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コメントを下さったみなさん、ありがとうございます。
みなさん 同じようなことで悩んでいるんですよね。
第2話は病気になったときの、とっさの対処法をお話しましたが、あれは病気の子どもに必要なことで、お母さんやお父さんに必要なことは違います。今日はそのお話です。
私が働いていたころ、春になり子どもが頻繁に風邪にかかるようになりました。
今考えれば、新学期で、1歳の彼にとっても大変な日々だったんでしょう。
翌日休んでほしくない(自分中心!!)ために、夕方小児科に通う日々が続きました。
先手、先手で行ったつもりなのに、やはり、早退です。
挙句の果てに、かかりつけの小児科で肺炎と診断。お先は真っ暗!
(入院?ずっと付き添うの?仕事は?どうなるの?)
そして紹介された病院は、混んでいる大きな総合病院。熱は高く、連れまわされた息子は毛布の中でぐったり。
「死んでしまうのではないか」という焦りもでてきました。看護士さんに「いつになったら見てもらえるんですか。」と聞くと、「みなさん、お待ちですから。」とそっけない返事で・・・。
泣きながら夫に電話をした覚えがあります。
「このままでは死んでしまうんじゃないか」と
「バカっ、子どもの命を守るのは病院でも医者でもない、親だ。今すぐ病院を変えろ!!」
それから、夫は見てくれそうな入院できる病院を方々探してから、電話をくれました。
受付もしているし、もう少し待てば順番がくるかもという私に、
「冷静に判断しろ!子どもにとって最善の方法を考えろ。その病院が子どもにとってベストか?」
やっと、目が覚めたのです。
この「子どもの命を守るのは、親だ。」のひと言が、その後の私の考え方を大きく変えました。
それから、夫が探した病院に駆け込み、事情を話し診察してもらいました。
そこの小児科には、年配の女医先生が待っていてくださり優しく応対してくれました。
「大変だったね。心配いらないから。」と、それまでのせき止めていたものが一気に流れ出した瞬間でした。息子は肺炎でしたが、幸い1週間の入院ですみました。
またこんなこともありました。
たびたび病気をする息子を心配して、会社の方が小児鍼を紹介してくださいました。
そこは、目の見えないおじいさんが細々とのんびり診察する診療所でした。
その目の見えないおじいさんが、子どもに針を打ちながら「この子は、お母さんのお腹おる時、しっかり栄養をもらっとるね。背骨を触るとようわかる。私にはよくわかる。心配するこたぁない。たまたま今は菌に負けとるだけじゃ。気管支が弱いから少し大変なだけじゃよ。なぁんも心配せんでいい。大丈夫。大丈夫。」と。
何気ない一言が、仕事と育児で疲れ果てていた私の胸には響き、涙がこぼれました。
息子もほっとしたのでしょう。その場で急に吐いて診察台を汚したときも、優しい奥様のおばあさんが出てきて「みんなこうやって大きくなるんじゃけ。」といって黙って片付けてくださいました。
手探りの子育て、おまけに見知らぬ土地での仕事との両立、入院と不安いっぱいだった私が、「うまくいっているよ!大変なのは今だけ。安心しなさい。」といわれた気がしてほっとしたものでした。
そのことばでとても勇気づけられ、人を癒すとか治すということは、こういうことだと思ったものでした。
子どもの命は親が守るのです。病院や医者も絶対に重要ですが、一番は親なのです。
そして、その子どもを一生懸命守っている親たちを、世間や、社会、医療関係者が守るのです。
窮地にたったときの、母親や父親は、そのことばで癒され救われるのです。
私はそんなことができる先輩ママになりたいし、社会人として困った人を癒せる先輩になりたいと思っています。
(waiwaimama)
投稿者 Kosodate : 03:51 | コメント (8)
今でこそ3人の子どもたちは、めったに病気をしなくなりました。
骨折で整形外科にかかったのと、学校に提出する証明のために行った小児科、歯科を除けば、ここ5年は病院に行っていません。
子どもたちが、幼稚園の頃はよく病気をしていました。行事前に熱を出したり、嘔吐下痢が流行ると兄弟がみんなでかかって洗濯物の山だったり、インフルエンザも次から次へと移ったりと・・・。
「この年齢のころはみんなそうなのよ。」と先輩ママに言われても、果てしなく続く長く暗いトンネルにいるような気がしたものです。
