の5人家族で、近くには祖父母も住んでいました。
公立学校の荒廃が激しいため、この家族は「ホーム・スクーリング」(家庭で勉強を教えるプログラム)で高校卒業年齢まで過ごしていました。
見ていると、両親が教えるだけの授業ではなく、祖父母や兄弟姉妹同士でも教え合っていましたし、しかも学力を身につけることにはそれほど執着していない雰囲気で、世代間を超えた豊かなコミュニケーションの中で、思うこと・わからないこと・発見したことなどを自由に表現していて、また算数の話から社会科や国語の話に発展したりしていて…。
オハイオ州の農家でしたから、広大な土地で四季折々の作物を育てており、もちろん家族総出で農作業もしていました。
家族みんながお互いに実に楽しそうで、自分のペースで、生きることに関わる多くのことを様々なかたちや方法で自分のものにしていっている!そんな生活でした。
その兄弟姉妹は自分の好きなことを見つけて、それぞれ好きなことを勉強するために大学へ進学したそうです。
コウモリさんのコラムに感激しつつ、また今後のコラムに大きな関心を寄せつつ、誠に勝手ながら15年前の感激を新たにさせていただきました。
ありがとうございます!これからも楽しみにしております!
投稿者 アマゴっち : 2008年08月22日 11:44
4児の母さん、コメントありがとうございます。
自分のことなので、当時はまったく不思議には思ってなかったのです^^;
学校に行くのも行かないのもその人の生き方なので、それが正解だとか不正解だとか私にも言えませんが、こういう生き方もあると理解しているのとしていないのとでは、気持ちのあり方がだいぶ違うように思います。なので、とてもうれしいです。
大学生活というか、今も集団のなかでマイペースに過ごす私です^^; それは単純に私のパーソナリティですが。。。
アマゴっちさん、はじめまして!感激だなんて、ありがとうございます。
書き忘れていましたが、私もアメリカにあるクロンララ・スクールのホームスクーリング課程を受けていて、そこの卒業資格を持っています。特に定まったカリキュラムや教材があるわけではなく、ただ日々の生活を記録することがメインでした。
「自分のペースで、生きることに関わる多くのことをさまざまな形や方法で自分のものにする」こと、まさにその通りですね!ホームステイの時のお話も伺ってみたいです。
今後ともよろしくお願いします。
投稿者 野島智司 : 2008年08月26日 12:15
アメリカでは、ホームスクーリングの意識が高いようですよね。それは(特に公立)学校の荒廃がひどいから…という理由もあるようですが。
私は日本の大学院で幼児教育を学んだ後、アメリカ留学して初等教育学を専攻したのですが、夏休みには大学内で、大々的なホームスクーリング講習会が開催されていました。
特に乳幼児期からのホームスクーリングプログラムを熱心に研究していた大学だったので、多くの州から大勢の参加者があり、事例研究の発表なども盛んに行われていました。
前回コメントさせて頂いたホームステイ先の家族も、そのカリキュラムをベースにしつつ、自分の家庭に合うように独自にアレンジして実践していたようです。
私はコウモリさんのように、ホームスクーリングの「課程」を卒業した訳でもなく、一受講者に過ぎませんでしたが「日本でも義務教育として学校に行くのが当然…といった風潮ではなく、家庭ごとに自由な選択ができたらいいのに…」と強く思わされていました。
でも一方で、ホームスクーリングを実践するためには、親の意識の高さや、努力・責任が求められますよね。
悲しいことに日本でよく聞かれるような「教育施設への子捨て」感覚で、「学校にお任せ〜!あとはすべて先生の責任〜!」という訳にはいきませんものね。
しかも日本ではすぐに「社会性はどう養うのか?」などといった二次的な議論が先行しやすいですし…。
残念です。
投稿者 アマゴっち : 2008年09月03日 00:54
アマゴっちさんは、そんな経歴をお持ちなのですね〜!アメリカではホームスクーリングを熱心に研究している大学もあるんですね。いつかお話を聞きたいです。
家族の状況によっては、親だけで負担を負うのは大変ですよね。ホームスクーリングに理解ある人たちの間でネットワークを作ったり、協同的に実践することもできたらいいですね。実際自分も、思えば色んな家族と出会う機会がありましたし。
子どもが学校に行く行かないに関わらず、わかり合える仲間を見つけることは、いつでも大切なことだなぁと思います。
一人ひとりに合った、色んな育ち方、生き方ができるようになるといいですよね。
投稿者 野島智司 : 2008年09月04日 01:05