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桜の木は緑色一色になり、今は藤やツツジの花が美しい。もう4月も終わる。
春ってやっぱり大好きと思いながら、テレビのスイッチを入れたら、
「福知山線脱線事故から1年」ということで、
事故で亡くなられた方のご家族のこの1年や、
JRの安全対策などについての番組が放送されていた。
身近な人の死は辛い。納得いかない死は余計に辛いだろう。
事故を起こした会社への恨みも消えはしないだろう。
・・・・・・生き残ってしまった自分を責めたりもするのかな?
もし、あの時、私が○○していたら、あの子は、あの人は、死なずに済んだのに・・・・。
そして、もし、あの子、あの人が生きていたら・・・・・。と、考えるのかな?
明るく、楽しく、4月を過ごし、このコラムを終わるつもりだった。
それなのに、ちょっと、暗い書き出しになってしまった。
小学校低学年の頃、私は、自分はサイボーグだと思っていた。
大人になるまでは成長するけど、死なない。
自分の人生を考えて・・・・・・、
産まれた時のことは覚えていないし、まだ、死んでもいない。
生きている時しか知らない。もちろん、自分が死ぬなんて考えたくない。
だから、自分はサイボーグだと信じていた。
自分がサイボーグではなく、人間で、いつかは死ぬんだと分かったのはいつだったのかな?
それでも、「サイボーグで、死ななきゃ良いのに」としばらくは思っていた記憶がある。
死に対しての恐怖なのかな?
私は今、死ぬのが、そんなに怖くない。
そんなにである。だから、もちろん怖くもある。
だって、私は、死んだ事無いんだもの。
やったことの無いことは、怖いものだ。
1年また1年と年を重ねる毎に、あの世に知り合いが増えている。
祖父も祖母も、父・・・・。そして、私の2人の子ども達も。2人とも男の子だった。
事故で子どもを亡くされた親御さんがテレビに出られて、
事故を起こした会社に対して怒りの声を上げていらっしゃるのを聞くと、
不謹慎にも「いいなあ。責任ある人に怒りをぶつけられるから・・・」と思ってしまう。
やっぱり、私は、罪深い女である。
昭和63年8月、私は、子どもを殺した。
「感染したら、母体も危ない。」「命を助ける事が、赤ちゃんを助ける事になるのか、命を助けない事が、赤ちゃんを助ける事になるのか分からない。」
と言われた。妊娠6ヶ月。22週目こと。赤ちゃんは、お腹の中で、元気に動いていた。
命を助けない結論を出したのは、母親である私だ。
本当は、生きて生まれたかったのかもしれない。と、自分を責めた。
平成3年10月、私は、小さな男の子を産んだ。
「あと3日、お腹に中に入れておくと、お腹の中で死んでしまうでしょう。」
「帝王切開になります。死んだ子どもを出すのと、生きた子どもを出すのでは、母体の回復が全然ちがいます。」
妊娠7ヶ月。25週目のこと。生まれた子どもは、580g。お腹の中で、育っていなかった。
そして、大動脈開存症・心室中核欠損症。
生後13日目、体重450gの時に手術を受けた。そして、19日目に天国に旅立った。
痛い、苦しいだけの人生を送らさせてしまった。
あと3日、お腹の中に居させていたら、彼は、眠るように死ねたかもしれない。一番安心できるところで・・・・。
母体の回復のために、彼にあれほど辛い人生を歩かせてしまったのか。お腹の中で死なせてあげればよかった。と自分を責めた。
みんな「死んだ子どもだ」と言った。でも、私にとっては「生きた子どもだった」
だれがどんな慰めの言葉をかけてくれても、立ち直れなかった。
最初の悲しみを薄らさせてくれたのは、夫がくれた般若心経とリッツの誕生だった。
リッツを産んだ時、私は大量出血、大量輸血。生死の狭間をさまよった挙句、助かった。
生死は、人間が決めるものではない、もっと大きな力が働くんだと思った。
2度目の悲しみを乗り越えたのは、リッツの働きかけと、Hさんの言葉だった。
Hさんは、ママのおひざでおはなし会を救ってくれた人の1人。そして障害を持って生まれたmmチャンのママ。
彼女は私に言った。
「わたしね、マッキーが、ものすごく辛い思いしてるのは知っとるんよ。そして、わたし、mmチャンが死ねばいいなんて思わんのよ。でもね、マッキーを見てると、つい羨ましいなって、思ってしまうん。マッキー、自由に動けるやん。いっつも、自由やん! ごめんね。こんな事思って!」
正直、言われたときは「障害があっても、子どもが生きていてくれる方がずっと幸せやん。何言いよっと!」と思った。
でも、その言葉が、ぐるぐる回った。じっと、ずっと考えた。
そして、私は立ち直れた。そう、わたしは自由だった。なぜ?
