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この子育てコラムをご覧下さっている皆様の中には、学校や育児サークルなどで
読み聞かせに携わっている方も多いのではないかと思います。
そこで今回は最終回にふさわしく「絵本にまつわる歌」をご紹介したいと思います。
かくいう私も独身時代から新婚時代にかけての4年間、図書館に司書として勤務しておりまして「ダンボのじかん」と銘打った読み聞かせの時間に未就学児とそのお母さんに読み聞かせをしていました。
「これっくらいのおべんとうばこ」つくりながら笑う子泣く子目を合わせいる
吾が声でこの子らが聞く物語も心の血となり肉となるのか
読み聞かせをはじめ手遊び、子どもたちと工作をしたり、たなばた会やクリスマス会…、
思いがけず切り紙に目覚め、切り紙で紙芝居を作ったり(今でも図書館に私が作った『たなばたプールびらき』と『クリスマス オール スター』が保管されています)、この4年間は本当に貴重な日々でした。
ちなみにこのコラムに載せた切り紙絵も自作のものです。
絵本二冊読み終えたちまち我だけが眠ってしまう子とのおひるね
退職後も読み聞かせのボランティアをしていました。現在は娘の専属です。
娘が生まれる前からたくさんの絵本たちが我が家の本棚で娘の誕生を待ち詫びていました。
それに応えるように娘も絵本が大好きな子になりました。
王子様はあなたではないはずだからガラスの靴はまだ落とせない
いっぱしのロマンスなどを夢に見る胸の谷間のない人魚姫(マーメイド)
お約束どおり(?)娘はお姫様モノが好きなのですが、私はお姫様モノの中では『人魚姫』がいちばん好きです。
あの一途さと報われなさ…。逆にお姫様の中でも軍を抜いてしたたかなのは『シンデレラ』だと思うのです。
ガラスの靴を落としたのはきっとわざとにちがいない…と私は睨んでいます(笑)
百万回生まれ変われば心から愛される吾になれるだろうか
『百万回生きたねこ』に愛された白猫に生まれ変わる。来世は
そして私が愛してやまない一冊。一度はご覧いただきたい佐野洋子作・絵の名作中の名作です。
ご存知の方も多いのではないでしょうか。
私がこの絵本の中で注目すべきは白猫の存在です。
多くを語らずに「そう」とうなずくだけで、百万回生きたねこに「そばにいてもいいかい」と言わしめた美しく聡明な白猫。
この白猫は何回生まれ変わったのだろう?
どれくらい生まれ変われば白猫のようにただそばにいるだけでいいと望まれる私になれるだろうか…。
輪廻転生という言葉があるけれど、私は何回くらい生まれ変わった私だろう…。
絵本からは少し逸れてしまうけれど、読むたびにそんなことを思ってしまいます。
さて、書きたいことやご紹介したい歌は尽きませんが、5月も終わりとなり、ワタクシの
出番はここまでとなってしまいました。
個人ブログ「cubic blue days(http://blog.livedoor.jp/cube0402/)」では
わたしたち母娘の日々や短歌作品を綴っていますのでこちらもご覧いただければ幸いです。
1ヶ月間おつきあいいただきまして本当にありがとうございました。
5月という私にとって特別な月に、このような機会が与えられたことに心から感謝しています。
難しくも楽しい宿題をかかえながらひとつ年をとることができました。
さいごに、この「ふくおか子育てパーク」が育児の交流の場としてますます広がっていきますことを、
そして育児に携わっている大人たちとかけがえのない子どもたちのたくさんの笑顔をお祈りいたします。
(※短歌を無断で使用、引用することを禁じます。)
(歌人 松井央利子)
投稿者 Kosodate : 21:25 | コメント (9)
現在私は夫と離れて暮らしており、平日は私の実家で、土日は自宅で、4歳のひとり娘とともに過ごしています。
夫と離れてはおりますがかろうじて「妻」です。
昨年資格を取り、今年の2月に仕事に就きました。娘もこの4月から保育園に通っています。
静けさの満ちたる朝(あした)勾玉の生命(いのち)の目覚めを全身で聞く
(2001.11.19 朝日歌壇掲載 島田修二選)
