ふくおか子育てパーク

« きんしゃい通りという場の力 | メイン | ジジ、ババの子育て参加 »

子どもを叱ることの難しさと、きんきゃんのこれから

2007年06月01日

こんにちは!やましーたけこと、山下智也です。
これが最後のコラムですね。

*****

昨日、中1の子が久々にきんきゃんに遊びに来てたんだけど、スタッフがいないところで、どうやら公園で火遊び(ライターで枯葉を焼いたり、煙玉で遊んでたり)をしていたようで、それを見た5年生の男の子が僕にそのことを伝えにきた。

基本的に、僕は自分が直接目にしたことしかきつく叱らないという基準をもっているし(他の人の証言が信用できないってわけじゃなくて、その子への説得力を持つために)、例えばプレーパークなんかでは火を使える環境をつくっていこうという動きがあって(もちろんそこでは、その責任も含めて子どもたちに自由を与えてるけど)その魅力も知ってるもんだから、そりゃ遊びたいよなぁっていう思いもあったりして。ただ、この公園では禁止されているわけだし、実際にこの場では危険な遊びだから、彼に注意だけしておいた。そして「もうしない」と約束をして。子どもたちも「わかった」と納得して、その場は一旦おさまった。

18時になって、きんきゃんを閉める時間になったので、公園にいる子どもたちに声をかけに行くと、そこにはちょっとだけ煙が立ちあがってる。僕の姿が見えたことで、慌てる数人の子どもたち。ふいに、僕は大声を上げて、その子の名前を呼んだ。たぶんこれまでのきんきゃんの中で、一番の大声で。その子がビクッとしたのが見える。周りにいた子たちも、ビクッとしたのが見えた。場が凍った感じ。
そして、彼を呼び出し、自分なりにきつく叱った。火遊びをしたということもだけど、一度僕と約束をしたのに、それを破ったことに対して。一度目のときの迷いはなく、ガツンと。約束を破ったこと、そしてここで火遊びをすることの危険性、1年生もいるなかで、中学生がそんな遊びをすることの危険性、彼にしっかりと伝えた。彼にもちゃんと届いたと思う。その手応えがあったからよかった。

今回の「叱り」は、割と迷いはなかった。もちろん思うところもあるけど、きちんと叱れた感はある。そしてそれは、僕と彼との関係性の深さにも関係してると思う。

一度彼を叱り、30分以上も無言の時間を過ごしたときがあった。彼が他の子どもを叩いた理由を聞き出すまで。ただ頭ごなしに叱るのではなく、なぜそうしたのかをしつこく追求した。お前がしゃべるまで、俺は帰らない。きんきゃんを閉める時間が過ぎても、沈黙は続いた。そして最後の最後に彼は、蚊の泣くような微かな声で、自分なりの理由をこぼした。
それが聞きたかった。
彼はどうしても、悪者に見られてしまう。なんでもかんでも、彼が悪い、になってしまう。叩いたことはもちろん悪い。でも、なぜそうしたのか、彼はすぐにだまりこんでしまうクセがあった。だから追求した。
彼には彼の理由があった。それをちゃんと話そう。じゃないと、お前だけが悪者になってしまう。そう話したとき、彼は目に涙を浮かべてた。

こんな体験をした後、俺と彼の間に信頼関係のようなものが生まれてた。そして今日。

彼をガツンと叱ったけど、中学生になってもまだきんきゃんに遊びに来てくれてる彼だし、きっとまた、遊びに来てくれると思う。その確信はある。

*****

子どもを「叱る」のには、本当にパワーがいる。今でこそ、それぞれの子どもたちとの関係性の中で「叱る」ことはあるが、最初は全くダメだった。変に口を出すと、子どもが遊びに来なくなるんじゃないか、嫌われるんじゃないか、という逃げ腰の自分。

 でも、きんしゃい通りにいる、あるおじいちゃんが、子どもをガツンと叱った場面を見て以来、僕の考え方・姿勢も変わってきた気がする。
 あるとき、子どもが何かイライラしていたのか、机をガンっと蹴っとばして、そのまま出て行こうとした。机の上のものがひっくり返りかける。ちょうどきんきゃんに立ち寄っていたNさんは、彼を怒鳴りつけた。「何でそんなことをするんか!」すごい剣幕でまくし立てる。いつもは陽気で、やんちゃな5年生は、最初は苦笑いしていたものの、徐々に表情が変わっていく。最後には、涙も浮かべていた。
 きっと、直接関係のない大人に叱られた経験なんて、なかっただろう。だから、最初はちょっと苦笑いも見せてて。でも、いつの間にか、Nさんの声が、彼の心に届いていた。
 「もう時間やから、帰れ」のNさんの声に、すごすごと帰る5年生。そんな彼の背中に、Nさんは、もう一声、付け加えた。「また来いよ」