それは、天国に旅立った私の子ども達が、自分の命と引き換えに、私に時間をくれていたからである。
わたしの時間は、彼らの命の時間だった。その時間を無駄にする事はできない。と思った。
そして、私は「もし、彼らが生きていたら。とか、彼らは本当は・・・・・」と言うことを考えることをやめた。
それは、私があの世に行ったとき、彼らに直接聞くことにした。
今は、どんなに悩み考えても、答えはでない。
私は、今、生きている。生きている間は、彼らの命の時間を十分に生かし、この世の事をやらなきゃね。
そう気持ちを切り替えてしばらくして、K子が生まれた。
K子は、この世を生きる子だった。
これでもか、これでもかと、お兄ちゃん達の時間を使ってくれた。
私は、あの世に行っても、しばらくは忙しい。だから、あの世の事は、あの世で。
この世の事は、この世で。
この世もまだ長い。やっぱり136歳までなのかな?
先日、八女郡黒木町の大藤祭りに実家の母を連れて行った。
父が他界する前と後に、大腿骨を片方ずつ骨折し、手術。今は車椅子の生活である。
花は良い。母と姉と私と3人で、ゆっくり、ゆっくり花を見て回った。
ただ、それだけだが、とても豊かで幸せなひと時だった。
きっとあの世はあると思うことにしている。だから、土産話は多い方が良い。
ときどき空を見上げて、気合をいれる。「私は、元気だ。だから、安心して良いよ。」と話しかける。
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今回のコラムで、マッキーの当番?は、終了。次は、誰が登場されるのかな?
気軽に引き受け、四苦八苦・・・・、文章を書くのって、難しいですね。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
それでは、みなさん、ごきげんよう〜〜〜〜〜!!!
(田川地区子育てネットワーク『たんたん』 マッキー)
投稿者 Kosodate : 10:21 | コメント (9)
マッキーです。暑かったり、寒かったり、雨が降ったり、降らなかったりの毎日が続いていますね。
リッツ(上の子)は学校に、自転車で行くか、徒歩で行くか、下に1枚着込んでいくか、止めとくかと毎朝、悩んでいます。
みなさんの子どもさんたちは、元気に学校や幼稚園・保育園に通ってますか?
ところで、ちょっと良いはなし・・・・・・・
4月某日、小6のK子が「今日ね、うしろの黒板で勉強したんバイ!」と言って帰ってきた。
「んっ? うしろ向いて? なんで?」
「今日ね、先生の誕生日やったんよ。それで、男子の提案で、朝先生が教室に来る前に、『お誕生日おめでとう』の言葉をみんなで黒板にいっぱい書いとったん。で、先生が教室に入ってきた時、みんなで大声で『おめでとうございます!』って言ったんよ。そしたら、先生すっごく喜んで、黒板消したくないからって、うしろの黒板で勉強したと。」
「そう、そりゃあ、先生嬉しかったやろうねえ。」
「うん、先生、涙が出そうになったって言いよった。写真も撮ったよ」とのこと。
先生に対しての言葉使いに問題はあるが、このクラス、先生と子ども達の仲は上手く行くだろう。
やっぱり出だしが大事。その出だしを暖かいものにしている子どもたちに拍手。
そして、子ども達の思いを受け止めてくれる先生にも拍手。そして、お誕生日、おめでとうございます。
親としては、何にも増して嬉しい事だ。ほんと、みんないい子! いい先生!