喜びが枝いっぱいに咲き揃う桜の頃に母親(はは)となります
(2002.1.21 同 佐佐木幸綱選)
降りしきる桜(はな)の洗礼受けながら吾子の一生(ひとよ)がはじまりし朝
結婚2年目で待望の子どもを授かり、妊娠、出産、初めての育児を夫も共に喜んでくれていました。
親子三人が笑ったり時々けんかしたりしながらふつうに暮らしていける日々を、
娘の成長を見守りながら夫とともに年を重ねていける未来を、なんの疑いもなく信じていました。ところが、娘が1歳になった頃から夫は家で笑わなくなり、次第に話もしなくなりました。
食卓の我らの間を行き来する会話 ではなく醤油差しのみ
日付け変わり闇持ち帰る夫ゆえ闇の湿度をその胸に持つ
それから後、想像を絶する様々なことが起こり、気付けば深い深い闇の中に私はいました。娘とともに。
私の両親、そして友人達が私を支えてくれましたが、
正気を保っていられたのは他ならぬ娘の存在だったと言っても過言ではありません。
鬱情は小さく小さく折り畳む心地好い子の目覚めのために
声たてて笑う家族とすれちがうショッピングモールの外は晩秋
風船を頭上に浮かべパパママに絡まるように歩くよその子
しばらくの間は、娘とふたりで人ごみに出ることもつらい日々でした。
もはや夫の手を借りることができずに育児をしていかなければならない不安と、やりきれない思いをかかえながらも、
だんだんと言葉を習得し成長していく娘の存在はいつしか私の唯一の拠り所となりました。
にぎやかな色彩連ねはじめての首飾りを子は作りあげたり
じゅうたんに子が蒔くボタンの種からは四つもしくは二つ芽が出る
子が砂に差せばたちまち紅葉はケーキの上の炎となりぬ
そして冬のある日
ジャケットの中にくるりと子を抱き裸木の裡(うち)の樹液を想う
一枚の葉も身に付けず、かさかさになった樹皮でも、
その幹のうちに脈々と樹液が巡っているうちは樹木として生き続ける…
そんな冬木立と自分自身を重ねたこの歌を作った頃から、私はこの子に生かされている、
なにがあってもひとりでもこの子を守っていこう…という母親としての確固たる思いが私の中に芽生えた気がします。
それまでは
子は我に抱きつき首にまとわりぬ我を海へと沈めるように
と、本当に暗いどこかへ沈められてしまうような感覚に苛まれることがありましたが、それも今は昔。
娘とふたりの時間が増えていくに連れ、私たちの間には「支え合っている」という絆が強くなったように思います。
今では人ごみもすっかり平気になり、どこにでも出掛けられるようになりました。
昨夏の終わり頃、日曜日のショッピングモールでアイスクリームを食べながら実際の会話をもとに
「寂しそうに見えないふたりでいたいよね」三歳の娘(こ)が「そうだね」と云う
という歌を作った時からなにかがふっきれたように思います。
つらかったのは「子育て」という言葉に含まれるどこか「しなくてはならない一方的なもの」というニュアンス、
それをひとりで担うことの重圧でした。
4年前、出産祝いとともに友人から「育児は育自」という言葉をもらいました。
こんなカタチで噛みしめることになるとは当時夢にも思いませんでしたが、
まさにそうだなと娘の成長と共に痛感する今日この頃です。
水の中で繋ぐ子の手のあたたかさかつて我らはひとつであった
(歌人 松井央利子)
(※短歌を無断で使用、引用することを禁じます。)
投稿者 Kosodate : 15:49 | コメント (10)
今回もお題シリーズ。今回のお題は「動物」。
最近では北海道の動物園をはじめ、各地の動物園が話題にのぼっていますね。
拙作の「短歌動物園」にもこの5年くらいの間に三十余首、20種類近い動物が登場していました。
その中から子育ての現場から生まれた歌を中心にご紹介いたします。
「ブルドック」とうまく言えない子にわざと何度も言わせている「ブルブック」
今回のタイトルにも出てきました「犬」。
うちでは犬怒ってんだか子ども怒ってんだかわからない状態です(笑)
そして「ブルブック」。
「おほしさま」が「おそしさま」だったり、「たなばた」が「たまわた」だったり、
完成されない言葉のかわいさをもっと入念に書き綴ってればよかったなあ。
