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近年、農業の機械化によって子どもたちが田植えの手伝いをする風景が全く見られなくなりました。我が家でも、私たちが子育てをする時代は小学生にもなると親のする野良仕事の手伝いと称して混ぜに来たものです。孫になるとどうしたものかと思案しつつ、「今から田植えをするよ。」と言う掛け声をかけました。何をするか分からないまま孫たちも出てきました。
営農で大忙しのじいちゃんの代わりにパパが田植え機械を使いました。じいちゃんの使うトラクターに何時ものせてもらって畑を行き来する孫たちは、今度は田植え機に・・・っと思ったみたいでしたが、勝手の違う田植え機には乗れませんでした。一番戦力のじいちゃんがいなくて、孫たちに田植えをさせたいと思っていた私の思惑も外れてしまいました。
しかし、苗運びは私、孫とママは、機械に入れる苗をパパへ手渡したり、空の苗箱洗いに挑戦していました。今年の苗は、根が伸びすぎて箱に付いて取れず大変そうでしたが「水が冷たくて気持ちがいいよ。」とか「水の流れが速いけ流されるー」と言いながら遊び感覚で楽しんでいるようでした。幼稚園の孫は、何時もの畑と様子のちがう田んぼの生き物を追いかけるのに夢中でした。そのうちバランスをくずして田んぼに滑り込んで半身泥まみれというハプニングもありました。でも、皆の協力のおかげで6反の田植えが半日で終わりました。
我が家の田植えが終わって数日後、子どもたちに田植えの体験をさせたいと言う地域の方の企画により、子ども会で急きょ田植えをすることになりました。孫たちも参加をしました。10時半に集合でしたが、初めての田植え体験企画でしたので親も一緒に集まるし、スタッフも沢山いてとても賑やかな田植えとなりました。
まず、田植えの前に、昔使っていた道具の説明がありました。苗籠や田植え枠、田植え後の草取りがんづめ等です。子どもたちは、初めて目にするものばかりでイメージがわかない様子でしたが、実際に田植え枠を使って田植えをしたり、がんづめを押すのを見て使い方はわかったようでした。
小学生の子どもたちは、難なく水田に入れましたが、幼稚園の孫は、どろどろの水を嫌がり水の中に入らず、木製の田植え枠や草取りのがんづめの説明を一人畦から眺めていました。
しかし、綱が張られ、本番の田植えが始まると、大好きなじいちゃんと田んぼに入り生まれてはじめての田植え体験となりました。
はじめは「手が汚れる」とか「足がぬるぬるする」と言っていましたが、じいちゃんから「苗を3〜4本とって3本の指でさすんよ」と言われるまま植えていくうちに馴れたようでした。
この体験で来年は我が家の田植えをしてくれるだろうと私は目を細めて期待しています。
終わりが近づきました。秋にはまた皆で収穫して、おにぎりを作って食べられるといいね!これは大人ばかりの思惑でしょうか。初体験の子どもたちには、この見通しは無理でしょうね。・・・でも、おにぎりは、実現すると良いなぁと思っています。
(社会福祉協議会職員 ひまわりばぁちゃん)
投稿者 Kosodate : 15:57 | コメント (3)
本社会福祉協議会では3年前から小学校5年生を対象に通学合宿をはじめました。
きっかけは、旧町内の校区の異なる子どもたちに、共同生活を通して、挨拶や返事を身につけさせたり、自炊を人生の先輩に学び、知恵をいただき、掃除洗濯等をさせたいと思ったからです。そのような体験が、子どもの自立や他者との強調や連携ができる態度・技能を体得させることになると考えました。
その他、ボランティア活動や福祉体験活動を通じて福祉への関心をたかめたり、野菜を育て食することで食への関心も持たせたいと考えました。また、子ども時代の体験が、将来、故郷への愛着につながらないかなーという淡い期待も寄せています。
次は、過日行いました事業の一つ「野菜を育てて食べよう」の様子をお知らせしたものです。
食育の一環として通学合宿の時、自分たちで育てた野菜を食材にさせたいという思いから通学合宿(10月初旬)で食べられる、あまり手のかからないものという条件で野菜を探しました。JAの課長さんや地域で野菜作りをしている方に相談をして昨年は、丹波の黒豆の枝豆とさつまいもを育てました。
今年は、通学合宿の一連の事業として、丹波の黒豆の枝豆とミニトマトを育てることにしました。
6月9日(土)、朝のうち雨が降り少し心配しましたが、作業を始める頃は曇り空の良好な作業日和になりました。
今年は子どもたちの参加が27名、近くの老人クラブの皆さん12名、JAの課長さん、社協の職員9名と人数が増え、にぎやかな作業開始となりました。