我が家の子ども達は、学校での出来事をいろいろ話してくれる。
その上、私はPTAにも関わっているから、学校での子ども達・先生達の様子は、おそらく分かる方であろう。
上の子リッツが、小学校に入学した10年前から、PTA図書委員会に席をおいている。
10年目であり最後の年となった今年は、なんと、委員長である。
委員のみなさん、頼りない委員長です。
ただ、楽しい事は大好きです。
だから、活動は楽しいものにしていきますので、支えてね。
正直言って、リッツが幼い頃は「PTA活動なんて、いや〜っ、絶対関わりとうないバイ」と思っていた。
だって、テレビのドラマに出てくるPTA会長は、イヤな感じの人がほとんどだし、それがPTAの姿だと信じてたから。
ところが・・・・ である。
私は、リッツが3歳の時から、市立図書館で、「ママのおひざでおはなし会」という活動を続けていた。
なぜ、おはなし会を始めたのかと言うと、子どもを連れての行き場がなかったから。
正直「子どもの育ちにとって、絵本の読み聞かせがとても大事」との思いは無かった。
子育て支援センターや子育てサロンなど、影も形もなかった頃である。
4人のママで始めたのだが、そのうち2人は妊婦。
始めたとたん、「私、代表になっていいよ」と言ってくれてたOさんが、だんな様の転勤で東京にいっちゃった。
残ったのは、3人。と、私が切迫流産で緊急入院。これで2人。
「もうアウトか・・・」と思ったところを救ってくれたのが、UさんとHさんだった。
お陰で「ママのおひざでおはなし会」は、12年たった今も続いている。
そのUさんが、リッツ小1の頃のPTA図書委員長だった。
彼女は言った。「図書委員会で朝の本読みを始めたいのよ。協力してくれない?」
市立図書館でのおはなし会に参加できる子は、親が読み聞かせに関心があり、親が連れて来れる子だけ。
小学校で読み聞かせが出来れば、どんな環境で育っている子にも、本の楽しさを伝えられる。
私は、2歳だったK子の手を引いて、小学校での読み聞かせに参加し、その時からずっとPTA活動に関わっている。
朝、各クラスで本を読むと、そのクラスの様子が良く分かる。先生と子ども達の関係も何となく分かるものだ。
子ども達にも覚えてもらえるのも、嬉しい。
決して、PTA活動っていうのは、関わって損はないと思う。
地域の子ども達は、やっぱり地域みんなで育てなきゃと思う。
ボランティアとして活動に関わるかどうか悩んだ時の結論の出し方は、2つの内のどちらか
・大変だけど、楽しい(必要だ)からやる。
・楽しい(必要だ)けど、大変だからやらない。
決めるのは自分自身であり、自分が決めたらブレない。人のせいにしない。
絶対したくないのは、[大変で楽しくない(必要ではない)活動]としか思えないもの。
愚痴しか出てこない事はしないことにしている。
あ〜〜〜、私、今年、PTA図書委員長。楽しい活動にしたい。
子ども達は、待っていてくれている。嬉しいよな。
去年から私は言っている。「ねえ、自転車に紙芝居積んで、昼休みに校庭で紙芝居読んでみない?」って。
目指すは、子ども達が本好きになってくれる事。おはなしが楽しいって思ってくれること。
ついでに、おばちゃん大好きなんて言ってくれたら、最高なんだけど、それは望むまい。
さてさて、どうなることやら・・・・。
というところで、今日はこの辺で・・・・・・。またね。
(田川地区子育てネットワーク『たんたん』 マッキー )
投稿者 Kosodate : 15:17 | コメント (2)
こんにちは、マッキーです。
4月も半ば、新1年生の初々しさが、嬉しい季節ですね。
家の上の子リッツも新1年生。高校生ですけどね・・・・。
高校生も、やっぱり「ドッキドキの1年生」です。
そうそう「やっぱり言っとかなきゃ!」と思うので言いますが、
私、きっとダメ母・ダメ妻な(ある意味)普通の人です。
これ、言っとかなきゃ落ち着かなかったのです。と、言う事でよろしく!!!