最近では「ブルドック」と言うようになってしまいちょっとつまんないですが、
保育園で習ってきた ♪おーむねをはりましょ のばしましょ〜 という歌の
「お胸」の部分を「おぶね」と言うのがおもしろくてやっぱり何度も歌わせてます。
眠る子の重み集めて鳩尾(みぞおち)に食い込むおんぶ紐の結び目
ここで出てきたのは「鳩」。
辞書を引きながら鳩のしっぽと書いて「みぞおち」と読むことにおもわず「へぇ〜」ボタンを探してしまった私です。
体力のない私はおんぶ紐よりもだっこ紐をよく使ってました。
外出すると「へぇ〜今は前に抱く紐があるんやねえ」とこれまたトリビアなご年配の方によく出くわしました。
それでも家事をするときはだっこのままというわけにはいかず、おんぶ紐をしぶしぶ使いましたがあの重さと鳩尾の痛みときたら…
今ではなつかしい痛みであります。
しろやぎがおてがみだしたらくろやぎにたべられるうたの終わりは知らず
♪しろやぎさんからおてがみついた くろやぎさんがぁよまずにたべた
ずっと疑問に思っていたのですが、この歌は何番まであるんでしょう?
終わりを知っている方は是非ご一報を。
ママパンダに叱られ子パンダしゅんとするそこでパパパンダ子パンダかばう
「これ短歌?」って思うでしょ?
ええ。一応短歌です(笑)
声に出して読んでみて下さい。さながら早口コトバ。
パンダってのほほんとしたキャラクターですが、結構獰猛らしい。
パンダ界でも最近のオスは元気がないそうで、育児放棄する母パンダがいたり
なんだかとっても人間くさいんですね。
ありがちな家族のひとコマですが、我が家はこうはなれなかった。
家族のあり方ってこういうのがうまくいくんじゃないかなあと思いながら、
あえてパンダを擬人化して作った一首です。
子が泣いているかと惑う真夜中に愛を語らう猫の鳴き声
こどもを寝かしつけたあとでゆっくり風呂に入ろうと思うときまって泣き出すのはなんでだろう。
とくに乳児期はびくびくしながら夜中に起きてました。
(いまだに私が夜中に起きてると嫌がらせのように泣くのはなんでだろう)
あの「びくびく」はちゃんと子どもに伝わっちゃうんですね。
発情期の猫の鳴き声って子どもの泣き声とよく似ているので「びくびく」ゆえに
何度もおびやかされたものです。
喰い破りなお食いちぎるライオンの牙して生きてみよ悔しくば
想像していた以上にしんどかった乳児期の育児から私を解き放ったのは短歌でしたが、
私を苦しめたのも短歌でした。当時、託児で肩身のせまい思いをしつつ必死の思いで歌会に出席していたものの、
自信喪失しながら帰宅することがしばしばでした。
誉められもけなされもせずに、あたりさわりのない評価をされたときのくやしさ…
自分への腹立たしさと自分への鼓舞と…
帰りの電車の中の悔し紛れの一首です。
そのはねでとびたいそらがあっただろうめつむるぺんぎんだきしめたくなる
時折見え隠れする私の心の中に棲んでいるペンギン。
私にも、
飛びたい空がある。
(歌人 松井 央利子)
(※短歌を無断で使用、引用することを禁じます。)
投稿者 Kosodate : 15:26 | コメント (4)
ゴールデンウィークや心地好い気候に誘われて、5月はおでかけする機会も多いのではないかと思います。
おでかけする時に乗り物での移動は付き物。そこで私の短歌の中から「乗り物」の歌をご紹介したいと思います。
待ち長き赤信号の車窓より駄菓子屋に集う子らを見ており
娘が生まれてから「子どもを乗せて運転するのは危ない」という夫の心配により一旦車を手放したのですが、
昨年の夏からドライバーに復帰しました。
行動範囲もぐぐんと広がって、子どもをかかえての移動がこんなにもラクだなんて夢のようでした。
その反面どこにでも行けるさびしさ…みたいなものを時折感じたりもしましたが。
今現在は通勤に欠かせない自家用車。
この歌はずい分前のものですが、どこの駄菓子屋だったかなあ。
信号待ちでなにげない風景についみとれてしまったりします。
信号が変わったのに気付かなくて後ろの車にクラクション鳴らされたり…
ドライバーの皆さん、気をつけましょう。(私だけか?)