「何とかして病気にかからない方法はないか、健康に過ごせる方法はないか」という無理難題をいつも考えていました。そして、働いているならまだしも、専業主婦となって24時間子どものそばにいる身では、どんなことがあっても病気にはできないと、変な気負いがありました。
ダイエット遍歴ならぬ、子どもの健康遍歴とでも言うのでしょうか。漢方、小児鍼、自然療法、玄米菜食、整体、ホメオパシーに、フラワーエッセンスなどなど・・・。
どれも本当に役に立ち、たくさんの先輩方に出会い、とてもいい経験をすることができました。
せっかくですので皆さまに、お役に立つような例をお伝えしたいと思います。
きっととっさのときに役に立つと思います。
熱がでたときは、あまり高熱でなければ(37.0〜38.0℃くらい)キャベツの葉っぱを頭に乗せるとか、青菜を枕に敷くと気持ちがよくて、うまく熱を下げてくれます。下の息子は熱が出ると、嫌がらずによくキャベツの帽子をかぶっていました。
高熱のとき(38.0℃以上)は、豆腐を水切りして同量の小麦粉と少量のしょうがを混ぜて湿布にします。面倒くさがりの私は、水切りしただけの豆腐をキッチンペーパーにはさんで乗せていましたが、冷えピタなんかよりもずっと効果的に熱を下げます。
こんな安全で手軽なものはありません。うちの冷蔵庫には、いつもキャベツの一番外側の葉は保存していましたし、お豆腐も多少傷んでいても使えるので常備していました。
熱の出始めなどで、もっと熱を上げて効果的に病気を進めたいときは、ゆでた熱いこんにゃくや熱いおしぼりで、後頭部(熱の中枢があるそうです)を温めます。そんな時、子どもは決まって「あたたかいお茶がほしい」とか「足湯をしてほしい」ともいいます。とにかく温めたいのです。熱を上げることで一気に病原菌と戦うのです。
子どものすごいところは、今の自分に何があっているかを、本当によく知っているということです。大人や母親は、自分の考えでものごとを進めますが、案外子どもの言っていることのほうが的をついていることがあるものです。
嘔吐下痢症には、梅肉エキスです。それも10分おきとかに耳かき一杯分くらいをなめていると、長引かずにとても早期に治ります。梅肉エキスは、日ごろからなめているとインフルエンザの菌さえもよせつけません。
中耳炎には,ユキノシタの葉っぱです。さっとあぶって綿毛を焼いて雑菌を消毒し、丸めて耳に入れます。夜中にぐずり始めて困った経験から、ユキノシタをベランダやプランターに植えているお母さんもいます。
インフルエンザには、板藍茶と、天津感冒片がよく効きます。子どもがかかっていても、飲んでいる家族はかからずにすみますし、軽くすみます。常備しておくと絶対に助かります。タミフルが問題視される中、少しでも安全で対処できる方法は知っているだけでも・・・。
子どもの病気を考える中で、いろんなことを模索し、経験するうちに、自分なりの解決方法が見つけてきました。決して病院が嫌いということではなく、病院やお医者様の果たす役割も大きいと思いますが、いかに子どもの健康にも母親が責任をもてるかということだと思っています。
(waiwaimama)
投稿者 Kosodate : 03:46 | コメント (9)
はじめましてwaiwaimamaと申します。よろしくお願いします。
今、小学校6年生の長男、4年生の長女、1年生の次男と3人の子どもの子育てに奮闘中。
そして愛する(?)夫が一人の5人家族です。
転勤族なので、京都・名古屋・横浜・厚木・福岡と長男は7回も引越しを経験しています。
そんな私は、この3月まで大学院に通っていました。
研究のテーマは「子育て支援」「母親支援」。何しろたくさんの都市をまわりながら、孤独な子育ての厳しさを充分あじわってきたので、何とかしなきゃと思ったからでした。
といいつつも、大学院の卒業と同時に3人とも小学校に通うようになり、子育てで真っ暗だったトンネルを少しすぎた気分を味わっているところです。
こんな私が今思うことを、子育て中のみなさんにお伝えしたくてコラムを書かせていただくことになりました。少しの間お付き合いください。
第1話 子どもの病気と私の仕事
「あれ、起きてこない?」朝の嫌な直感。
我が家は長いこと「夜は7時半に寝る」というルールがあったので、朝は決まって自分たちでさわやかに起きてきます。ちなみに今は平気で10時になっていたりもしますが・・・。
そんな子どもですから、朝すっきり起きないのは黄色信号です。ましてや、起きてこないのは赤信号です。子どもが病気になってうれしい母親なんていないと思います。