子育てにおいても失敗がいっぱい。
前回、子どもを落としたり、ぶつけたり、挟んだりしたと書きましたが、そうなんです。
リッツは、生後3ヶ月の頃、手がツルッと滑ってお風呂の中に沈めたし、
K子(下の子)は、まだ生まれて20日頃かな? ベビーバスで背中を洗ってて、「ウン?!」
と見たら、顔がお風呂のお湯につかったり・・・・。
「あんた、やっとかっと産んだとに、殺すバイ!」と母親に怒られました。
でも、リッツが、目をパッチリ開けたままお風呂に沈んでいく姿に、感動したのです。
「赤ちゃんって、水(お湯)の中でも平気で目を開けているんだ。そうだよね、ついこの前まで羊水の中にいたんだものね!」ってね。
じゃあ、K子も、目を開けてたのかな〜〜?? 見えなかったな〜〜!!
K子は、小さい時、髪を洗うたびに泣いていたのですが、「なんで泣くと?!」って思わなくて良かったですよ。「泣きなさい、泣きなさい!怖いよね、お湯! ゴメンね、お母さんが悪いんよ!」って思えましたから・・・・。心に余裕がありました。エヘッ・・・。
親がドジだと、子どもがシッカリするものなんでしょうか?
リッツは、小さい時から[しっかりしてる子]と言われていました。
子育てサークルに行ってた時も[しっかりしてる子]。
幼稚園の時も小学校の時も中学校の時もず〜っと[しっかりしてる子]。
あんまり子どもにレッテルは貼りたくないので、なるべく子どもに向かって[しっかりしてる]とは言わなかったんですが、やっぱり、何故だかしっかりしてるんです。頼りになるんです。
K子がお腹にいるとき、私の前に座って「赤ちゃんが生まれたら、お父さんとお母さんとおねえちゃんと3人で赤ちゃんを育てるから・・・!」と、言い、実行しましたからね。
本人は「ねえ、私、しっかりしてるん?みんなからそう言われるんよね・・?」と言いながら、少なくとも母親よりも自分は頼りになる とは、間違いなく思っています。
私としても、ここまできたら、その方が都合が良いことも多いので、思いっきり頼りにしているのですが・・・ね。
彼女は高校1年生。めでたく志望校に合格し、バンザイ! おめでとう!
で、入学説明会。初めての経験は、ドキドキするものです。
資料をもとに延々と説明は続きます。面白くないし、なんだか良く分からないし・・、「マッ、資料があるから大丈夫よね。」とドジな母親は、思っているのです。
家に帰ってから彼女は言いました。
「資料ね、私が持っとくよ。書かないかん書類は、入学式の2・3日前に渡すけん、それでヨカろ?お母さんが持っとったら、なくすかもしれんやろ?!」
「ふう〜ん、ヨカよ!」と答える私。(うわ〜っ、信用されとらんよなあ)
そして、入学式3日前、書かなきゃならない書類を渡され、四苦八苦しながら書き上げ、「式の時に持って行くのは、何があったけ?」とリッツに聞くと・・・
「後はお金だけよ。いい、制服代とか体操服代、通学かばん代、校内シューズ代とかいるけん、10万円位掛かるけんね、ちゃんと用意しとってね」と答えました。
「うわ〜っ、高校っちゃ、お金かかるね」と思いながら、翌日、銀行に行ってお金をおろし、よし、これでOK。完璧と思っていたのです・・・。
入学1日前、午後4時45分ごろ、私は近所のスーパーでお買い物をしていました。
と、「あら、マッキー」と、リッツと同じ高校に入学する子のお母さん(仲良し)から声をかけられたのです。
「私、やっと今頃、住民票とってきたんバイ、ゆっくりしとるやろ?」
「えっ? 住民票って、どうして?」
「あら、明日持っていかな いかんやろ!」
「えっ?そうなん?知らん!」
「入学説明書に書いてあったが!」
「入学説明書、リッツが持っとる。わたし見とらん! えっ、今何時???!!!」
「今、4時48分・・・。大丈夫よ、忘れて持って来ん人も、他におるよ!」
「そうやね!」・・・「でも、もしかすると、まだ、間に合う かも・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「やっぱり、わたし、帰る!」と、籠の中の商品を元にもどし、自宅へ猛ダッシュ!