黒豆は、老人クラブの方があけた穴に子どもたちが一粒ずつへそを確かめながらへそを下にして入れていきました。
ミニトマトの定植では、マルチにあけた穴に大きなじょろで水を入れるのに苦心しましたが、老人クラブの方にじょろの先を指で押さえて水の勢いを加減する方法を教わりました。一人ひとり名札をつけていますので時々成長の様子を見に来てください。
子どもたちの感想は、
「初めてした黒豆の種まきは楽しかった。」
ミニトマトの定植は、「トマトが好きだから楽しみ、植えてよかった。
早く実がなってほしい、10月が楽しみ、気持ちが先に行く。」などたくさんの声が聞かれました。スタッフも料理のメニューにできるだけ沢山入れたいと考えています。
毎年通学合宿の時、包丁がうまく使えない子どもたちがいますので、作業を終えてのおやつはりんごにしています。包丁を使うことに慣れない子どもたちに一回でも、多く経験をさせたいと思って計画しています。
今年は例年になく27人中14人の子どもたちが、果物の皮むきを経験していました。りんごの皮をむくのにも慣れていて、丸のままむく子が、5〜6人もいて、スタッフの方が驚きました。4等分してむく子、うさぎにする子などもいて、和やかに自分でむいたりんごを食べることができました。
子どもたちの感想は「自分でむいたりんごをまるかじりしたので、とっても美味しかった。」そうです。また、「初めてだったけどできて良かった〜。」とほっとした様子でした。
スタッフはハラハラする場面もありましたが、子どもたちの発想(丸が駄目なら半分)の豊かさに感心させられました。
(社会福祉協議会職員 ひまわりばぁちゃん)
投稿者 Kosodate : 11:01 | コメント (4)
今の時期、ラッキョや梅漬けのシーズンです。近くの「ふれあい市場」に行くと土の付いたラッキョやネットに入った梅の籠がいくつも並んでいます。
ちなみに、我が家でも、この一週間、ラッキョを掘り上げ頭と尻尾のひげを切って漬け込みました。ラッキョは玉ねぎと同じ仲間ですから家の中におくと孫たちからブーイングです。「変な臭いがする。」とか、「目が痛い」とか。
また、梅干を作るための塩漬け、孫たちの夏の飲み物に梅ジュース、大人用に梅酒など。それに加えて田植えもあり、慌ただしく過ぎてしまい、ゆっくり物事を考えることができませんでした。
でも、その合間をぬって近所のおじいちゃんとおばあちゃんと胡椒の定植に行きました。
食料自給率を上げるためとイザと言う時の自給自足を考えている私は、野菜作り、米作り、何事も次の世代につなぐため、孫と一緒にするようにしています。この日も胡椒の定植の情報を得てお供することになったわけです。
日頃から、にわとりのえさやりや野菜取りなど、
行き来しているので、
「苗を植えに行くよ。」という
誘いにのった孫と畑へ、
すぐに苗が植えられるつもりで、
勇んで畑についたのですが、
まだ草むしりの段階でした。
しばらく草をむしったけど、そこは
子ども、「まだ植えんのー。」と言い始め、そのう
ち、虫を捕まえて遊び始めました。
草むしりが終わり、畝が出来て鶏糞をまくと、「これは何?、何故にわとりのうんちをまくん?」と質問。
「にわとりのうんちは、畑のご飯だよ、小さい粒の肥やしはおかずだよ。」と言いながら土と混ぜて床ができあがりました。
マルチをしき、植え付けです。
最初に穴を開けて水をまきました。
水まきになると手馴れたもので、
喜々として働き始めました。
苗を植え土をかけてまた水をたっぷりやって
一丁上がり。当日の作業は終了となりました。
(社会福祉協議会職員 ひまわりばぁちゃん)
投稿者 Kosodate : 14:06 | コメント (2)
ジジ69才、ババ64才、孫9才、6才、二世帯同居の賑やかな6人家族です。
ババの私は、母が仕事をしていたので四世代家族でばあちゃんに温かく育てられました。その私も子育て時代は仕事をしていましたので、厳しいしつけは親が、温かく守る部分は祖母にまかせっぱなしでした。このことから役割をもっての三世代、四世代でする子育ては、プラス面が多いと考えています。
子どもが思いどおりにならない時、父母が子どもを叱ります。子どもは、ジジ、ババの所に逃げてきます。ジジ(?)ババは、よくぞ逃げて、頼ってきてくれたと、内心ニンマリしながらも、「気持ちを落ち着け、親の面目をつぶさぬように」とさとし役です。
ちなみに我が家のジジ、ババの子育ての役割は、朝起きるやいなや「じいちゃ〜ん」とジジコールで始まります。洗面、食事、トイレの世話、幼稚園の送迎、お風呂等、生活援助のほぼ全てジジ担当です。口数の少なさとフットワークの良いジジは、常に孫を守るナイトです。困ったことがあると孫は、すぐにジジを頼ります。おもちゃの修理、折り紙や遊びの相手、暗くて怖いときのボディーガード、おやつの調達等々です。