会話なき家を出ずればタクシーの中でも僅かに饒舌となる
娘がしゃべり出すまでの子育ての時間は、思った以上に孤独でした。
夫は日付が変わらないと帰って来ず、いつしかなにも話してくれなくなったので
誰とも会話をしない日も少なくなかったです。
めずらしく娘を夫に託して出かけたある日、この歌のようなことがありました。
「言葉のキャッチボールが成り立っていること」が嬉しかった。
天気の話とかすごくどうでもいい話だったけど。
そしてそんなどうでもいい会話に饒舌になっている自分が悲しくもあった出来事でした。
思い出をみつめるようにバスの中進行方向に背をむけている
(1989.5.1 朝日歌壇掲載 島田修二選)
自転車のうしろに乗りて君の背に宇宙みているしがみつけずに
(1990.7.23 同 佐佐木幸綱選)
バスと自転車も通学に欠かせない身近な乗り物でした。これまたなつかしい高校時代の歌。
好きな人の自転車の後ろに乗ることは女子高生(だった私)の憧れでした(笑)
通学に欠かせない身近な乗り物といえば電車。
夕暮れの快速電車がまといたる風が連れ去る私の一部
電車は身近でありながらも、遠くへ行きたい衝動にかられる
心ときめく乗り物です。
「駅」や「プラットホーム」という響きがドラマチックだし、
どこまでも乗っていたい心地好い揺れ。
「線路は続くよどこまでも」なんだけど、ちゃんと終わりがあって、
それはなんだか人生にも似てる気がします。
目的地があって、そして帰ってくるところがあるからこそ安心して旅に出られるし、
いつかはわからないけど終わりがあるから安心して生きることができるのだと思うのです。
(おおっ、なんだかテツガク的だわ)
あたたかな夜を流れるモノレールまどろむ体と一日(ひとひ)を乗せて
滅多に乗ることはないのですが、モチーフになったのはご存知北九州モノレール。
クリスマスには娘と「サンタ列車」に乗りました。
この歌は通勤帰りを詠んだものですが、実際のモノレールは競馬場へ行く人でごった返してるイメージが強いです。(笑)
滅多に乗らない乗り物といえば船。
時の船私を運べさびしさの岸辺を離れて遠く遠くへ
さびしさの岸辺を離れる旅ならば、夕暮れの海に漕ぎ出すのがいい。
もしくは霧の立ち込める朝に。
いずれにしても静かな長い航海をイメージした一首ですが
反対に意気揚々とした船旅は
乗り込んだ船ならすでに動いてる二〇〇一年ロマンスの旅
これは1997年の作品。
ロマンスの旅の果てにたどりついたのがここかよっ
とつっこみを入れずにはいられない現在ですが…。
きっ、気を取り直して
海ときたら次は空。
空の旅といえば飛行機でしょう。
片思い紙ヒコーキに折りこんで窓から飛ばすいくつも飛ばす
飛行機の歌を探したのですがこれしかありませんでした。
紙ヒコーキとは…
私らしいスケールの小ささにちょっと泣きたくなりました。
気を取り直して…
銀河系ひと廻りして来年の夏まで飛んでけロケット花火
ロケット!