私にとって、子どもの病気は、苦い思い出です。
子どもが長男だけだったとき、私は働いていたので、長男を保育園に預けていました。
毎朝、自宅で検温、園についてからも検温、検温は恐怖でした。
その日無事働けるか働けないかの命綱は、体温計が握っていました。
自分の机の直通電話が鳴るのも、恐怖です。同じ職場だった夫も、電話がなると、ため息をついていました。間違いなく「お迎えに来てください。」と呼び出しの連絡ですから。
保育園の呼び出しはたびたびで、呼び出されたからといって、仕事は仕事です。
理解のある会社だったので、園から連れ帰った熱のある息子を背中におぶって仕事をこなしました。嘔吐や下痢のときは、受付の女子や、喫煙ルームに集まっているおじさんたちが交代で、ベビーカーを押してあやしてくれました。
同じ職場の夫は、傍らで仕事をしながら複雑な心境だったと思います。『1歳児にとって母親が働くことは悪いことなのか』と悩んだり、自分を責めたりしたながら、みんなの好意が帰って辛いものとなりました。
結局のところ、長男は、風邪が長引き肺炎で入院。私は職場を休むことに・・・。
職場にいづらくなっていたころ、夫は単身赴任。そこにタイミングよく長女を妊娠したので、私は退職の道を選び転勤先へついていくことになりました。
今でもバリバリ働く女性を見ると「あの時辞めなければ・・・」と思うことがあります。
「子どもが病気にさえならなければ、辞めなくてすんだかも・・・」と
胸にすっきりしない幻想を抱いたままです。
でも、保育園に預けている時は、子どもが起きていて一緒に過ごせるのは1日に5時間弱。
いったい何をしているんだろうと悩んでいました。
初めて立つ姿、初めての一歩、初めてのことばは、母親ではなく保育士さんの前です。
「私は、母親として失格なのではないか。」「母親がいなくて、育つのだろうか。」そういう後ろめたい思いで、仕事をしていました。
働いているお母さん達はこんな思いも抱えつつ仕事をこなしている、そう思うと頭が下がります。もちろん、そういう思いのお父さんもいるとは思いますが、母親だから余計悩むのだと思います。
そして、その時から私の大命題は『子どもを病気にしない』となりました。次回はそのお話など・・・。
(waiwaimama)
投稿者 Kosodate : 17:10 | コメント (10)
あまり得意でないパソコンに何とか少し馴れたところで最後のコラムになりました。
ジジババの子育て参加は、いろいろな作業や行事の中で、持っている知恵を孫に伝えられることがジジババの存在感や喜びになり、ひいては生きがいになっていると感じています。
家の中ではジジババと父母の思いのバランスを取るのがなかなか難しいなーと感じつつも、孫と過ごすことが好きなジジババは、一輪車の曲芸のように倒れそうになり、また持ち直しながら(これは、ババだけかもしれませんが。)日々を過ごしています。
「すか〜ん、あっちいって」と言われ、「もう何もしてやらん」と目じりを吊り上げて対等に言い合いをしていても、突然「○○をして」「一緒に来て」と頼られ、目じりを下げている自分に気付き、私が猫で孫は猫じゃらしかなと思うこともあります。
6歳にもなる孫が、(一番人気の)じいちゃんが、座っていれば膝にだかれ、横になっていれば手枕をしてもらい、立っていれば胸や背中によじのぼって抱っこやおぶってもらっているこの光景を見ていると、年齢相応に成長しているのだろうかと疑いたくなることもあります。また、黙って言いなりになるじいちゃんと孫を見て腹立たしくなる事もあります。
でもじいちゃんが病気になった時は一変して、孫は、体温計をもっていき、自分が病気になった時使っているヒエピタを額に張ってやり、タオルで顔を拭いてとかいがいしく看病をします。一通り終わるとベットの側にちょこんと座って、誰が誘おうとも一歩も動かず心配そうに眺めている姿はいじらしく目頭が熱くなる事もあります。
私は、この姿を見ると西郷さんの横に座っている忠犬ハチ公やもちもちの木の物語の豆太とじいさまのことを思い出します。
ジジババの子育て参加は、親とは違った目線でまた、違った関わりで関わりあえる何となくほほえましい関係でいられるのかなあと思っています。何時まで続けられるかわかりませんが、この関係が続けられる間続けていきたいとと思っています。
気まぐれコラムに一ヶ月間お付き合いくださいましてありがとうございました。
(社会福祉協議会職員 ひまわりばぁちゃん)