それに引き替え、ババの子育ては、ジジのいない日のスペアーです。日頃は孫に甘いジジとのバランスを取るために、常に叱り役に徹しています。ババの私は、「ばあちゃんすかん、あっち行き。」と言われ、チョッピリ淋しさを感じながもらジジの居ない時に、子どもの優先順位(ジジ、ママ、パパ、ババ)最下位の私に仕方なく頼ってくる子どもたちを愛おしく思う毎日です。
(社会福祉協議会職員 ひまわりばぁちゃん)
投稿者 Kosodate : 17:06 | コメント (4)
こんにちは!やましーたけこと、山下智也です。
これが最後のコラムですね。
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昨日、中1の子が久々にきんきゃんに遊びに来てたんだけど、スタッフがいないところで、どうやら公園で火遊び(ライターで枯葉を焼いたり、煙玉で遊んでたり)をしていたようで、それを見た5年生の男の子が僕にそのことを伝えにきた。
基本的に、僕は自分が直接目にしたことしかきつく叱らないという基準をもっているし(他の人の証言が信用できないってわけじゃなくて、その子への説得力を持つために)、例えばプレーパークなんかでは火を使える環境をつくっていこうという動きがあって(もちろんそこでは、その責任も含めて子どもたちに自由を与えてるけど)その魅力も知ってるもんだから、そりゃ遊びたいよなぁっていう思いもあったりして。ただ、この公園では禁止されているわけだし、実際にこの場では危険な遊びだから、彼に注意だけしておいた。そして「もうしない」と約束をして。子どもたちも「わかった」と納得して、その場は一旦おさまった。
18時になって、きんきゃんを閉める時間になったので、公園にいる子どもたちに声をかけに行くと、そこにはちょっとだけ煙が立ちあがってる。僕の姿が見えたことで、慌てる数人の子どもたち。ふいに、僕は大声を上げて、その子の名前を呼んだ。たぶんこれまでのきんきゃんの中で、一番の大声で。その子がビクッとしたのが見える。周りにいた子たちも、ビクッとしたのが見えた。場が凍った感じ。
そして、彼を呼び出し、自分なりにきつく叱った。火遊びをしたということもだけど、一度僕と約束をしたのに、それを破ったことに対して。一度目のときの迷いはなく、ガツンと。約束を破ったこと、そしてここで火遊びをすることの危険性、1年生もいるなかで、中学生がそんな遊びをすることの危険性、彼にしっかりと伝えた。彼にもちゃんと届いたと思う。その手応えがあったからよかった。
今回の「叱り」は、割と迷いはなかった。もちろん思うところもあるけど、きちんと叱れた感はある。そしてそれは、僕と彼との関係性の深さにも関係してると思う。
一度彼を叱り、30分以上も無言の時間を過ごしたときがあった。彼が他の子どもを叩いた理由を聞き出すまで。ただ頭ごなしに叱るのではなく、なぜそうしたのかをしつこく追求した。お前がしゃべるまで、俺は帰らない。きんきゃんを閉める時間が過ぎても、沈黙は続いた。そして最後の最後に彼は、蚊の泣くような微かな声で、自分なりの理由をこぼした。
それが聞きたかった。
彼はどうしても、悪者に見られてしまう。なんでもかんでも、彼が悪い、になってしまう。叩いたことはもちろん悪い。でも、なぜそうしたのか、彼はすぐにだまりこんでしまうクセがあった。だから追求した。
彼には彼の理由があった。それをちゃんと話そう。じゃないと、お前だけが悪者になってしまう。そう話したとき、彼は目に涙を浮かべてた。
こんな体験をした後、俺と彼の間に信頼関係のようなものが生まれてた。そして今日。
彼をガツンと叱ったけど、中学生になってもまだきんきゃんに遊びに来てくれてる彼だし、きっとまた、遊びに来てくれると思う。その確信はある。
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子どもを「叱る」のには、本当にパワーがいる。今でこそ、それぞれの子どもたちとの関係性の中で「叱る」ことはあるが、最初は全くダメだった。変に口を出すと、子どもが遊びに来なくなるんじゃないか、嫌われるんじゃないか、という逃げ腰の自分。
でも、きんしゃい通りにいる、あるおじいちゃんが、子どもをガツンと叱った場面を見て以来、僕の考え方・姿勢も変わってきた気がする。
あるとき、子どもが何かイライラしていたのか、机をガンっと蹴っとばして、そのまま出て行こうとした。机の上のものがひっくり返りかける。ちょうどきんきゃんに立ち寄っていたNさんは、彼を怒鳴りつけた。「何でそんなことをするんか!」すごい剣幕でまくし立てる。いつもは陽気で、やんちゃな5年生は、最初は苦笑いしていたものの、徐々に表情が変わっていく。最後には、涙も浮かべていた。
