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こてつパパさんコラム楽しかったですー♪ お疲れ様でした!
初めまして!四月の子育てコラムの担当をします。ドタバタかあちゃんです。
何故にこのペンネームか…ワタクシ、慌てん坊の忘れん坊…その上最近は立派なお肉もついてきて…
「ドタバタな毎日」を送っております…
四月は色々な始まりの時期ですね。私も三男が幼稚園入園するので、10年ぶりの身軽な生活が♪
そんなこんなで生活が変わるこの時期に、コラムの話しをいただき…文章は下手ですが自分を振り返りつつお話し出来たらと思います。
家族は夫と9歳6歳4歳の三人の息子との五人家族です。
年女です。(ちゅ〜)
20代の頃は「30歳越したら大人の落ち着いたしっとりした女性になるのかしら」と思ってましたが、全くその様子もなくドタバタした日々を送っております(泣)
さて…タイトルの「流れ流れて…」とは?
こども時代父親が公務員で転勤族でした。
福岡県内各所、広島、沖縄、東京…大体三年から五年で転勤でした。
流れ流れて…色々な所にお友達が出来ましたが、いわゆる「幼なじみ」という友人が少なく、地元、地域という言葉に縁が薄い状況でした。
短大を卒業して就職が決まり、一人暮しが始まりました。
そして夫と出会い家庭を築くことになり…妊婦になって知り合いもなく完璧に引きこもりでした。
楽しみは月に一度の某育児雑誌の発売日…早朝から近くのコンビニに出かけて購入し(紐とくところに立っていたことも…怪しいわ…)自分と同じ妊娠週数の人と体重比較したり、お腹周り比較したり…隅から隅まで読んでも一日で読めてしまう。暇だ〜暇すぎる…
(皆さんは妊娠中は何をしてたんでしょうか??特に第一子、私の周りでは「毎日買い物に用も無いのに行ってた」とか、今のようにインターネットが一般的でない頃だったから…)
そんな暇な妊婦だったのですが、事件もありました。
四ヶ月の頃つわりが酷くなりすぎて「妊娠悪阻で入院」
入院翌日に発熱!!「髄膜炎の疑いがあります」と産婦人科から救急車で医療センターへ搬送されました。
高熱で苦しむ私に医師の言葉「検査の為に骨髄液とります、背中に注射しますので障害が残る可能性があります」
私「こどもは?」
医師「(呆れた口調で)自分の命の危険があるのにこどもどころじゃないですよ!諦めてください」
ガガーン……
医師が出て行き、家族も付き添いは出来ないからと帰され、枕に顔を押し付け声を殺して泣きました。
ひとしきり泣いた私…決心しました(?)
「ここから逃げ出してやる」
点滴を取ろうと何回か試みましたが、不審な動きがばれたのか看護士が何度も検温や声かけに来て失敗(?)
「朝逃げ出してやる」と決意、一睡も出来ないまま朝を迎えました。
朝一番で当直の医師ともう一人の若い医師が来て、診察…
「検査が決まったら理由つけてトイレに行くか?そこから逃げるか?」と逃亡計画を立てていた私…(逃げられるわけがないのに)
若い医師が「この症状、髄膜炎とは思えません…大学病院でもう一度検査しましょう」と…(え?そうなの?逃げなくてよかったわ…)
またまた救急車で大学病院へ搬送され…
血液検査、脳神経の検査…歯科検診…エトセトラ…原因がわからないまま数日が過ぎて熱が下がって、退院直前にやっと判明…
インフルエンザ!!!(10年前はあんまり流行ってなかったのかな…)
なんなんだー!!びっくり!!
あぁ、でも…あの若い医師が居なかったら、我が家の長男は誕生してなかったかも。
ありがとう!!名前わかんないけど、若い先生!!