これは大きい!
でも…ロケットで旅ができるなんていつのことでしょうね?
いろんな乗り物の歌を挙げてみましたが
便利さでいえばともかく、速さでいうならば歩く速度が私は一番好きです。
景色や風に季節の移り変わりを感じながら
立ち止まったり、寄り道したり。
最近「マーチングマーチ」という歌を娘と一緒によく歌います。
みぎあしくん ひだりあしくん
かわりばんこ かわりばんこ
ぼくをはこんで チッタカタッタッタッタァ
(作詞:阪田寛夫)
という歌詞があるのですが
右足と左足が自分を運んでいく
という発想がすてきだなと思います。
そういえば最近時間に追われてばかりで
ゆっくり歩くことを忘れていたような気がします。
今度の休日がお天気だったら、久しぶりに近くの公園まで
娘と歩いて行ってみようかな。
葉洩れ陽が閉ざしたここは森の中 子の手を引ける時期(とき)は短い
(歌人 松井 央利子)
(※短歌を無断で使用、引用することを禁じます。)
投稿者 Kosodate : 14:44 | コメント (2)
はじめまして。
今月の子育てコラムを担当させていただきます松井央利子(まついよりこ)と申します。
自称:「しがない歌詠み」のさんじゅうン歳。
自作の短歌を織り交ぜながら、つれづれなるままにあれやこれやを綴りたいと思っています。
前回までのほのぼの家族系なお話とはちょっとちがって、現在の我が家の家族構成上、
いささかトーンダウンするかもですが、1ヶ月間おつきあいのほどよろしくお願いいたします。
家族の話はまた後ほどすることにいたしまして…
今回「歌人」というカタガキで登場させていただきましたが、先ほども申し上げたようにワタクシ、
実は「しがない歌詠み」であります。なぜならば私の中の「歌人」の定義は
? 歌集を1冊以上出している
? 短歌を作って収入を得ている
? 多作である
人のことなのですから。
いずれにも該当しないままに「歌人」と名乗るのは非常に僭越なのですが
今回は「歌」(を詠む)「人」ということで大目に見ていただき、
ホンモノの歌人の皆様、どうぞお許し下さいませ。
こむずかしい話はこのくらいにして…
さて、「短歌」というと、ろくさんさんで12年間の間に何度かは目にしたことがあるかと思います。
与謝野晶子だとか斉藤茂吉などの大御所の短歌を鑑賞した後に、実際作ってみましょうと
五・七・五・七・七と指を折りながらそれらしいものを作った、という記憶のある方も多いのではないでしょうか。
私もそうでした。私は勉強の好きな子どもではありませんでした。唯一好きな科目が国語と図工(後の美術)だったのでそれほど苦痛ではありませんでしたが、やっぱり何度も指を折り、考えに考えた挙句にようやく提出した記憶があります。
ではなぜ30歳を過ぎても短歌を作っているのか…?