 子どもに禁止ばかりする社会には、疑問を持っている。でも、「叱る」ことをしないのは、違う気がした。それは、必要なこと。

 それ以来、基本的にはいつも楽しく子どもたちと遊んでいるのだが、自分が必要だと思ったときには、子どもを叱るようになってた。ちゃんとその子どもの目を見て。目を逸らすなら、こっちを向かせて。
 とはいっても、叱るときは、すごく自分の心も揺れている。叱ってはいるけど、こっちの都合で叱ってしまってはいないか。ちゃんと子どもがわかるようにしかれているか。叱る基準がぶれてしまっていて、子どもに不公平感は生まれていないか。そもそも、きちんと叱れていても、どこかモヤッとしたものは残ってしまう。

 ただ、あるとき、取材の方が来られて、子どもに「やましーたけってどんな人?」と聞く場面があった。
Yくん(5年生)「やさしくてねー、メガネでノッポ。こう見えても、大学生よ」
やましーたけ「どういう意味だよ(笑)」
Yくん「ひげが(ちょっと生えてるから)ね(笑)」
Tくん(4年生)「でもね、怒ったら、怖いとよ。ときどきね」
やましーたけ「え、どういうときに?」
Tくん「誰かがね、ケガさせたときとか、いたずらをしたりとか!」
Yくん「決まりを破ったりとか」
彼らは僕が叱る場面をしっかりと見てくれていた。そして、その叱る基準も、子どもたちなりに理解してくれていたことが、何よりも嬉しかった。子どもたちがわかってくれているからこそ、僕もきちんと叱れるのかもしれない。子どものおかげだ。

*****

 子どもを叱る機会なんて、なかなかない。そういった意味では、僕は地域の方にそれを教わったことは大きい。そして、子どもたちとの関係の中で、「叱れる」ようになってきたことは、大きな糧である。僕も、地域や子どもに、育てられている。

 こちらの勝手な都合で叱るのではなく、子どもたちにわかる基準で、しっかりと叱らないといけない。子どもがそこで自分なりに納得をして、次に繋がっていかなければならない。そもそも、「叱る」ことができるように、その子どもたちとしっかりと関係性を作っていかなければならない。叱るときはガツンと。でも、叱りっぱなしではなく、きちんとその子どもの声を聞き、最後にはまた笑顔で別れられるようにしたい。

 もちろん、僕の叱り方なんてまだまだ。こうは言ってみたものの、迷いや悩みはいつも付きまとってる。でも、子どもと関わっていくなかで、切っても切り離せないことだし、これからももっともっと、考えていかないといけないと思っている。

*****

 そんなことを考えつつの、きんきゃんです。
 きんきゃんはこれからも、毎日毎日、続いていきます。先のことはわからないけど、子どもたちと約束する「また明日!」を大切にして、一歩ずつ、進んでいこうと思っています。そして、この箱崎の、きんしゃい通りの、当たり前の姿として、きんきゃんが生き続いていければと思っています。
 僕だけのきんきゃんではありません。他の大学生スタッフ、商店街の方々、地域の方々、保護者の方々、このコラムを読んでくださっている・きんきゃんを理解してくださる方々、たくさんの方々に支えられて成り立っているきんきゃんです。そして、ここに遊びに来る子どもたちなしには、きんきゃんは成り得ません。感謝の気持ちなしにはいられません。
「みんな」で、これからのきんきゃんを支えていきたいです。これからも、きんきゃんをよろしくお願いします。

IMGP3342.JPG


*****

今日で、僕のコラムは最後です。まだまだ子育ても経験していない若造が、もっともらしいことを言っちゃったりして、お恥ずかしい限りです。稚拙なコラムを読んでくださった方に、本当に感謝してます。ありがとうございます。
もっともっと、きんしゃいきゃんぱすのことを紹介したかったのですが、次の方にバトンを渡したいと思います。きっと魅力的な「子育て」を伝えてくださると思います!今度は読者として、コラムを楽しみにしていきたいと思います。
それでは、また!