そんな時に限って、歩き。そんな時に限って、ケイタイは不携帯。そして、そんな時に限らず、わが家は急な坂の上。
ゼエ〜 ゼエ〜 ゼエ〜 と走り続け、家に帰り着いたのは、4時55分頃。
私の姿に、子ども達はびっくり・・・・
「リッツ(ぜえぜえ〜)、コラ〜(ぜえぜえ〜)、デンワ(ぜえぜえ〜) モッテ来い(ぜえぜえ〜)!」
「どうしたん、お母さん?」
「ハヨ(ぜえぜえ〜) 市役所ニ(ぜえぜえ〜) デンワ(ぜえぜえ〜)」
「なに? はい、電話!」
(こんな時に、日ごろ活動してると、市役所の電話番号がすぐ出てくるから良いのです)
「はい、市役所です。」
「モシモシ(ぜえぜえ〜)、イマカラ(ぜえぜえ〜)、住民票ヲ(ぜえぜえ〜)、取りニ(ぜえぜえ〜)、行きたいノデスガ(ぜえぜえ〜)、間に合いマスカ(ぜえぜえ〜)?」
「えっ、今からですか?今どちらですか?」との質問に必死で答え、5時前じゃないと住民票が出せないから、今から出して、私が市役所に着くのを待ってくださることになったのです。
電話を置いた時間、4時48分。市役所到着、5時10分。
住民票、見事にゲット。おめでとう! おめでとう!
もう、まったく! なにが、しっかりしてる子だ! 親をこんなに走らせて!
と愚痴っていると、「お母さん、良かったねえ! あの坂道走れたんやん! 日ごろ運動不足やけん、運動にもなって、住民票も取れて、良いことばっかりやね!」だそうな。
「住民票、とれたよ!」とスーパーでのお友達にメールすると、ビックリしてました。
完璧。
翌日は、入学式。
桜の花は満開、空は真っ青に晴れ渡り、風も爽やか。
高校生になった娘が、ちょっと眩しく、美しく、そして誇らしく。
自分の人生を考えても、高校生時代の3年間の思い出って大きい。彼女はどんな3年間を送るのかな? 楽しみでもあり、不安でもあり、私は親として、一緒に楽しみたいと思っています。
では、本日は、この辺で・・・・・。
(田川地区子育てネットワーク『たんたん』 マッキー )
投稿者 Kosodate : 13:05 | コメント (3)
春ですね。ぽかぽかと暖かいし、花のいい香りに包まれて気持ち良いし・・・。私、春って、大好きです。子どもが大きくなって、最近、ちょっと寂しいけど、それでも、春は良いですね。
はい、自己紹介します。私、田川地区子育てネットワーク『たんたん』という団体のシーラカンス(的存在)、マッキーと申します。田川市在住のいくつだっけ?夫1人と子ども2人の4人家族。子どもは、今、高校1年生と小学6年生の女の子です。
子どもが大きくなるのって、本当に早くて、もちろん、上の子は、私の事を、上から見下ろしています。身長と態度の大きさは完全に抜かれているのですが、「おかあさん、心配せんで、体重と座高を抜くつもりはないけん」と、慰めてくれます。(ホッホッホッ!な〜んて優しいんでしょう・・)
下の子は時々、いや、いつも何か仕出かしています。だから、面白いですね。
突然ですが、みなさん、いくつまで生きようと思っています?