時は花の高校時代。なんだかワタクシ、綾小路きみまろになってまいりました(笑)
16歳の秋のことであります。当時私は非常にたいくつな高校生でありました。
時々(散文的な)詩や(曲につける)詞を書いたりなんかして、勉強はちっともせず、先のことも考えず、
ぼんやり過ごしておりました。そんなある日、私はふとしたことから水泳部のマネージャーになろうと考えます。
ひそかに憧れていた数学の先生が顧問だからです。不順な動機でマネージャーの見習いとして入部したものの肝心の顧問の先生は滅多にプールサイドには現れません。数学の点ではまったく自分をアピールできなかった私の計画は台無しであります。
水温を計ったり、ストップウォッチをカチカチするのも性に合わないなあ、あんまり青春ってカンジじゃないなあ、と思い始めた頃、授業中に一通のノートの切れ端がまわってきました。
女子学生特有のフクザツな折方のその手紙を開いてみると短歌らしきものが2、3書いてあります。
当時『サラダ記念日』全盛期。そこに書いてあったのはサラダ記念日の中の歌をパロディにしたものでした。
恋する少女は詩人であります。その手紙の差出人である友人もサッカー部のなんとかクンに片思い中でしたから
すかさず私もこんな歌をノートの切れ端に書いてまわしました。
息切らし遠のく青い運動着見えなくなるまで好きとつぶやく
(今読み返すとめちゃめちゃ恥ずかしい)なにげなく作った一首が友人にもウケ、
それからの私は早々に水泳部を退部し、短歌ばっかり作るようになりました。
自転車を漕いでる時も、風呂に入っている時も、もちろん(?)授業中も。
三十一音がなんとも心地好く、歌を作ることがとにかく楽しくて仕方なかった。
娘が短歌を作っているらしい、と母が察知して
「朝日新聞の歌壇に投稿してみたら?」
と勧められたのはそれからまもなくのこと。
ほし草のあたたかさに似たその腕でどうぞしばらく抱きしめていて
(朝日歌壇1998.12.25 馬場あき子選)
はじめて投稿した作品が第一首目に載ったことですっかり調子に乗り、
私はますます短歌にのめりこんでいったのでした。
未確認飛行物体吾のもとへ飛んで来そうな眠れない夜
(同1989.4.3 島田修二選)
午後の陽(ひ)にきらめきながら透きとおる葉脈となれ君への想い
(同1990.6.18 佐佐木幸綱選)
歯ブラシと小さき石鹸購えばひとり暮らしをしたいと思う
(同1990.10.21 佐佐木幸綱選)
その後、勉強会や短歌大会にも顔を出すようになり、
結局朝日歌壇は20代後半までに40首近く掲載されました。
短歌をはじめて10余年。
コンスタントに作り続けていたわけではなく、ブランクもたくさんありました。
それでも腐れ縁のように、あるいは付かず離れずの関係で
ある時は歌い続けていくことに苦しみ、傷付き、
ある時は歌を作ることで認められ、励まされることが幾度もありました。
現在も苦境に身をおきながら、三十一文字のフィルターを通した自らの思いに、
こんなことが苦しかったのかと気付かされることや
自分を見つめ返すこともしばしばです。
今思うと高校時代の母の一言はとても大きかったと思います。
歌壇に投稿しなかったら、私はただ短歌を作ることで満足してそれっきりになってたかもしれない。
母に手紙を見られるのも、机の上のものをちょっと触られるだけでも
ものすごく嫌だったのに、自分の思いが結晶されているものにも関わらず
短歌だけは母に見せてました。
かねてより親交のあるアマチュアカメラマンのKさんの写真と私の短歌をコラボレーションした2度の作品展が実現したのも、父はいい顔をしませんでしたが母の理解あってからこそでした。
母はもっとも身近な評者であり、理解者でした。
最近は短歌を見せることはほとんどないのですが、
それでも私が歌を詠んでいるか時折気にしてくれます。
実は父もこっそり気にしてくれているらしいです。
図らずしもこの先私は、娘をひとりで育てることになると思います。
この4月に4歳になった愛娘の傍らで
この子に何をしてあげられるだろうと時々考えます。
娘が拒むまで、まるごと抱きしめること
抱きしめることがなくなっても、心に寄り添うこと
何よりも、一日もはやく独り立ちする術を身に付けさせること
そして、なにかひとつでもいいから好きなことを見つける環境を与えること。
好きなこと=熱中できること があるということは強いことだと思います。
人生を豊かにし、交友関係を広げていけるツールを持つことは
どんな財産にも勝ると思うのです。
(もちろん先立つ物¥も大事ですが)
いろんなことにチャレンジすることはその第一歩。
一度きりの人生。
親子でいろんなことにチャレンジしたいと思っています。
子は親の背を見て育つと申しますから、臆することなく、ね。
そんなわけでこのコラムも臆することなく綴っていきたいと思います。
今回はちょっと「なつかしはずかしい」青春の短歌が主になりましたが、
次回からは育児の歌、そして家族のことなどもお話したいと思っています。
(歌人 松井央利子)
(※短歌を無断で使用、引用することを禁じます。)