(きんしゃいきゃんぱす 山下智也)

投稿者 Kosodate : 2007年06月01日 09:31

コメント

若造…だけどすでにあなたは親の気持ちに自然となりつつ…残りは無償の愛かな(*^_^*)親は損得感情なし!その子に対する愛情だけで叱るものです…しかし今はしっかり何故叱ってるのか親としてどんな気持ちで今いるのか説明しないと子は考えなく一時的な感情で「叱られた=ぶっ殺す」と大げさですが即実行する子や逆恨みを持ったままの状態で成人後実行する子が急激に増加してます。親も我が子を叱らず人のせいにし嫌われたくないから人頼りに叱ってもらう現状があります例にとるならば電車に乗っていてマナー違反してる子に対して親は「ほらオジチャンが恐い顔して見てるからやめようね」等平気で言う親が多すぎます。あなた自身今時の親が持っていない常識とマナーと我が子だけでなく色んな子供達に対する深い愛情と自信を持ってたくさんの子供達に接してくださいね(^^)あなたにはできますよ!卒業後進路は決めてますか?まだなら一度保育園できんきゃんに来ない小さな子供達と接してみてください(^^)また違う子供の一面が見れそして発見しプラスになりますよ今までご苦労さまでした!今度きんきゃんに遊びに団体でうかがいますね

投稿者 おかん : 2007年06月02日 16:57



いよいよ最後のコラムですね。最後も、「叱ること」をテーマにしたとてもいいコラムですね。山下さんが「叱ること」ができたのは、「僕と彼との関係性の深さにも関係している」ということ。日頃のきんきゃんで、大切なつきあいをされていることがわかりました。また、すごい剣幕で叱ったNさん。でも、「また来いよ」というNさんは、「自分の身勝手な感情で叱ったのではない」「5年生の子どものことを思って叱った」やさしさに満ちあふれた方だと思いました。
自分も山下さんやNさんのようにありたいと思います。これからもきんきゃんのご発展を心よりお祈りいたします。そして、いつの日か、きんきゃんを訪れたいと思います。そのときは、よろしくお願いします!

投稿者 たかちゃん : 2007年06月02日 18:14



たかちゃんと同感です。怒る時は真剣に怒ることです。子どもは何で怒られているかわかります。仮に、わからなかった場合は怒られて初めてそのことが良いことか悪いことか理解します。今の子どもは怒られることがすくないので善悪の判断ができない状況にもあります。いろんな場面でいろんなことをするのが子どもです。それをきちんと見守って育てていくのが大人であり指導者でありよきお兄さんです。コラムありがとうございました。今後もがんばって続けてください。応援しています。

投稿者 みっちゃん : 2007年06月07日 19:52



みなさん、コメントありがとうございます!
そして、お返事が遅くなってしまってスミマセンm(_ _)m

>おかんさま
「親は損得感情なし!」には、なるほど!と思わされました。
まだ親ではない自分としては、親であるみなさんをホントに尊敬します。
親子の関係を見ているだけで、こちらが学ばされることってたくさんあります。

卒業後は、できれば大学関係の職に就職して、
実際に子どもたちと接しつつ、研究を続けていけたらと思っています。
子どもの現場をできる限り尊重し、大切にする研究者になりたいですね。

幼児もたまーにきんきゃんに遊びに来てくれますが、
やっぱり小学生とはまた違った関わりが必要になってきそうですね。
今はきんしゃいきゃんぱすに来る子どもとの関わりにどっぷりですが、
いろんな現場に出向いたり、いろんな子どもと接する中で、
もっともっと経験していけたらと思っています。

ぜひぜひ、きんきゃんに遊びに来られてください!楽しみにお待ちしています。


>たかちゃんさま
生意気にも「叱ること」をテーマにさせていただきましたが、
みなさんからこうやってコメントを頂けて、このテーマにして良かったなと思っています。
きんきゃんを続けていく中で、僕にとってNさんの存在はとても大きいですし、
Nさんに限らず、いろいろな地域の方々に育てられているなぁと実感しています。
僕がまがいなりにも叱れるようになったのは、地域の方のおかげである部分も大きいですし。
きんきゃんがこれからどう発展していくか未知数ですが、
がんばって、というよりも、楽しんでやっていきたいと思います。

きんきゃんにも、ぜひ気軽にお越しくださいね。


>みっちゃんさま
「子どもを叱る、善悪を伝える」ということは、
子どもを叱る以前に、自分がしっかりと善悪を理解し、
子どもに伝えるべきことことをある程度把握しておく必要がありますよね。
まずは、自分自身がしっかりと生きていなければならないということを、
コメントを頂いて改めて気づかされました。

そういう自分自身の「大人らしさ」をもっともっと鍛えて、
子どもにとって意味のある大人になれればなぁと思いつつ、
まだまだだなぁ、俺も子どもだなぁと思ったりしています(^^;


みなさんからの応援を励みに、
また毎日きんきゃんを開け続けようと思います。
こちらこそありがとうございました!

投稿者 山下智也 : 2007年06月09日 02:41



コメントしてください




保存しますか?


Copyright© 2005 Fukuoka Prefecture. All Right Reserved.