すいませんね、突然。
実は私、136歳まで生きるんです。美人薄命・花の命は短くて・・・となると、私は何だ?? 何故そういう事になったのかと言うと、こう言う訳なんです。
下の娘K子が5年生の時、「ねえ、おかあさん、私より先に死んだらいかんよ!」と、突然言うのです。急に言われると、間抜けな返事をしてしまいます。「へぇっ?」。彼女を見ると目はうるうる・・・。どうも、母親が死んでしまうという内容の本を読んだようなのです。「お母さんが先に死んだら、私、何にも出来んもん・・・!」(ええ〜〜?! そりゃあ、いかん!今から鍛えな!)と思いながら、「その答えやけどね。あんた、いくつまで生きるつもりなん?それによって、答えは変わるんやけど!」すると、彼女「100!」と即座に答えたのです。「100か。そしたら、悪いけど無理バイ!」「なんで?!」「あんたが、100歳やったら、お母さん136歳まで生きらんといかんのんバイ。そりゃあ、無理バイ!」「なんで!??」彼女は、大きな声で言ったのです。彼女は、小学5年生。普通に考えたら、136歳まで生きている人がいるかいないか、分かる年だろうに、そして、その後、彼女は続けたのです。「お母さんね、136まで生きらないかんのやけん、もう人生半分終わったとか思っとったら、大間違いよ!!」「へぇっ???・・・・・?」あれ?私、47歳。指折り数えてみたら、あ〜〜〜っ、私、人生半分終わってるかも知れない・・。でも、私、気付かんやったんです。考えたこともなかったんです。でも、気付かなかったと言う事を、K子に言いたくなかったので、私、136歳まで生きる事になったんです。頑張らなきゃ!!
でもね、子どもから、「136歳まで生きて!」って言われるのって良いと思いません?私、子どもが小さかった時は、子どもの事を、落としたり、ぶつけたり、挟んだり・・・と、失敗続きで育てたんですけどね・・・。ありがたいものです。
では、今日はこのへんで・・・・。しー、ゆー、あげいん!!
(田川地区子育てネットワーク『たんたん』 マッキー )
↑【昨年12月10日、田川地区子育てネットワーク『たんたん』で行ったさわむらかずはるさんの「にこにこコンサート」の写真です。小さい子も、パパもママも、おばあちゃんも、小学生・中学生も楽しんだよ。】
↑【10月27日、芳野仁子さんによる、絵本とおもちゃの勉強会をしました。目から鱗の話しがいっぱいでしたよ。】
投稿者 Kosodate : 12:50 | コメント (2)
私は、家族の記念日や年中行事をとても大事にしたいと思っています。
とくに四季の行事は思い出作りに最適。
ちいさいひとの心に楽しい思い出をたくさん残してあげたくて、色々な演出をします。
お花見に行ったら、きれいな花びらを拾い集めてお風呂に浮かべます。
秋のお月見には、一緒におだんごを作って盛り付け、
原っぱからススキを少しいただいてきて飾ります。
花屋さんでも売っていますが、あえて、自然に中へ探しに行きます。
夜になったら「おつきさまこんばんは」の絵本を読んでから、
月と一緒におだんごを食べます。
他にも、お正月から始まって節句、七夕、大晦日などなど・・・。
ちいさいひとが成長して四季の行事に触れたときに
幼い頃に家族で親しんだ行事と重ね合わせ、
「嬉しかった」「楽しかった」とうきうきした幸せな気持ちになれるようにと、
結構、手間ひまかけてます。
でも、お金はかけなくても大丈夫。
ちいさいひとがわくわくできるような演出はアイデア次第でじゅうぶん実現可能です。
すでに書きましたが、誕生日に贈りあう『手づくりカード』もそのひとつですね。
春といえば、新入園・新入学・進級です。