そんなこんなで産む直前までつわりに苦しみ、妊婦雑誌の発売日を待ち、果ては育児雑誌まで買い始めた頃に陣痛…
「立ち会い出産」の夫は私の入院部屋でテレビの昼ドラを観て、生まれる10分前に白衣着せられて入室、緊迫した出産シーンにびっくり…
長男、臍の緒を首にグルグル巻いて出れなくなったらしく、医師に引っ張られ、最後は助産婦さんがお腹の上に乗ってグイグイ押されて無事に誕生♪
私の子育てがスタートしました。
長男はとにかく寝ないこどもだったので寝不足からイライラが募り、何度も「あぁもうっ!!やってらんないよっ!!」と叫んだり、「何で泣くんだよ〜」と夜中に親子で号泣する事も…
授乳→おむつ換え→授乳→おむつ換え………エンドレス。
昼だか夜だかわからない毎日、気になる症状があり、小児科に行くと自分の子育てを否定され泣きながら帰宅した事も…
細い細い理性の糸に必死に頼りながら生活していました。
育児相談する人は居ない、夫もまだ独身気分抜けない…孤独な妊婦は当然孤独な母親になりました。
もう何年も社会から離れているような気がする(数カ月なのに)
夫は息子を可愛がっているけど、どうやら私の気持ちはイマイチ理解出来ないらしい…と何となく悟り始めて、この私の悶々とした気持ちのやり場は??
「お友達が欲しい!!それも近くにいて何でも話せる友達!!」
切実な想いで乳幼児健診や公園に出掛けても空振りばかりで気持ちばかり焦りました。
とにかく何かきっかけを!と市報のイベントコーナーを必死で読んでいたらありました!!
「ベビースイミング教室」ちょっと高いけど週に一回ペース!これならお友達が出来るかも!
でも年齢のところに「六ヶ月児から」
その頃まだ四ヶ月だった長男を抱えて、恐る恐る行政窓口で相談すると、「首がすわっているならオッケー」のお返事が♪
即申し込み。
私の切実な想いが届いたのか、そのスイミング教室でお友達が出来て…そのお友達とまたお友達に…数カ月前までには信じられないくらい親子でお友達に恵まれました。
ちなみにスイミング教室に来てたこどもたちは殆ど一歳前後、うちの長男が三月生まれで学年は一緒だったけど…
後々「初めてあなたたち親子を見た時はびっくりした〜歩いたり走ったりするこどもに混じって、まだ首がすわったばかりのお座りも出来ないこどもがいるんだもん!!チャレンジャーよね…」と笑いながら言われました。
長男六ヶ月、まだまだ夜中の授乳も続いて寝不足だったけど、お天気の日には公園、雨の日や暑い日にはデパートの遊び場や誰かのお家…
退屈だった日々が嘘のように忙しくなりました。
でもでも…あれれ?
ふと気がつくと私たちの町って「児童館がない、公園も整備されてるところがあんまりない、遊び場が少ない〜」
今まで目先の生活に追われていたのが、長男が歩き出して世界が広がり仲間が出来て、母親の私の視野も広がってきたようでした。
でも、その頃の私は「何となく不便だけど…何していいかわからないからまぁいいか」の状態で、長男一歳半の時に第二子妊娠が判明し、またまたつわりと闘う日々が始まりました。
(つわりってキツイですよね…)
つづく
(ドタバタかあちゃん)
投稿者 Kosodate : 2008年04月01日 00:00
ドタバタかあちゃんの楽しいコラム読ませてもらいました。出産や子育てについて、いろいろなドラマがあったのですね。これからのコラム楽しみにしています。
投稿者 のんちゃん : 2008年04月04日 18:06
のんちゃんさんへ
どうもコメントありがとうございます。
「ドラマ」・・・・というか、我が家の場合はどちらかというと「ネタ」ですね〜
「あんた見てると漫画みたい」と言われることもあります(失礼しちゃうわ〜)
投稿者 ドタバタかあちゃん : 2008年04月05日 18:18
楽しくコラム読ませてもらいました。
次回も楽しみにしていま〜す。
投稿者 こてつパパ&ママ : 2008年04月05日 23:04
こてつパパ&ママへ
をを、お元気ですか?こてつパパの愛情溢れるコラムよかったです〜本当にお疲れ様でした♪
投稿者 ドタバタかあちゃん : 2008年04月15日 18:44