きっと、直接関係のない大人に叱られた経験なんて、なかっただろう。だから、最初はちょっと苦笑いも見せてて。でも、いつの間にか、Nさんの声が、彼の心に届いていた。
「もう時間やから、帰れ」のNさんの声に、すごすごと帰る5年生。そんな彼の背中に、Nさんは、もう一声、付け加えた。「また来いよ」
子どもに禁止ばかりする社会には、疑問を持っている。でも、「叱る」ことをしないのは、違う気がした。それは、必要なこと。
それ以来、基本的にはいつも楽しく子どもたちと遊んでいるのだが、自分が必要だと思ったときには、子どもを叱るようになってた。ちゃんとその子どもの目を見て。目を逸らすなら、こっちを向かせて。
とはいっても、叱るときは、すごく自分の心も揺れている。叱ってはいるけど、こっちの都合で叱ってしまってはいないか。ちゃんと子どもがわかるようにしかれているか。叱る基準がぶれてしまっていて、子どもに不公平感は生まれていないか。そもそも、きちんと叱れていても、どこかモヤッとしたものは残ってしまう。
ただ、あるとき、取材の方が来られて、子どもに「やましーたけってどんな人?」と聞く場面があった。
Yくん(5年生)「やさしくてねー、メガネでノッポ。こう見えても、大学生よ」
やましーたけ「どういう意味だよ(笑)」
Yくん「ひげが(ちょっと生えてるから)ね(笑)」
Tくん(4年生)「でもね、怒ったら、怖いとよ。ときどきね」
やましーたけ「え、どういうときに?」
Tくん「誰かがね、ケガさせたときとか、いたずらをしたりとか!」
Yくん「決まりを破ったりとか」
彼らは僕が叱る場面をしっかりと見てくれていた。そして、その叱る基準も、子どもたちなりに理解してくれていたことが、何よりも嬉しかった。子どもたちがわかってくれているからこそ、僕もきちんと叱れるのかもしれない。子どものおかげだ。
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子どもを叱る機会なんて、なかなかない。そういった意味では、僕は地域の方にそれを教わったことは大きい。そして、子どもたちとの関係の中で、「叱れる」ようになってきたことは、大きな糧である。僕も、地域や子どもに、育てられている。
こちらの勝手な都合で叱るのではなく、子どもたちにわかる基準で、しっかりと叱らないといけない。子どもがそこで自分なりに納得をして、次に繋がっていかなければならない。そもそも、「叱る」ことができるように、その子どもたちとしっかりと関係性を作っていかなければならない。叱るときはガツンと。でも、叱りっぱなしではなく、きちんとその子どもの声を聞き、最後にはまた笑顔で別れられるようにしたい。
もちろん、僕の叱り方なんてまだまだ。こうは言ってみたものの、迷いや悩みはいつも付きまとってる。でも、子どもと関わっていくなかで、切っても切り離せないことだし、これからももっともっと、考えていかないといけないと思っている。
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そんなことを考えつつの、きんきゃんです。
きんきゃんはこれからも、毎日毎日、続いていきます。先のことはわからないけど、子どもたちと約束する「また明日!」を大切にして、一歩ずつ、進んでいこうと思っています。そして、この箱崎の、きんしゃい通りの、当たり前の姿として、きんきゃんが生き続いていければと思っています。
僕だけのきんきゃんではありません。他の大学生スタッフ、商店街の方々、地域の方々、保護者の方々、このコラムを読んでくださっている・きんきゃんを理解してくださる方々、たくさんの方々に支えられて成り立っているきんきゃんです。そして、ここに遊びに来る子どもたちなしには、きんきゃんは成り得ません。感謝の気持ちなしにはいられません。
「みんな」で、これからのきんきゃんを支えていきたいです。これからも、きんきゃんをよろしくお願いします。
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今日で、僕のコラムは最後です。まだまだ子育ても経験していない若造が、もっともらしいことを言っちゃったりして、お恥ずかしい限りです。稚拙なコラムを読んでくださった方に、本当に感謝してます。ありがとうございます。
もっともっと、きんしゃいきゃんぱすのことを紹介したかったのですが、次の方にバトンを渡したいと思います。きっと魅力的な「子育て」を伝えてくださると思います!今度は読者として、コラムを楽しみにしていきたいと思います。
それでは、また!
(きんしゃいきゃんぱす 山下智也)