すがすがしいスタートの気分に合わせて、レッスンバッグなど新しいものをひとつ作ります。
きちんと包んで「おめでとう」の言葉を添えて渡します。
レッスンバッグなどは、既製品でもOK。
オリジナルマークを刺繍した、くるみボタンをつければ、
自分だけの特別な品に早がわりします。
手芸店で売っているくるみボタン作製キットがお薦めです。
ししゅうが初めての人でも簡単に作れます。
幼稚園などでは、まだ文字を知らないちいさいひとのために
その子だけの「マーク」が決めてありますよね。
あの要領で、我が家ではそれぞれにマークがあります。
大きくなったら「自分マーク」なんて敬遠するようになるのかもしれませんが、
我が家でだけ通じる暗号みたいで意外と楽しいのです。
詩人の浜文子さんが
『「親」とは、「おや」という平仮名文字にした時の感嘆詞、
感動詞、疑問詞の総称です』とおっしゃっていました。
「おや!この子、こんなことが言えるほど成長したの」
「おや?このごろ、好きな本が少し変わってきたみたい」
「おやおや。ずいぶん上手に絵を描いたこと!」…という具合に、
『子どもの最も身近にいて、衣、食、住の全てを通して日々の様子がよく見えているのが親』だとおっしゃっていました。
実は、息子は生後2ヶ月もしないうちから重度のアトピー性皮膚炎で苦しんでいました。
かゆがって眠らず、3時間4時間と抱いてあやしているうちに夜があけていた…という日が何ヶ月も続きました。
知らない間に眠ってしまい、ハッと目を覚ますと、
身体中をかきむしって血だけになっている息子が泣いていたこともありました。
なんとかしたいと思ってあちこち病院めぐりをしていましたが、
浜文子さんのこの一文に出会ってから
「病院で治してもらおうと思うのではなく、私が主治医になろう、私が治そう」と決めました。
着ているものの材質、洗濯方法、着せ方など「衣」の見直し。
食べものの安全性や調理法、こんだてや手づくり食品など「食」の見直し。
朝4時に起きて家中を拭き掃除してホコリ除去、掃除に使う道具やすまいの塗料など「住」の見直し。
ひとつひとつが試行錯誤で確かに大変でした。
以前は『アトピー』がよくなってるか悪くなってるかだけを気にしていたのに
「おや?少し長く眠れるようになったみたい」
「おや!これが食卓にならぶと喜んでるなぁ」と『息子』をよく見るようになりました。
大変なときは、大きく変われるとき。
そう信じて取り組んできたたくさんの見直しには失敗や行き過ぎもありました。
症状がまったく出なくなり、息子を治したと確信できたとき、
私は「アトピー性皮膚炎になってくれてありがとう」と感謝することができるようになっていました。
『経験は宝』。
夫の母がこう言ってよく励ましてくれます。
世の中には、経験せずにすませたいと思うこともたくさんありますが
経験していればこそ同じ悩みを持つ人に具体的にアドバイスできたり
より早く解決する方法を伝えてあげられたりもできる。
そう思って、つらいことがあっても「乗り越えてみせる!」と思っています。
ちいさいひとたちにも、
五感をフルに使ってたくさんのことを経験しておいて欲しいです。
我が家流の暮らしかた、手しごとに積極的に関わってもらうことも、そのひとつ。
そして、おかあさんの手、おとうさんの手から生まれる我が家の手しごとのどれかを、おとなになっても楽しみながらやってくれたら嬉しいなぁ、と思います。
“我が家流”は教えるのでなく、伝えるもの。
ちいさいひとたちにとって我が家での手しごとが
「お手伝い」じゃなく「自分の手しごと」になる日はま〜だまだ先ですが、
今は一緒にのんびり楽しもうと思っています。
(おもちゃコンサルタント ひでひで)